やはり、普通の学校と違う。
 課題がやたらと忙しい。
 授業なんて大したことしないで、ほとんどがボイストレーニングやリズムレッスン、ダンスレッスンだ。
「一年でモノにしようっていうんだから、こんなもんか…」
 狭き門の早乙女学園。
 『アイドルになりたい』
 『アイドルの歌を作りたい』
そんな思いを胸に、生徒たちはこの学び舎に集う。
 みんな、真剣だった。




Episode.04 トレモロ




「二人以上のユニットを組み、曲・歌詞・ダンスを含めたトータルパフォーマンスを提示せよ…か」
 新しい課題が出た。主に、アイドル志望の生徒向けにだ。
 作曲家コースの誰かに曲を作ってもらい、それに詞とダンスをつけて披露する。
 海羽は、一ノ瀬トキヤがいるチームからの依頼を引き受けた。
「一学期の、まだ生徒たちが慣れてない時期にもこんなの出してくるんだから。まぁ、サディスティックだよねェ」
 現在彼女がいるのは、レコーディングルームだ。放課後すぐの時間を外し、夕食が終わってからの枠を確保した。
 自前のポータブルプレイヤーを片手に。ヘッドホンで聞いているのは、学園のデータベースにあった楽曲。
 それを、何度もリピートさせている。
 そんなことだけをして、そろそろ一時間が過ぎようという頃。
 不意に、出入り口のドアが開いて。海羽は、そちらを振り返った。

「差し入れはいかが? レディ」

 その人物の登場には、いささか驚いた。
 海羽はポータブルプレイヤーを止めてヘッドホンを外すと、
「よくわかったね、ボクがここだって」
 誰にも言わなかったのに。
「ん? まぁ、ね」
 濁す言い方をして。彼は、部屋の中に入ってくる。
「放課後に一緒にいた子が、“早乙女海羽が変な時間に予約入れてた”って教えてくれたんだよ」
 はい、差し入れ。
 そう言って、テーブルの上に置かれたのは、コンビニの袋だ。
 海羽は、中身を見て。そして、彼の顔をまじまじと見た。
「…似合わないね。神宮寺がコンビニスイーツ差し入れてくるなんて」
 来訪者・神宮寺レンは、そうかい? と苦笑した後、
「でも、それ。好きなんでしょ?」
 袋を指さして。
 中に入っているのは、シュークリームだった。
「そうだけど。よく知ってたね」
「前に、君の取り巻きの子たちと話してたの、聞こえてたから」
「…聞いてた、んじゃなくて?」
「人聞き悪いな。聞こえた、んだよ」
 椅子に座って、長い脚を組む。それだけで十分絵になる存在。
「わざわざ、外に行って買ってきたんだから。食べてよ」
 え。
 海羽はまた、ぎょっとした様子でレンを見た。
 まさか、この御曹司様が自分で? コンビニに? 庶民のスイーツを買いに??
