00.ミス・チラリズム
始まり。って言うか誰よ、そんな変なあだ名つけるのは。
(06.07.06)


01.触れたい、君に
片思い? そんな可愛らしい言葉で片付けばいいのですが。
(08.11.24)


02.暴発注意
大嫌い。言わせたのは向こうなんだから。
(08.11.24)


03.転職するなら
試してやれ。ん、別に俺はお前を陥れようとか思ってないぞ?
(08.11.24)


04.ブウサギ
嘘つき! 仲間がピンチだ、みんな、行くぞ! ぶーぶーぶー!
(08.11.25)


05.罪よりも愛を
出よう。君がそれを望むなら、俺は叶えるだけだから。
(08.11.25)


06.甘い殺意
迂闊。だってそんな、思いもしなかったもの。
(08.12.11)


07.回避不可能
もう決めた。権力は正しく使わなきゃな。
(08.12.13)


08.悟った先には
ありかもしんない。どうせなら、パーっとね。
(08.12.15)


09.卑怯
不器用。その言葉ほどあなたに似合わないものはないです。
(08.12.21)


10.君を連れて
あたしを。愛はいろんな形をしていて、一目ではわからない。
(08.12.24)


Last.あなたがいるから
ほどとおい。でも、こういうのって努力するものなの?
(08.12.24)



ブウサギ


 柔らかい布団は、いいにおいがする。
 お陰で、精神的にサイアクだったわりにはよく眠れた。
 目が覚めて、着替えなきゃと起き上がると、それを察したようにメイドが部屋に入ってきた。
 一人でできる、そうは言ったが、彼女たちの仕事はアエラの身の回りの世話だ。
 結局、大半をお任せする羽目になってしまった。
「コルセットはしなくてもいいです、あの、もっと簡単な服でいい」
 意見は聞き入れてもらえない。
 それでもシンプルなんだと言われたドレスは、アエラには十分重たかった。
「えっ、そんなキラキラしたの似合わないしっ」
 出された宝石箱から、ドレスの雰囲気に合わせたネックレスやらをつけられる。
 ・・・上流って大変。
 鏡の前、どんどん別人になっていってしまう自分を唖然と見つめながら、アエラは溜め息を逃がした。





 朝食を済ませて一息つくと、『陛下がお呼びです』と言われた。
 こんな恰好で宮殿をうろつくのか、と。また泣きたくなってしまう。
 しかし、皇帝が呼んでいるのに行かないわけにもいかず、
「裾踏んでコケたらごめんね、せっかく綺麗にしてくれたのに」
 先に、メイドに謝ってから部屋を出た。
 廊下を歩くと、視線が気になる。皆、アエラのことは知っている。それが、この有様だ。
 綺麗ですよ、と声をかけてくれる者もいるが、大半はやっぱり気の毒そうに見る。アエラらしくない、そんな感じで。
 アエラは、とりあえずは背筋を伸ばしてしゃんとしていよう、と意気込んで。なんとか上品そうに歩いて、皇帝の待つ部屋に向かった。
 その途中だ。
 階下に、今は見たくない人物の姿が見えたのは。



 向こうが先に、アエラに気付いた。
 見上げた視線、愕然とした様子。
 アエラは、ちらと見ただけだった。
 その、一瞬の視線の絡みで。アエラの歩みは止まった。
「たいさ」
 呟く。
 向こうは、謁見の間へと続くエントランスにいた。
「ア・・・エラ」
 ジェイドが憔悴しているのは、遠めにもわかった。アエラは思わず息を呑む。
 こちらを見ながら、いや、見たまま。ジェイドは足早に移動し、エントランスからアエラのいる二階の通路に来た。
「どうしたのです、アエラ・・・その姿は」
「どう、って」
 縮む距離、後退りするアエラ。踵の高い靴のせいで、フラついてしまう。
 あと少しで、ジェイドが届いてしまう・・・その、瞬間だった。
 ガシャガシャと、金属の擦れる音がして、それから。
 ジェイドの前に、何かが突き出された。
 それが、剣であり。アエラを庇うように出てきたのが、宮殿内の衛兵。
「こちらは、皇帝陛下のお后候補のお嬢様です。無礼は許されません」
 凛とした声。
 衛兵の背に守られたアエラは、
「・・・この者を止めておきなさい。わたくしは、陛下に呼ばれておりますので」
「は」
「どういうことですか、アエラ!」
 剣が邪魔して、ジェイドはアエラに近付けない。
「アエラ!」
 呼ぶ声を、背に。
 アエラは、可能な限り優雅に歩いて、その場を去った。
 衛兵は、
「・・・申し訳ありません、カーティス大佐。しかし、・・・アエラさんが皇帝に召されたというのは、本当のことなのです」
 こそり、と。
「なん、ですって・・・」
「ですから我々は、アエラさんを護衛しなくてはならないのです。もしかしたら、皇族になられるかもしれないお方ですからっ」
 剣をしまって、衛兵はジェイドに頭を下げてから持ち場に戻っていった。
 ジェイドはしばらくその場で放心していた。

