寮の同室者が、ずいぶん浮かれた様子で言っていた。
 『早乙女さんと、お友達になれました』
 と。
 よかったな、とその場は言ったけれど。
 実際、本当なんだろうかという疑念がありはした。
 クラスメイトの早乙女海羽は、言ってしまえば“男嫌いの女好き”だ。そうそう、男友達を増やすと思えない。
 けれど。同室の彼が、“早乙女海羽という作曲家のファン”であることを、知っている。彼女の楽曲を、どんな短いものでも一曲残らず学内データベースからダウンロードしてきて聞き込んでいることを。
 そのことを伝えた上だとしたら、お友達くらいには、なれたのかもしれない。
 彼女は、なんだかんだで面倒見がいいのだ。
 寄せられた好意を、頭ごなしにはねのけることは、できないだろう。





Episode.06 君の音色





 実技実習の時間が少ない分、作曲家コースはひたすら課題をこなすらしい。
 とにかく、次から次へと課せられていく。
 人によっては、アイドルコースの生徒から楽曲提供を求められている場合もあるから、これはもう“仕事がブッキングした場合のペース配分を学べ”とか、そういうことなのだろう。
「海羽、なにやってんの?」
 課題提出期限の一覧を、スケジュール帳を見ながら書き出していた海羽のところに、翔がひょこりと顔を出す。
 先日のユニット課題の件もあり、この二人は最近結構仲がいい。
 はた目には、どう見ても姉弟だが。
「スケジュール帳がわけわかんないことになってきたから。ちょっと出してみてるんだ」
「へー…って、なにこの多忙っぷり」
 スケジュール帳は、色分けはされているがはっきり言ってびっしりだ。
 その中から、海羽は提出期限が近いものから別紙に書き出しているわけだが、毎日何かしらかの締切がある。
「げ、作曲家コース、こんなに課題でてんの?!」
「ボクたちは、バラエティ講習とかない分、曲を作れって言うのが出るからね。とにかく、バンバン作るよ。けど、実質一分ちょっとくらいの、ワンコーラスだけのとかがほとんどだからね。CMとか、サントラとか、そういうの想定してるんでしょ」
 作曲家の仕事は、大半がそんな感じだから、と。
「まぁ、ボクの場合は、授業受けられない分の埋め合わせもあるからね。他の人が一曲でいいところを、複数曲求められたりもしてるから」
「あー、学園長の呼び出しとかあるもんな」
「ほんと、学校行けって言ったのはあの人なんだけどな。結局ボクをどうしたいのさって」
 割と容赦なく、海羽は学園長に呼ばれる。そのたびに、授業を欠席したり、ひどい場合は早退したり。
「どんな用なんだ?」
「大したことないよ。『ご飯作って』とか」
「うわ。迷惑な。食堂行けばいいのに」
「ボクの料理がいいらしいよ。そう言われると悪い気しないから、しょうがない作るけどね」
 ボクにとっては、大事な家族でもあるから。
 そう言って、海羽は肩をすくめた。
「…けど、ここまで詰まるとちょっとキツイね。ネタ拾いにも出られないし」
「ひらめきだけで作るのも、限界があるもんなぁ。作詞だってそうだし」
「ストックがないわけじゃないから、多少は何とかなるけどね」
 延々と課題の提出が続いているその紙を眺めて。
 海羽は、
「よし、やっぱ明日しかない」
 ぱしん、と。ペンを叩きつけるように机に置いて、頷く。そして、
「来栖」
「ん?」
「デートしよう」
 ざわっ。
 海羽の発言直後、周囲の空気が波打った。
 まだ、教室内にはかなりの生徒がいて。皆、自分の耳を疑う。
 翔も、ずざっと後退りしている。
「…あれ。だめ?」
「いや、ダメとかそういうんじゃなくてよ。なんか、相手間違ってねーか?」
 そう言いながら、翔はちらりとあたりを見回すが。残念ながら、思い描いた相手がいなかった。
「え、そうかな」
「まず、俺は女じゃねーし?」
「そんなことはわかってるよ」
 また、ざわっと周囲が波打つ。
 海羽が、海羽様が。
 女の子以外を誘うというのは、これぞまさに青天の霹靂。
「…トキヤとかはだめなの?」
 このクラスで、おそらく一番海羽と時間を共有している人物の名前を出してみる。
「だってあの子、バイトあるでしょ。今日だって、さっさと帰ってるし」
 すでに、彼の席はカラだ。
「あぁ、そうか。ってか、トキヤがあいてればトキヤ誘うのか?」
「いや、それは違う。行き先からして、来栖のほうが有益だと考える」
 海羽は、ニコッと笑って、
「早乙女キングダムに行ってみたいと思ってて。ボクは遊園地とか、ほとんど行ったことないんだ。それで、来栖あたりは結構詳しそうだなって」
 そんなことないの? と。首を傾げる海羽に、
「なんだ、そういうことか。まぁ、確かに、ちょこちょこ行ってるけどさ。遊びにって言うより、あそこって野外ライブ用のステージあるから、パフォーマンスの実習かねて、たまに枠もらってダンスやったりしてる」
「そうなんだ、そういうのもあるんだね。楽しそうだなぁ」
「…アトラクションに興味あるんじゃねーの?」
「うーん、それはあんまり。雰囲気がわかればいいかな。もちろん、話のタネにいくつか挑戦してみようとは思ってるけど。来栖の都合がよければ、ぜひ案内してもらいたいなと。もちろん、チケット代とかは一切合財ボクが持つから。来栖は、来てくれるだけでいい。どうかな?」
 その提案が“デート”という括りでいいのかどうかはややもち微妙ではあったが、行かない、という理由にするにはだいぶ弱く。
 翔は、
「んー、じゃあ、うん。いいよ」
 ニカッと笑って返事をする。海羽も、
「よかった。ありがとう」
 負けじと“海羽様スマイル”で応酬し、やはりどこか少し違う方向から悲鳴が聞こえたりしていた。
 ギャラリーはクラスメイトの半分ほど。このことが同室の彼に知られるとちょっと面倒かな…と。ふと、翔の思考をよぎる。
 けれど、約束してしまった以上、もうどうにもならないわけだが。