 様子が想像できず、海羽は思わず顔をしかめた。
「あれ? もしかして、不都合アリ?」
 彼女が渋い顔をしているから、レンがどこか不安げに訊いてくる。
 海羽ははっとして、
「あ、ううん。違うんだ。なんか、…キミがコンビニってのがまず想像できなくて。その上、買ってる内容が内容だからまた意外と言うか、なんと言うか、キミのイメージによくないんじゃないかとか」
「イメージって。そんな心配しなくてもいいでしょ」
「…うん。そうだね。じゃあ、素直にもらう。…ありがとう」
 微笑んで、海羽は言った。
 その様子を見て、レンは。
「よかった。受け取ってもらえて」
 そんなことを言った。安堵の表情。
 海羽は、少しぽかんとして。それから、
「そこまで邪険にはしないよ」
 バツが悪そうな顔をして、ぼそり呟く。
 会話開始はごく普通を装ったが、実際まともに話すのはこれが初めてだ。曲の依頼を受け、よろしく、と挨拶だけはしていたが、やはり海羽はレンには近寄らなかった。
 レンも、それをわかっているから、あくまでトキヤや翔の陰にいる形でしか海羽とは接しなかったのだ。楽曲については意見をやり合ったりもしたが、それはあくまでも作曲者と歌い手という立場でのやり取りであって、“会話”というものとはやはり違っていた。
「少し、話しをしてってもいいかい?」
 気さくさを前面に出した笑顔で問うと、海羽は一瞬の躊躇いの後にこくりと頷いた。
「ありがとう、レディ」
「それやめてよ」
「…そんなに嫌?」
 学内では、男装で通している海羽。女性扱いされることに嫌悪を示すのは、ほとんどの生徒が知っていることだ。
「嫌だから、こういう格好で通してるの。わかりなよ、そのぐらい」
 言葉はやや辛辣で、けれども口調がそこまで刺々しくはない。
「理由を訊いても?」
「ノーコメントだよ」
「そうなの?」
「そうなの。…そんな話がしたいの?」
 疑問符を疑問符で返して、海羽はじとりとレンを睨んだ。
 レンのほうは相変わらず、害のなさそうなニコニコ笑顔で、
「どんな話でも」
 ひょうひょうとした体で切り返す。
 海羽は溜息をつき、
「でも、きっとキミのペースではないよね、今って。いつもはもっと、気の利いた言葉やらで女の子をたぶらかしているんだろ?」
「たぶらかしてるつもりはないけれどね。もちろん、同じやり方でいいとは思ってないから、今は出方を見てるところかな」
「いいの? そんな手の内あかして」
「不利になるとは思ってないんでね」
 探りあいのような言葉のやり取り。
 海羽は、にや、と口元をほころばせると、
「何の駆け引きなんだか。でも、嫌いじゃないけどね、そういうの」
 そのまま、ふふ、と笑った。笑顔はわりと柔らかかったが、それを見たレンは「ふむぅ」と思案顔をし、
「やっぱりなんか、違うよね」
 そんなことを言った。
「なにが」
「女の子たちに見せる笑顔、イッチーに見せる笑顔、その他に見せる笑顔。俺には、“その他”の笑顔だ」
 海羽は、きょとんとした後で、
「…男相手にそんな、愛想振りまいてもな」
 チッ、と言わんばかりの顔をして言う。
「でも、イッチーにはちょっと違うじゃない。アレはどういうことなの?」
 遠慮なしに疑問符を投げてくる彼に、海羽は少し不機嫌な顔をした。
「どう、って。別に、違くしてるつもりはないけど…あの子の場合はつんけんしてても始まんないってか、あの子のほうがつんけんしてるから、ちょっと柔らかく当たっておいた方がケンカにならないかな…とか、ぐらいだけど」
 それが本音かはわかりかねたが、あながちウソでもないのだろうなとレンは理解して、
「まぁ、確かにヤツはクールだよね。冷たいって言っちゃうとそれまでだけど」
 賛同するようなことを言ってみた。すると海羽は、覗き込むようにレンを見て、
「友達なんでしょ?」
 問いかける。
「まぁね。向こうがどう思ってるかは知らないけど」
「友達なんでしょ」
「そうかな」
「……見る目ないね」