 アエラが辞表を出していったと知ったのは、昨日の夕方だ。
 昼間の間は、さすがに前日のことがあっての無断欠勤だと思っていた。
 けれど、そうではなかったのだ。
 辞表が出たことを知ったジェイドは、昨夜はアエラの住まいに行った。
 不在だった。
 帰ってくるのを待とうと思い、そのまま数時間待っていた。
 帰ってはこなかった。
 もちろん、眠ってなどいない。
 ジェイドはずっと、アエラを探していたのだ。
 せめて、謝罪するべきだと思って。
 ・・・なのに。
 アエラは。
        アエラは。






 皇帝の部屋に、逃げるように入った。
 中には、相変わらずブウサギを愛でているピオニーがいた。
「おぉ、アエラ。似合うじゃないか」
 着飾ったアエラを見て、ピオニーは満足そうに笑った。
 しかし、アエラの顔色が悪いのを見て、
「・・・どうした。コルセット締めすぎか?」
 などと言いながら歩み寄る。
 アエラは震えていた。
「た、大佐が」
「ジェイドが? 何かされたのか」
「違う、会っただけ。でも、・・・・・・・・・・」
 思わず、ピオニーにしがみつく。
「あたし、殺されませんか・・・?」
「まさか」
 宥めるように抱き返したピオニーは、
「以前と違って、譜術が存分に使えるわけじゃないが・・・それを除いてもジェイドは強いがな。この宮殿に置いてる兵士だって、別に弱いわけじゃない。ちゃんとお前を守るさ」
「・・・・・・」
 怯えきってしまったアエラの頭を撫でて、ピオニーは思案する。
 そして、
「ガイラルディアをつけてやろう」
 そんなことを言い出した。
「ガイさん?」
「アイツ、あれでかなり剣の腕が立つ。ジェイドと一緒に旅をしたこともあるから、奴の扱いはわかっているだろうし」
「あの、でも、伯爵様をそんな」
「一番偉いのは俺だぞ、アエラ。お前は何も気にするな」
 ・・・あぁ。
 アエラはまた溜め息をつく。
 ピオニーは、ここにいろよ、とアエラを部屋に置いて、臣下の者にガルディオス伯爵を召喚せよと命じている。
 その声を聞きながら。
 足元に寄ってきたブウサギを見下ろした。
 ドレスが邪魔で、いつものようには屈めない。
 仕方がないから、部屋の隅に追いやられている皇帝の寝台に行き、そこに腰掛けた。
「おいで」
 呼ぶと、数匹のブウサギが寄ってきた。
 その中の一匹が、率先してアエラに寄ろうとする。
「・・・お前、“ジェイド”だね」
 名前を呼ばれて嬉しそうにするブウサギに、アエラは小さく笑った。
「そんなにあたしが好き?」
 手を伸ばして、届く位置に来たジェイドを撫でてやる。
 ブウサギなんて家畜で、肉になるのが運命だ・・・ずっとそう思ってきたが。ここに来て、考えは変わった。結構可愛い顔をしているやつらだ。綺麗好きだし。
「“ジェイド”はアエラが大好きなんだよ、・・・か」
 いつぞや、思い切りタックルを喰らったとき。ピオニーはそう言っていた。
 あれはもしかしたら、“ジェイド”は人間のほうも含めていたのかも知れない。
 はじめから知っていたようだし。
「ねぇ、お前。あたしは別に、あの大佐さんに特別なことをした覚えもないんだけど。どうして好かれちゃってるんだろう?」
 喋れないブウサギ相手に問いかけたところで、まったく空しいだけなのだが。
 アエラがまた、溜め息をついたところで。寝台に寄っていたブウサギたちが、一斉にその場から離れ始めた。
 足音がして。
「・・・なるほど、しつけはきちんとしてるんですね」
 出入り口に、皇帝の姿が。“寝台に乗るな”という命令を、ブウサギたちはちゃんと覚えているようだ。
「ガイラルディアは、昼過ぎには来るぞ」
「そうですか・・・なんか、悪いことしちゃったな」
「お前の部屋の隣に、しばらく寝泊りしてもらうことにした」
「えっ、伯爵邸は大丈夫なんですか?」
「どうせなりたて伯爵様だからな。いてもいなくてもあまり変わらん」
 そういうものか? アエラは眉根を寄せる。
「・・・しかしアエラ」
 部屋に入ってきたピオニーは、寝台に腰掛けるアエラをじっと見ている。
「はい、陛下」
「男の部屋に入って寝台に座るのは、誘っているのと同義だぞ?」
「は?」
 首を傾げたアエラは、
「でも、ほかに座れそうなものがなくて。こんな上等な服を汚すわけにもいきませんし」
「そうか。じゃあ、脱ぐか」
「・・・はぁ?」
「ガイラルディアが来るまで時間もあるし、ジェイドは仕事を山積みにされているから軍本部でカンヅメだ。誰も邪魔は入らない」
「・・・陛下?」
「俺はアエラが后になるなら、諸手を上げて歓迎するが」
 機嫌よく笑みながら、ピオニーはアエラに寄ってくる。
「え、ちょ」
 焦ったアエラが、寝台から離れようとしたのだが。
 ぐきっ、と。
 慣れない靴での移動は、お約束の事態を招いた。
「きゃっ」
「おっ、と」
 バランスを崩してコケかけたアエラを、咄嗟に掬ったピオニーは、そのままアエラの体を寝台の上に倒してしまった。
「助けるのか助けないのか、はっきりしてください陛下っ」
「助けたじゃないか。床に転げるのは防いだだろう?」
「でもこれじゃあ、よりピンチな気がしますっ」
「そうか? 俺は有利だが」
「そんなぁっ」