 翌日はやや薄曇り。おかげで、案外涼しい日になった。
 待ち合わせは、現地エントランス前。
 時間の十分前に到着した翔は、えーっと、と周囲を見回した。
 チケット売り場の傍、園内の案内看板の前…に。
「…え?」
 身の丈と異常なほどの髪の長さ的には海羽っぽいが、輪郭というか、外観というか、ファッションというか。いろいろなものが『これは海羽っぽい別の人では』と思わせて、声をかけるに至らせない。
 一応、なんとなく近づいていくと。向こうが翔に気づいて、軽く手を振ってきた。
「マジか!」
 つい、声を上げてしまって。周りの客たちの注目を集める。
 しまった、と思いつつ、帽子を目深に被って。
 案内板の前にいる、彼女のところへ行く。
「おはよう、来栖」
「わ、悪ィ。一応早く来たつもりだったんだけど。待たせた?」
「ううん、さっき着いたところだよ」
 にこっと、やっぱり“海羽様スマイル”…と思ったが、今日はどこか違う印象だ。
「…どうしたの?」
「い、いや。その。…ちょっと、その。見慣れないッつーか」
 ちら、と。翔は、海羽を見て。
 海羽は、うん? と首を傾げながら、
「…変?」
 ぴっと立って、両手を広げて。その場でくるんと回って見せる。
 翔が、海羽の格好について物言いたげなのだと気づいたからだ。
 本日の海羽様は、白い長そでのブラウスにリボンタイ、黒のベストにショートパンツ。残念ながら生足ではなく、黒の夏用タイツをはいて、踵低めのショートブーツという、まぁシンプルだが、およそ普段の海羽からは想像のつかない姿。肌露出は相変わらず皆無に等しいが。
 髪も、緩い三つ編みでひとまとめにされている。
「現在の身長差はもう、どうしようもないからさ。見た目がそこそこ可愛くなればと思って、こんな感じでやってみました。遊園地だからスカートじゃない方がいいだろうし、ショートパンツにしたけど足は出せないからこれで妥協。やっぱりちょっと、黒すぎたかな? 小物で赤とか金とか入れてみたけど…ダメなら、出直してくるけど」
「や、ダメじゃねぇ…けど、なんか、…」
 直視できない。
 海羽は、顔もいつもと雰囲気が違っていて。ほんの少しだが、化粧をしているのだとわかる。
 ただでさえも美人の部類なのに、化粧をしたら目に見えて可愛さが加わるとか、どういうことだろう。
 このルックスでアイドルコースじゃないと言うのが納得いかないほどだ。
 …そして。最大の違和感の原因に、今。翔は気が付いた。
「海羽。……お前もしかして、学校にいる間って、サラシとか巻いてるの?」
 これを口に出して訊いていいものかとは思ったが。
 海羽は、あぁ、と笑って、
「うん。だって、その方がシルエット綺麗かなと思って」
 そんな理由で? と。さすがに口にはしなかったが顔には出ていた。
 女性ものの服を着て、しかも今日のようにわりと凹凸がでるようなものを着るとよくわかる。
 はっきり言って、サラシなどでつぶしてしまうのはもったいないにも程があるサイズ。
「く、苦しくねぇの? いや、俺さすがにわかんないし」