 ふっ、と。嘲るように笑って、海羽は肩をすくめた。
「自信ない、なのかな。そんなにいじけていなくても、彼はキミのことを友達だと思っているよ」
 いじけたつもりは、もちろんない。しかも、レンとしては海羽とトキヤのことを聞くつもりだったのに、いつの間にやらレンとトキヤのことになっている。
 友達、の方向で話をするのなら。だったら、
「海羽サンは? 俺のことどう思ってるの」
 この流れで嘘を言う人ではないだろうと思ったから、あえて訊いてみた。
「ボクかい? さて、どうだろう」
 はぐらかして。彼女は差し入れのシュークリームを取り出し、外装を破る。
 いただきます、と言ってレンを見ると、彼は何やら不満そうな顔をして海羽を睨んでいた。
「いいかげん、ボクを女の子だと思うのやめたら。ボクは、キミみたいな軽薄な男は大嫌いなんだ。それに、一般的な女の子のリアクション期待してると、ペース乱れるばっかだよ。男友達と話してるつもりになってる方が、楽だと思うんだけど」
 かぷ、とシュークリームに噛みつく。海羽お気に入りのコンビニスイーツ。やわらかめのカスタードだけのシュークリームは程よく甘く、シュー皮とのバランスもいい。
「男友達、ね。好かれてる感じはまるでしないな」
「…でも、キミの歌は好きだな。悪くない」
 レンが、えっ、と声をこぼして。
「ちょっと、聞きすぎちゃったよ」
 さっきまで彼女がしていたヘッドホンを、レンのほうに差し出す。
 ポータブルプレイヤーの再生ボタンを押して、レンにヘッドホンをするように促した。
 片耳だけ。レンはそれを押しあてて、
「うわ、ちょっと」
 慌てて離す。
 流れてきたのは、入試の時の彼の歌声だ。
「なんでこんなもの聞いてっ」
「なんで、って。曲作るのに、どういう歌い方するとかわからないと困るじゃないか。まぁ、キミ一人だけ聞いてたわけじゃないけど。来栖のも入ってるよ」
「そういう問題じゃないって。こんな昔の聞かなくても、言ってくれればいくらでも歌うよ」
「スケジュールがあるんだろうなと思ったから。平等に扱ってるみたいだから、ね」
 再生を止めて、ヘッドホンを回収する。
「いや、まぁ…。けど、こっちから頼んだんだし、そのぐらいは都合できるのに」
「女の子たちを不快にさせたくないな。ただでさえ、キミの側の取り巻きちゃんたちには嫌われてるってのに。それに、さしあたりサンプルがあれば、それで充分なんだ」
 サンプル、と。ポータブルプレイヤーを爪でコツンと弾いて。
 それぞれの取り巻きに嫌われているということは、お互いにわかっていることだ。取り巻き同士が仲が良くないというのもあるが、やはり一番の原因は当人たちがあまり親しげでないからだろう。
「味気ないな、こんなの」
「そう? かな。まぁ、それで一回失敗してるわけだから、本当はよくないんだろうけど」
 ぱく、ぱく、と。なかなかの食べっぷりでシュークリームはなくなっていく。
「…ほんとにそれ、好きなんだね」
「んー」
 もっしもっしもっし、ごっくん。
 そんな効果音が文字になって浮かんでいそうな光景。
 そして、
「ごちそうさま」
 改めて、レンに頭を下げた時の笑顔は、
「…持ってきた甲斐があった」
 と、レンの顔をほころばせるほど、嬉しそうで、満足した笑顔だった。
「いっつもそうやって笑ってればいいのに」
「…それは無理」
 シュークリーム効果は、残念ながら長時間持続はしないらしい。
 海羽はまた、どこかそっけないいつもの態度に戻ってしまった。
「オイシイの?」
「ボクは好きだよ。カロリーは高いんだろうけど」
「ふーん」
「御曹司さんは、有名なお店の有名なパティシエが作ったものとかしか食べないのかもしれないけどね。生憎とボクは庶民なものだから」
 コンビニスイーツで十分、と。言いながら、空の袋を片付ける。
「いや、それ以前に俺は、甘いものはちょっとね。…けど、今、キスすると、その好きな味がどんななのかわかるのかな?」