 見事、寝台の上に縫いとめられてしまったアエラは、理不尽を訴える目でピオニーを睨んだ。
「蹴っ飛ばして逃げるか?」
「・・・皇帝陛下を蹴っ飛ばしたりしたら、一族の首が飛びますっ」
「わかってるじゃないか」
 ニヤリ、笑った皇帝に。
 なす術もない平民の娘は、涙目で困惑を示す。
「俺の女になるか? アエラ」
 もう、これは脅迫以外の何者でもない。
 頷けば、今までのような暮らしには戻れない。けれど、拒否すれば、故郷の家族に何をされるかわからない。
 追い詰められた。
 涙目、が、本気で泣き顔になったのはこの瞬間だ。
「陛下、あたしはブウサギだって言ったじゃないですかぁ・・・」
 ぼろぼろっと、アエラの目尻からこぼれた涙がこめかみに流れていく。
「あっ、アエラ?」
「嘘つきぃ、へーかの嘘つきーーーーーっ」
 そのまま、声をあげて泣き始めてしまったアエラに、さすがの皇帝も慌てた。
 すると。
 いつの間にか、寝台の辺りに気配があり、ちらっと見たピオニーの視界には、・・・家畜が。
 押し寄せるように来て、寝台を取り囲んでるのは、ブウサギだ。
 ぶーぶーぶー。
 ものすごいブーイングの嵐が始まった。
「おいっ、お前たちっ」
 ぶーぶーぶー。
 そろいも揃ったブウサギのブーイングは、部屋の外まで聞こえているらしい。
 数度のノックの後、ドアの外からメイドの声がした。どうかなさいましたか・・・どうかしたはしたが、
「なんでもない!」
 后候補として召し上げた娘に泣かれた挙句、ブウサギのブーイングで困っている姿など見られるわけにも行かない。
「アエラ、悪かった。悪ふざけが過ぎた、謝るから泣き止め、な」
 とりあえず、上からどいたのだが。アエラはそのままころんと向きを変え、ピオニーに背を向けると、
「言いふらしてやる・・・皇帝陛下はブウサギに欲情する変態さんだって、城下に言いふらしてやる・・・」
 怨念の篭った低い声で。
「なっ、お前なぁ」
「だから人間のお后を迎えないんだって、まことしやかに流してやる・・・」
「皇帝を脅迫するのか、お前はっ」
「先にひどいことしたのは陛下でしょう? 皇帝はなにしてもいいんですか、嫌がる娘を無理矢理手籠めにしても許されるんですかっ」
 ばっ、と起き上がったアエラは、じとーんとピオニーを見据える。
「まぁ、皇帝だからな・・・許されるとは思うが、それは裁けないという意味合いだからな。悪かったよアエラ、ともかく機嫌を直してくれ」
「むー・・・」
 ブウサギのブーイングが止まった。アエラの怒りはおさまったらしい。
「しっかし、なんなんだ。今のブーイングは」
「陛下が、あたしをブウサギだって言ったから。あたしはあの子達の仲間だもん」
 仲間のピンチにブーイング。それがどうしたと言われればそれまでの、ささやかな抵抗だった。まぁ、効果があるのはブウサギをこよなく愛するピオニーに限定されているだろう。
「愛でるだけにしろってか。俺はアエラと色々したいぞ」
「あたしは陛下とはお散歩までのお付き合いでいいです」
「じゃあ、一緒に風呂に入るとか」
「・・・陛下、ブウサギをお風呂に入れたら、茹で上がっちゃいますよ」
「水浴びならいいのか?」
「お一人でどうぞ」
「しかしアエラ、多少見せ付けてやらないと、ジェイドの気持ちは確かめられないと思うがな」
 ぴく。アエラの頬が引きつる。
「そんな無理に確かめなくってもいいですよ。変に煽ったら、あたし、本当に殺されちゃう」
 思い出して、身震いする。
 さっきはほんの一瞬、会っただけなのに。
 顔を見なかったのはたったの一日で、そんなのは非番の日と同じだ。
 なのに。
 ジェイドは、そのたった一日で、まるで変わってしまっていた。
「・・・それより陛下、本当に大佐はあたしのこと好きなんですか? あたし、大佐からそんな話聞いてないです」
「これはまた、随分根本的な。・・・はっきり聞かなきゃダメか、アエラは」
「そりゃ、聞きたいですよ。現状、あたしはセクハラ上司の被害を受けただけですから。それが、ちゃんとした恋愛感情を伴っていたのかも、わからないんですよ?」
「なるほど、正論だな。後でジェイドに確認してやろう。まぁ、とりあえずお前は宮殿から出るな。移動をするときも、護衛をつけろよ。ガイラルディアがいるときは、奴をな。ただし、・・・ガイラルディアに惚れるっていうのはナシだぞ」
「ナシなんですか?」
「ナシだ。それじゃ面白くない。だが、ガイラルディアがお前に惚れるっていうのは、アリかもな」
「・・・・・・結局、他人を引っ掻き回して遊んでるだけなんですね、陛下」
「そして俺がアエラを嫁にする」
「言っている意味がわかりません」
 もぅ、と。ガックリ肩を落としたアエラは、くしゃくしゃになってしまった髪を手で整える。
 寝台の側で、仲間を見上げてくるつぶらな瞳を見やって、
「ありがとね」
 手を伸ばして、撫でた。
 気苦労が絶えない。
「・・・この何日かであたし、倍ぐらい年取ったような気がします・・・」
「そうか? ちゃんと可愛いぞ?」
「そうでなくて・・・」
 大半がこの皇帝陛下のせいなのだが。
 アエラは、もう癖になりつつあるなぁと思いながら、溜め息をついた。
 幸せが逃げていく、というのは、あながち迷信ではなさそうだ。