「んー、苦しいのは苦しいよ。けど、男装するわけだからそのへんは」
「作曲家コースがそんな、必要ねぇじゃん」
「ボクの美学なの。えー、なに? やっぱり、この格好ダメ? 男装のほうが良かった?」
「んなわけねーだろ」
 むしろ、こんな外見だけでも“ごちそうさまです”と言いたくなるぐらいだ。
 頭が小さいから、頭身が高く見える。もちろん身長もあるが、手足も細く長い。全体的にすらりとした印象。顔のつくりは綺麗系だが、ふとした表情が柔らかくて、可愛らしくもある。
 本当に、何故にこれほどまで要素がそろっているのにアイドルではないのか。
 そして、こんな誰もが羨むだろう彼女が、自分の隣にいていいのだろうか。
 けれど海羽は、
「…んー。やっぱり、出直してくる。ゴメン、先入ってて。はい、ワンデーパス」
 すでに買ってあったパスを翔に渡すと、駆け出そうとした。
「あっ、こら、待てって! ダメじゃないって言ってるだろうが!」
 慌てて、海羽の腕を掴んで引き留める。
「だって。なんか、納得いかない顔してるから」
「そりゃ、予想の斜め上行かれりゃぁな」
 腕を放して、翔はその手を腰に当てる。
 海羽は、もう一度自分の姿を見下ろした。
「ななめって。そんなに?」
「いや、正直、もしかして俺が女装するのがいいのかなと思ってたから。来るまでは」
「…そういうパフォーマンスを求める場合は、先にちゃんと言うよ? おじ貴じゃないんだから」
「あぁ。もちろんだ。ぜひそうしてほしい。っつか、そうでなくてだな」
「ボクが女装したのがそんなに意外ってワケか」
 ピンポーン。そんな効果音が聞こえそうな正解。
 少なくとも、学校でしか接点のない翔には、海羽のこんな姿は想像すらしたことがなかった。
「デートって言ったのはそもそもボクだし。それらしい格好のほうが、来栖は居やすいかなと思って。ちょっと、図体でかいのはホントに申し訳ないけど。ハルちゃんみたいくコンパクトでほわほわっとしてて可愛ければ、まだよかったんだけど。そこらへんは、我慢して」
 ゴメンね、と。謝ろうとした海羽に、
「…あのさ。海羽」
 改まった風に、翔は。
「海羽はさ。普段男として振る舞ってるし、まぁ確かに女にしては背も高いほうだから、そうやって自分のことを卑下するのかもしんないけどさ。ちゃんと可愛いと思うぜ?」
「…またまた」
「や、茶化すなって。真面目な話だよ。海羽、キレイな顔してるし。今日みたいに女物の服着て、ちょっと化粧して、…いや、化粧はしなくても。何着ててもお前は可愛い。美人だ。そのぐらいの自信は持ってろよ。認めたくないかもしんないけど、…まぁ、せめて今日だけは」
 顔を真っ赤にして言いながら、海羽に手を差し出す。
「デートなんだろ。手ぐらいつなごうぜ」
「…えっと」
「ほらっ。さっさと行くぞ!」
 ためらった海羽の手を、翔は強引にとって。
「それと、俺が“海羽”って呼ぶのにそっちは“来栖”とか、おかしいから。“翔”って呼ぶこと!」
「う、うん」
「前から思ってたけどな」
「…ん。ごめん。今日から、翔って呼ぶね」
「おう」
 