 実に彼らしいことを言って。
 レンの来訪から、二人とも椅子には座らずにいたから。距離を詰めることは容易い。
「それはどうかな」
 苦笑というより呆れ笑いではねのけられる。
「試してみようか」
 すい、と寄って、手を伸ばして。彼女の頬に、レンの指先が触れそうになったところで、
「…おじ貴にどんな目に遭わされてもよければ」
 どこか不敵な印象で、彼女は冷めた眼差しを彼に向けた。
 最終兵器おじ貴。
 それを出されると、さすがのレンも行動不能だ。手をおろし、肩を竦める。
「やれやれ。そうくるか。ちょっと卑怯なんじゃない?」
「あれでも保護者だからね」
「ボスは君を溺愛してるのかな」
「溺愛、かはわからないけど」
 大事にされてるよ、と。
「シャイニング早乙女にニラまれたら、俺の人生が終わっちまう」
「まーね」
 笑って言って、海羽はシンセサイザーの前に向かう。
 音色をピアノのみに設定してあるそれを、指遊びでぽろりぽろりと奏で始めた。
 それでも、海羽の音はただの“音”ではなく。
 零れ落ちる輝きが、目に見えるようだった。
 “魔法”
 それが、彼女の旋律が見せる幻覚を指すのか、それとも。
「…ね、神宮寺」
「ん?」
 レンは、心地よさ気に海羽の演奏を聴いている。
「キミは、デビューに執着がないって聞いたけど、本当?」
「本当」
「即答か。歌うのが好きではないの?」
「…それとこれとは話が別…かな」
 ふぅん、と。海羽は頷いて。
「まぁ、ボクもデビューには興味ないけど。みんなの夢の手伝いができるなら、それも悪くないかなってぐらいだし」
「はぁ? なに、もったいないこと言って」
 とまで口から出て、レンははっとした。トキヤが言っていたことを思いだしたのだ。
 『彼女の音楽があればもっと先へ行ける、けれども彼女がそれを望んでいない』
 こういうことだったのか、と。
「キミの歌だってもったいないよ。艶のあるいい声、大人びてるけど、案外コミカルな歌い方もできる。英語の発音は抜群。本人もたいがい美男子で、アイドルとしての素養に文句の付けどころがない」
 指遊びだった演奏が、少しずつちゃんとした形を持ち始める。
 海羽が引き始めたのは、さっきポータブルプレイヤーが流したメロディ。レンが、入学試験の時にやった曲だ。
「そんなに褒められてもな。どうせ、財閥の広告塔にしかならないんだから」
「これでもかってぐらいに、宣伝したらいいんじゃない?」
「いやだ」
「…そか。まぁ、そうかもね」
 レンの実家は、国内屈指の財閥だ。そのぐらいは、海羽も知っている。
「利用されたくないんだ?」
「そのぐらいしか価値がない自分が嫌なんだよ…って、なんでこんな話」
 調子狂うな、と。レンは呟く。
 海羽は、演奏を続けながら、少し黙った。
 やがて、
「おうちの人たちにとって自分がどの程度かって、そんなに重要?」
 そんな問いかけが投げられた。
「え?」
「神宮寺の一番は、おうちの人なんだね」
 意外そうに、どこか残念そうに。海羽は言って、肩をすくめた。
「あんなにたくさんの女の子に好かれてるのに。彼女たちの“好き”は、信用できないってわけだ」
「っ、どうしてそんなことに」
「そこで焦っちゃうんだったら、『広告塔にしかなれない』とか言っちゃダメだよ。彼女たちは、キミが好きなの? それとも、“神宮寺”っていうブランドが好きなの?」
 演奏をやめ、振り向いた彼女は。じっ、と、レンを見つめた。
 真剣な眼差しだ。
 レンは、彼女の眼差しを受け止めてから小さく吐息して、
「…前者でありたい、っていうのが俺の希望。でも、ほんとは自信がない。俺が“神宮寺”レンでなかったら、レディたちはどんなふうなんだろうって」
 伏し目がちに言った、それは本音だった。
 言ってしまってから、なんでこんなこと、と愚痴る。いつもなら、誰を相手にしても絶対に言わないようなことを、言わされてしまう。
 調子は狂いっぱなしだ。
 これも“魔法”なのだろうか。