 昼過ぎにやってきたガルディオス伯爵は、そのままアエラの部屋に通された。
「・・・っていうか、大変だな、君も」
 ドレス姿でガイを迎えたアエラに、第一声はそれだった。
 アエラは、はい、と気のない笑顔を見せる。
「やっぱり、俺は帰らない方がよかったのかな。あの時はジェイドがおっかなくてさ、さっさと退散したんだけど。後から考えたら、俺がいたほうが君は安全だったかもしれないんだよね」
 事の次第を聞いたガイは、申し訳なさそうに頭を下げる。
「あぁ・・・それはもういいです、過ぎたことですから。ただ、今は、・・・大佐がどう出るのかが怖くて」
「そんなに人生経験浅いわけじゃないから、短絡的なことをするとは思えないけどね。まぁ、“恋は盲目”っていう言葉を、まさかジェイドに当てはめようなんて日が来るとも思ってなかったけど」
「・・・すみません、ガイさんには、ご面倒を」
「いいって。剣の腕を買われたっていうのがちょっと嬉しいしね。陛下の呼び出しだって言うから、てっきりブウサギの世話だと思ったけど」
「ブウサギの世話ですよ」
「へっ?」
 アエラは、自分を指差した。そして、
「あたし、陛下の新しいブウサギのアエラです。だから、ブウサギの世話であってますよ」
 ふふっ、と笑った。
 ガイは不思議そうな顔をして首をかしげている。
「ブウサギですから、陛下と同衾しませんし、混浴もしません。とりあえず、可愛がられるだけです」
「・・・どういう約束を取り付けたのかな、一体・・・」
「あたしのことをブウサギだって言ったのは陛下ですからね。ガイさんも、そんなつもりでいてください。しばらく、よろしくお願いします」
「それはまぁ、こちらこそ」