 入場ゲートに入っていく二人を、周囲の大半が『カッコカワイイ姉弟だな』と微笑ましく思っていたというのは、当人たちは知らない、知る由もないことである。





 早乙女キングダムのアトラクションは、どれもひとひねりもふたひねりもある物ばかりで。
「お、じ貴っ…!」
 ぜぇぜぇ言いながら、海羽が憎々しげに呟くのも十分に納得のいく内容。
「さすが、基本はアイドル養成のためのシミュレーションってわけか。体張る系のバラエティとかのためには、有効なの、カモ」
「いや、それもあるだろうけど、とりあえず海羽が“遊園地初心者”なのは十分わかった」
「へ?」
「…スピード系、よそう。実はあんまり楽しくないだろ」
「そ、そう?」
「自分がどんなの好きかもわかんないぐらい、初心者なんだなって。顔色悪いし」
 座ってろ、と翔は言って、近くのベンチまで手引く。
「ん…ゴメン、ありがと」
「なんか飲み物買ってくる。…ったく、飲食までフリーになるパス買っちゃうんだもんな」
「え? 普通そうなんじゃないの?」
「まるっと奢られるのは、ちょっとな」
「そう…難しいね。でも、今日はこっちが誘ったんだから」
 気にしないで、と笑う彼女を見て。翔はフクザツそうに唇を尖らせる。
「…なんでもいいのか?」
「コーヒー以外で」
「らじゃ。おとなしく座ってろよ!」

 駆けていく翔の背中を、海羽は見送って。
 ふぅ、と吐息する。
「十五歳って、言ったっけ…」
 小柄なことを気にしている。そのせいもあってか、男らしさというものにこだわっている節がある。
 機転も小回りもきく、頭の回転も速い。
「…重ねちゃうのは、どっちにも失礼なんだろうなぁ…」
 ふふ、と。笑って。
 閉じた瞼の裏に、懐かしい姿を映した。
 翔を見ていると、どうしても思い出してしまう。ただ、今はもうあまり鮮明ではない記憶。
「…一緒に、来たかったねー…」
 ぽそ、と。海羽は、誰かの名前を呟いた。


 同じ頃。
 最寄りの売店で、飲み物を選んで。
 パスをかざす端末に、それを近づけて。
「そりゃ、六歳違うからさー」
 つい、呟いてしまう。
 確かに、一切合財もつ、とは言っていたけれど。本当に、まるごとなんて。
 乗り物だけならともかく、園内のすべての会計に使えるこのパスは、お買い得だがお安いわけではない。使い倒してこそ価値のあるものだ。
 わかっていての選択なのか、奢ると言った手前なのか。とにかく、“デート”の名目である以上、男としてのプライドが刺激される。
 相手は成人しているし、あの様子ならなにかしらの仕事もしていたのだろう。
 この展開は当然、かもしれないが。
「甘えすぎたくないッつーか」
 海羽が、翔を“年少者として”見ているというのはもう十分にわかっている。
 それは、どうしようもないことだろう。
 実際彼女はクラスの中でも年長者で、同学年の生徒であることに違和感を覚える時もあるぐらいだ。
 教師たちと親しいせいもあり、やはり括るならそちら側。
 普段から落ち着いているし、余裕もある。
 到底、敵いやしない。
 その上、音楽家としても鬼才天才としか言いようがない。譜面を読めないとか書けないとか、それ以前の問題だ。
 天賦の才能、というのは、ああいうのを言うのだろう。
 それなのに。
「なんでなんだろうな。海羽…」
 気づいたことがあった。彼女と一緒に課題をやり、その演奏を身近に感じてから。
「お前の音楽は、なんか寂しいんだよ…」
 全部じゃない。
 違いがあるのだとしたら、ある一人の存在。
 それがわかったから余計に、今日だって。
 自分ではなく、…トキヤとがいいのではないかと思った。
 海羽の音楽は今、大きく揺れている。
 惑っているのではなく。
 その人が歌うか否かで、基礎パラメーターが違う感じがするのだ。
 おそらくそのことに、本人は気づいていない。
 海羽が作るのは、どの曲もいいと思うのに。
 トキヤが歌うのではない曲に表れる、あの虚無感は…一体なんなのだろう。