 海羽は、シンセから離れた。レンの近くに戻ってくる。その行動は少し意外で、レンは戸惑った。彼女から近寄ってくるなんて。
「じゃあ、キミがうんと輝いて、“神宮寺”っていう銘が霞むぐらいになったらいいんじゃないかな。少なくとも、ボクはキミがどこの誰でも、なんにもかわんないよ」
 にこ、と。海羽は微笑んで見せた。その笑顔は、さっきまでのものとは違う。もっと…トキヤに見せているものよりも、ずっと柔らかい。
「かわんないって。どうせ“嫌い”ってことが変わんないんだろ?」
 思わず動揺したことを気取られまいと、レンはやや必死になりつつもあくまでポーカーフェイスを貫くのだが。
「わかってるじゃない。男は嫌い、そんなの変わるわけがない」
「切なさが増すんだけど」
「銘で区別も差別もしないってことさ。だから、きっと、これが万が一にも“好き”に変われば、それはキミがどうなろうと、変わらないってことだよ」
 裏返した言葉に、レンはきょとんとして。それから、
「その万が一は、発生しそう?」
 海羽を窺う。
 彼女は、どーかなー、と苦笑して。
「期待はしない方がいいよ」
 まるで他人事のように、言った。

 すいっ、と。また、彼女はシンセに向かう。
 今のやり取りは何だったのか。
 背を向けた彼女の、長い黒髪を見つめて。レンはこっそりと溜息を逃がした。
 弾こうとして、けれど鍵盤から一旦指を退かした彼女は、少し、思案するような間をあける。
 やがて、ポロリポロリと流れたのは、滑らかだが音数の多い、レンの知らないメロディ。
 波打つように上下する音程、片手だけだったそれに、もう片手が加わって。
 一気に厚みを増した。
「…それは?」
「キミ達の課題曲、の、骨」
 曲調が早くなっていく。
「出だしのところを、速さを半分か…三分の二ぐらいにして、違うメロディにしたいんだ。こないだ、一ノ瀬がやったのが結構よかったと思ってね。曲そのものは、まぁまぁ速いよ。歌唱部分は抑えるけど。打ち込み沢山、きらっきらでスタイリッシュ。キミら、個性強いからさ。曲が負けそうで」
 なんて言いながら、その“骨”にはどんどん“肉”が付いていく。
「もう、そこまでできてるのか」
「え? 閃いたのは今だよ。キミがシュークリームくれたから」
「はぁ?」
「…っていうのはまぁ、冗談としても。キミが、デビューに前向きじゃないとわかって、かな。じゃあせめて、楽しくないとって。この課題は、キミ一人のものじゃない。一ノ瀬や来栖も一緒だから。あの二人は、ちゃんとアイドル目指してるけど、キミがそうじゃないからってボクも手抜きはできないからね。そう思ったら、するんと浮かんだんだ。歌って踊って楽しい、気持ちいいって思える曲をね」
 手が止まる。
 いつの間にか、すぐ横にレンがきていた。さっきまでよりも、ずっと距離が近い。それでも、彼女は離れることはなく、彼を見上げて、
「三人でやる曲だから、“誰からしい”っていうのは出す気はないけど。でも、キミ達三人のポテンシャルなら、余裕でクリアだと思う」
 当然だよね? と。挑発する笑み。
 受けたレンは、海羽を見下ろして、
「…この俺を、その気にさせたいわけだ」
 お得意の、綺麗でセクシーな微笑。
 普通の女の子なら真っ赤になっているところだろうが、
「キミ一人ぐらい、魔法にかけるのは訳ないよ? ボクを誰だと思ってるのさ」
 あろうことか更に挑発を重ねて。海羽は、レンをまっすぐ見る。
 睨むように見た二秒後、ふっと。彼女は表情を柔らかくして、
「…なんてね。かかってほしいなとは思うけど」
 そんなことを言った。
「なに。急に弱気だね」
 また、レンの胸がざわりと揺れる。こんなに表情を変えるとは思わなかった。それを、見せてくれるなんて。
 いつも同じテンションで、嫌っていると思っていたからそれを疑いもせずに。そういうものだと思っていた、レンが知る彼女はいつだって冷めた目をしていた。
 それが、今は。