 アエラが、ようやく得た僅かばかりの安息を、ガイと満喫している頃。
 ピオニーは、軍本部のジェイドの元を訪れていた。
 こちらは正直、こじれそうな予感がしていた。

 デスクの上に詰まれた書類の山。
 手早く内容を読んでは、サインをしていく。
 もくもくと。
 恐怖に近い雰囲気を振りまきながら。
「・・・意外と冷静だな」
 それは、彼のどこら辺を見て発せられた感想だったのだろう。
 眼鏡の奥、表情のない目がチラリと来訪者を見る。
 また、しばらく沈黙が流れて。
 何枚目かの書類にサインをした後、
「説明していただきたいですね、陛下。何故、アエラを」
 ばん、と。たたきつけるように、ペンを置いた。
 来訪者は皇帝。
 部屋の主は、大佐。
 身分に大きな開きはあるが、二人は気心の知れた親友のはずだ。
「何故って。可愛いからな、アエラは」
 ふふん、と笑って。当たり前のように言ったピオニーに、ジェイドは鋭い睨みを放つ。
「アエラは、お前の本気を疑ってるぞ。今のところ彼女の中では、“上司にセクハラされた”ぐらいにしかなってない」
「それがどうして、昨日の今日で皇帝の后候補に?」
「だから、可愛いから」
「真面目に、陛下」
「真面目さ、十分に」
「爵位もない家の娘に、あなたの手がつくのですか?」
「前例がなかったわけじゃない。都合が悪ければ、今はもうない貴族の家名を継がせて、爵位をやるさ」
「それでも、万一御子が生まれても庶出だと軽んじられる」
「言わせんさ、そんなことは。アエラに辛い思いはさせない」
「・・・陛下」
 あなたという人は。苦く呟いたジェイドに、ピオニーは、
「とりあえずジェイド、まずはお前の本音をアエラに伝えろ。アエラはお前のことはなんとも思っていない、と言っていた。今はただ、セクハラ上司に愛想を尽かしてる。それを、セクハラじゃなくて本気だとちゃんと教えてやるんだな」
「それは、まぁ・・・」
「なにを焦ったか知らんが、ありゃまだ子供だ。俺が身元預かりをしている間になんとかしないと、実家に帰られるぞ」
 それがなんだというのだろうか。そうは思ったが、大事な娘が泣き帰ったとなれば、どこの親でも警戒するだろう。呼び戻すなど、叶わないかもしれない。
「まぁ、俺もただ預かってるわけじゃないからな。予防線張られちゃいるが、俺は皇帝だから。欲しいとなれば、力づくでも手に入れる」
「っ、陛下?!」
「まさかお前と女を取り合うことになるとはな。少々意外だが、面白いに越したことはない」
 それじゃ、と。言いたいことだけ言って、ピオニーは部屋から出て行く。
 いっそ、その背中からザクリとやってしまいたいという衝動に駆られはしたジェイドだが、そこは思いとどまった。
 閉められたドア、遠くなる足音。
 また、静かになる部屋。


 アエラ。
 何度その名を呟いただろう。
 初めて彼女を見かけてから、実は半年ほどしかたっていない。
 行きつけの酒場で、新しく雇ったウェイトレスだと紹介された。
 帝都の娘ではないな・・・一目見て思った。
 洗練されていない、どこか粗野にも見える彼女の仕草。
 けれど、それは。
 下町で、愛されて育ったことが目に見えるほどに温かい印象を与えた。
 癒された、そう感じた。
 それからは、彼女を見るのが楽しみで酒場に通った。
 よくよく食器を割ったりしていたが、客への気配りは細やかで、なによりはつらつとした笑顔がいい。
 幼いから、と本人も言っていたが。
 世間ずれしたけばい娘に酌をされるより、「お疲れ様です」と明るく労ってもらいながらのほうがずっと気分がよかった。
 自分の補佐に抜擢したときには、同じ酒場の常連からは苦情も出たそうだ。
 どこにいても愛される娘。
 誰からも。
 独占したいと思ったことが、そもそもの間違いなのだろうか。
 浅ましい欲を曝して、彼女から笑顔を奪ってしまった。
     アエラ」
 宮殿で、着飾った彼女を見たときははっとした。
 あれは確かにアエラで、けれど彼女ではないと思えた。
 美しい娘だった。それは痛感した。
 でも。
 アエラの、彼女の一番美しいところは、消されてしまっていた。
「あなたの笑顔が見たい・・・」
 欠乏は深刻で。ジェイドは眼鏡を外し、デスクに突っ伏した。