 翔がドリンクを手に戻ると、ベンチに座っている海羽はぼんやりとどこかを眺めていた。
「海羽」
 呼びかける。振り向いた彼女は、さっきよりは顔色もいい。
「おかえり」
「ただいま。オレンジでよかった?」
「うん。ありがとう」
 受け取って、笑顔。
 また。印象が違うと感じた。
 化粧でも衣裳のせいでもない。
「…海羽?」
「んっ?」
 上目使いが、少し新鮮だ。
「いや。なんか、雰囲気違くなってるから。疲れたのかなって」
「んー。運動不足だからね」
「や、いくらも歩いてねェ」
「刺激不足、かな」
「……それは、わからんでもない」
 乗ったアトラクションは、どれも刺激というか無茶苦茶だというか。
 これは、一般人にはツラくなかろうかというものもあった。
「そういや、海羽はなんで早乙女キングダムに来たかったんだ?」
 座んなよ、と海羽に促されて、翔は彼女の隣に(少しだけ距離をあけて)座って。そんな問いかけを投げた。
「んー。遊園地がどんなところか見たかったんだよね。だから、場所は実際どこでも良かったんだけど、早乙女キングダムなら近いしと思って」
「…誤解のないように言っておくが、普通の遊園地は、アトラクション、もっとおとなしいからな」
「そうだろうね。おじ貴は派手好きだし、やるからにはとことんってタイプだから」
 そう言ってから、海羽は少し黙って。
「ネタ拾い、も、もちろんなんだけど。気晴らしもね。ボクは今、ちょっと悩んでて」
「悩み? 俺でよければ、聞くぜ」
「いや、この悩みは、たぶん、ものすごく呆れられると思うんだ。翔に嫌われるとツライなぁ」
「きっ、嫌わねぇよ」
 つい、かっと赤くなってしまうのを自覚しつつ。翔は、言って。
 海羽は、
「ありがとう」
 そう返してから、
「…夢の見かたをね、知りたくて」
 ぼそりと、言った。
「夢?」
「そう。夢。アイドルになりたい夢。あこがれの人に曲を作りたい夢。そういうの」
「…ないのか?」
「ほら。呆れた」
「いや、違うし。呆れたわけじゃない。ただ、それがなくても早乙女学園に入ったのかって」
「おじ貴の希望だから。ボクに拒否権なんてない。ボクのためだと言われて、嫌だなんて言えない。けど、ボクを音楽の世界に閉じ込めたいなら、それはもうとっくにしてもよかったことなのに」
 それは確かにそうだろう。翔にだって理解できる。
 海羽の実力は、すでに“学生になって学ぶ”の領域は越えている。学ぶとしたら、理論であるとかそういうことだろうとも思うが、海羽自身の音楽性に、そんな理屈は必要ないように思う。
 彼女は、感じたままの音しか出さない。
 理由や理屈で裏付けなければ輝けないようなものは、はなから受け付けないだろう。
「おじ貴が弾けっていうなら、ボクはどんな音楽だって奏でるよ」
 けれど、
「海羽。夢の見かたを、知りたいんだよな?」
「ん、そう」
「つまり、海羽は、…夢を見たいんだよな」
「……それができるようになると、少しはボクの音楽も、綺麗になるのかなって」
「いや、お前の音楽はもう綺麗だよ」
「それは」
「けど、…綺麗な、だけ、かも」
 これを言って、海羽は気を悪くしないだろうか…そうは思ったが。
「批判じゃない。同じ、音楽の世界にいるヤツの客観的意見として聞いてほしい」
 翔の目は真剣で。海羽も、真面目な顔で頷いた。