 シュークリーム効果が持続しているのか、それとも彼女の中で何かが解禁になったのか。
「だって、人のこと言えないからさ。デビューする気ないし。キミがおうちの人のこと気にするように、ボクはおじ貴の評価ばっかり気になるし」
「じゃあ、お互いに魔法をかけあうとか?」
「……ないなー」
「ないの?」
「キミの魔法は、なんか種類が違いそうだし」
「おっと。俺が使える魔法は、“恋の魔法”しかないからね」
「ほら。そういうのじゃないの」
 どうしてそっちに行っちゃうのさ、と。渋い顔で苦言を呈して、海羽は溜息をついた。
 笑って終われる、けれど。レンは内心、少しだけその“恋の魔法”をかけてみたいと思っていた。
 かけてみたい…かかってほしい、かもしれない。
 かかったところを見てみたい。
 もちろん、そんなことは一言だって言えはしないが。
「差し入れ、ありがとう。キミとはあまり話をしたことがなかったから、少しでも話せてよかった」
「そっちが俺を嫌ってるから、話しかけない方がいいかなと」
「まぁ、好きか嫌いかと聞かれれば嫌いなんだけど」
 嫌味ぽく言ったら、ストレートに返された。
 レンは、その時自分がどんな表情をしたか、わかっていなかっただろう。
 見た海羽が、少しぎょっとしたぐらい、寂しそうな顔だった。
「…まぁ、これからは、ちょっとだけ考えを改めるよ。ボクを女の子扱いするのはほんとに遠慮するけど、クラスメイトとしては、話をしたり、…してもいいかな」
 つい、そう言ってしまうぐらいには。
「シュークリーム、もらっちゃったしね。あ、別に、餌付けされてるとかそんなんじゃないからね」
 わざわざ断りを入れる、その言い方と内容がなんだかとても。
「…ツンデレだったんだ?」
「っ、このボクをそんな萌え属性でくくらないでくれる?!」
 一瞬でも、気を使った自分が馬鹿だった。
 海羽は心でそう叫び、
「もう、嫌いだよキミなんか。やっぱり大嫌いだ。帰って帰って!」
 シッシッ、と手でレンを払って。海羽は、鍵盤に向かう。
 レンは声を上げて笑い、
「なんか、意外な一面見た気がするね」
 その後の一言は、さらに機嫌を損ねそうだったのでひとまず飲み込んだ。
 もう、海羽はレンのほうを見ない。
「はいはい、帰りますよ。ったく、この俺が、こんな密室でも指一本触れないとか、すごいことなんだけど」
「ボクは女の子じゃないんで。ほら、集中したいんだから!」
「…はいはい」
 じゃあね、と。手を振っても、海羽は振り向かない。
 これは完全に怒らせたな…そう思いながら、レンはこの部屋から出ていく。



 ドアを閉めてから。
 少しの間、レンはその閉じたドアを見つめていた。
 この向こう、“魔法使い”の異名を持つ作曲家がいる。
 思いがけず、いろいろなことを知れた。
 デビューに興味がないこと。
 案外、他人に優しいこと。
 男嫌いを自負しているが、思いやってはくれるようだ。
 友達になれれば、それはそれで他の女の子たちとは違う関係を築けそうではある。
 けれど、一番印象に残ったのは、
「…ちょっと、可愛いんじゃないの」
 普段は他の生徒たちに比べ、少々年上だし、男として振る舞ってもいるせいか、落ち着いた雰囲気を纏っている。
 でも。
 もしかすると、素はむしろ幼いぐらいなのかもしれない。
 会話が進むにつれ、慣れていくのが目に見えてわかった。そして、そうなってくると、少しずつ口調が柔らかくなって。
 意地を張っているようなところは、ガクンと精神年齢が下がった風にも思えた。
「なにこれ。ギャップ萌えとかいうやつ?」
 くくっ、と笑って。
 レンは、踵を返して歩き出す。
 …内心、『これはもう茶化すしかない』と思った。
 
 出来上がってくる曲に、一体どんな歌詞をつけてやろうかと思いを巡らせながら、ドアの向こうにエールを送る。
 “魔法”…なるほどな、と苦笑しながら。









2013.05.11 初アップ/2013.11.13 第一改訂