「個人的なことを言えば、俺は海羽の音楽って結構好きだ。こないだレンやトキヤとやったユニット発表の課題の時も、海羽の曲は歌いやすいし踊りやすいし、すっと体になじむ感じで気持ち良かった。でも、他の曲はなんかちょっと、足りない感じがした。これは多分、技術的なもんじゃないんだと思う」
 小手先の技巧ではどうにもならないものが不足している。
 海羽は、
「それは、おじ貴にも言われてわかってる。ただ、その足りないものの中に、ボクは“夢を見る”っていうのが含まれてると考えてるんだ」
「それもそうだろうな。あと、海羽、…けっこう見栄っ張りじゃないか?」
 翔の指摘に、つい。海羽は視線を逸らしてしまう。
 自覚はあるようだ。
「そういった意味でも、“綺麗すぎ”なんだよ。整いすぎてる感じがする。ソツなくまとまってるけど、それって、表現する側としてはちょっと難しいんだ。なにひとつ譲られないから、こっちのカラーが出ない。出そうとすると、曲の世界を壊してしまう。しかも、海羽の世界は結構カタくて、よっぽどねじ込んでいかなきゃ、他の色なんか入りゃしねぇ」
「頑固者ですみません…」
「いや、頑固っつーか、なんていうのかな。隙がないっていう言い方でもいいと思う。遊びがないわけじゃないけど、そこまで計算されつくしてる気がして。演じ手である俺たちは、一体感までコントロールされて、突き抜けられない窮屈さがあるんだ」
「窮屈…」
「あ、感じ方は人によるから、鵜呑みにはすんなよ? ただ、俺は、もっとはっちゃけて、多少穴が開いてるぐらいのでもいいんじゃないかって。そこを埋めて完成に導くのが、俺たちなんだし」
 もちろん、歌唱の入らない曲なら海羽の世界でがっちりでもいいのかもしれない。
 そうとも言ってから、翔は、
「冷たいんだ。海羽の曲って」
 少し低く、言った。
 『冷たい』
 びく、と。海羽の肩が震える。
「綺麗で、キラキラしてる。でも、そのどれもに、温度を感じない。機械的って言うか、ガラスみたいって言うか、とにかく寂しくなる。それが海羽らしさかもしれないけど、トキヤが歌う曲にだけは、その冷たさが和らいでるのがわかる。だから、らしさって言うよりは、…」
 言葉が止まる。
 翔は、海羽の顔を覗き込むように伺って。
「海羽自身が、寂しいんだろうなって思った」
 継いだセリフに、海羽は。顔を隠すように掌で額を抑えた。
 図星かな、と。翔は思う。
「海羽は、クラスの奴らより歳も上だし、シャイニング早乙女の縁続きってことで、余計なプレッシャー背負ってるって思う。ちょっと、浮いてもいるし。でも、海羽の音楽が温度を持たないのは、それとは別のところの話しだろ。さっき言ってた、『夢を見たい』って言うのは、海羽がその夢ってやつが持ってる熱を欲しがってるからってことだ」
「…うん」
「夢も目標もなく、早乙女学園に来たってだけで俺も驚くし、…実はちょっと、ふざけんなって思ってもいる。だってよ、あれだけの実力があるのに、そんなのどうでもいいって言われるとさ、努力してるやつらはカチッとくるって。けど、海羽は奏で続けてるし、学園長の意向があってもなくても、たぶんそうするんじゃないかと思う。海羽は、…本当は音楽するの好きなんだろ?」

 海羽の口ぶりはいつも、仕方無げだった。
 やれと言われるからやっている、と。
 けれど、今。彼女は、“夢”を欲している。
 それは、高みを目指すためのエネルギーではないのか。

「この“好き”は、黙ってる必要ないじゃんか。夢ってのはな、海羽。好きの延長上にあるもんなんだよ。だから、夢を見たければ、まずは好きって気持ちに素直になれ」
 言い切った翔を、海羽は。
 顔を隠していた手を外して、じっと見つめて。
 それから、小さく溜息をついてから、
「…じゃあ、さっそくひとつ、素直になってもいい?」
「え? お、おぅ…」
「大好きだよ、翔」
 その告白には、とびっきりの“海羽様スマイル”が付いてきた。
「っな! いや、っ、え?!」
 不意打ちを食らい、真っ赤になって慌てふためく翔を見て、海羽はふふっと笑う。
「以前から、キミのことは好ましいと思ってた。でも、今日のはもう、やられたとしか言いようがない」
「だからって、そんな、だ…いすきとかって」
「黙っていられないほどキミを好きだと思ったから、ちゃんと伝えただけじゃないか。…あぁ、そうか。ボクからの“好き”は、迷惑なんだね」
「言ってねぇ!」
「じゃ、受け取っといてよ」
「……わ、かっ、た」
 耳まで赤くなった翔が、絞り出すようにその承諾を口にして。
 海羽は、もう一度微笑むと、
「さ、続き行こう。せっかく来たんだから、いっぱい遊んでいかなくちゃ」
 すっと立ち上がって、翔に手を伸ばす。
 翔は、一度深呼吸をすると、
「よし。行くか!」
 海羽の手を取った。






 帰りは、同じバスで。
 すでに思い出となった、今日を振り返った。
 学園前のバス停で降りる。
『明日学校じゃなかったら、ナイトパレードまで見て行きたかったね』
 寮までの道のり、夕焼けの空の下で。
 海羽が言った言葉に、翔は、そうだな、と合わせた。
 楽しかった、そう言っていた。
 でも    
 女子寮のエントランス前で、海羽は『今日はありがとう』そう言った。
 ありがとう。
 ごめんね。
 この二言は、海羽の口癖なのではないかと思う程によく出た。
 感謝と、謝罪と。
 それが、もどかしくて。
 直後の翔の行動は、さぞかし海羽を驚かせただろう。
 翔は、海羽を抱きしめていた。
 そこが学園の敷地内で、女子寮の前で。いつ誰に見咎められるともしれない場所だとわかっていながら。
 海羽のほうが、翔よりもややもち背が高いものだから。絵になる、という風にはいっていないだろう。
 けれど、そんな見た目もどうでもいいくらい、翔は。
 そうしたかったのだ。
『…海羽。ほんとに俺のこと好きか』
 海羽の戸惑いは、あからさまに。震えになって、翔に伝わる。
『なんで、態度変わったんだ? お前が俺に“大好き”っつってから、お前は“海羽様モード”になってた』
 ちゃんと気づいていた。
 “海羽様モード”は、彼女特有のものだ。役に入っている、仕草や言動の隅々まで計算された、彼女のよそ行き。
『それが、素直になった結果なのか? 俺のこと大好きって、なのに一線引いてるみたいな接し方されたら、こっちだって傷つく』
 ごめん、と。海羽が呟く。
『謝るぐらいなら、初めから距離作んな』
 もう一度、ごめん、と。そう言った時の海羽の声は、泣き声のようになっていて。
 今度は翔のほうが驚いて、少しだけ離れた。
 見えた、海羽の表情は。
 涙を堪えている、笑顔とも言えない。
 翔の指先が、海羽の頬に触れようとして。
 彼女は、それを。半歩身を引くことで、回避した。
 触れられたくもないのか    そんな、鈍い思考が翔の中に沈む。
 海羽は言った。
『ごめん、翔。…やっぱりボクは、ダメなんだ』
 今度こそ、微笑んだ。それと同時に、涙がこぼれる。
 翔は海羽の名を呼んだが、彼女は、彼の両腕をそっと掴むと、ふわりと近づいて。翔の左頬に、唇を寄せた。
 離れる直前に、
『大好き。けど、信じなくていいよ』
 そう囁いて。
 翔から離れるのと同時に、腕も離して。
 表情も窺わせず、踵を返した。
 海羽    強く呼んでも、彼女は振り返らず。そのまま、寮の中に行ってしまった。
 追いかけ、ようとした。でも、足が動かなかった。

 
 それから、翔が寮の自室に戻ったのは、少々の時間が過ぎてからだった。
 同室者が不在だったのは、本当にラッキーだと思った。
 土産を、同室者の机の上に置いて。
 自分のベッドに転がる。
「…海羽」
 多忙の中、合間を縫って遊園地に行って。
 悩みがあると言って。
 彼女は、『夢の見かたを知りたい』と欲した。
 だから翔は、翔が感じている海羽の音楽性と、おそらく彼女が抱えている“病”とも言える欠陥と。
 そして、翔なりの夢の見かたを提示してみた。
 その途端、彼女は翔を遠ざけた。
 大好き、と言いながら。
「なんなんだよ、お前…」
 左頬。まだ、思い出せる。
 海羽の唇は、少し冷たかった。
「ダメって、なんなんだ…」
     何か、事情があるのだろうか。
 夢を見たいと願うのに、その一方ですでに諦めている。
 海羽の行動は、訳がわからない。
 本当は、どうしたいのか。
 どうなりたいのか。


 翌日、教室にいた海羽は、いつも通りの“海羽様”で。
 翔には、おはよう、という一言以外、何も言わなかった。
 昨日の出来事は、すべてなかったことになっているのかように。
 翔もまた、あえて言及することはなく。
 二人の距離は、どこか不自然にひらくばかりだった。







2013.05.11 初アップ/2013.11.11 第一改訂