その校内放送が入ったのは、授業の真っ最中だった。
【ぴんぽんぱんぽーん】
 チャイムを肉声ですることに意味があるのだろうか。
 海羽は、イラッとした様子でペンを握りしめた。
 声は、当然と言うか…の学園長だ。
【ミーウー。ちょっと来なサーイ】
 用件はそれだけのようで、またチャイムを肉声で言って放送は切れた。
「…場所言わなかったが、行けるか?」
 教壇の上。龍也が、海羽を窺う。
 クラス中が注目する中、
「悲しいことに、ボクにも多少は同じ血が流れてるもんだから」
 海羽は、吐き捨てるように言って。机の上に出している教材を片付けて、鞄を手に立ちあがった。
「早退だな」
「っつか、自分で『入学しろ』とか言っといて、授業受けさせないとかホントなんなの」
「…心中、お察しするよ」
「まぁ、用件は想像つくし。問題は、…ボクの部屋に入るものだといいんだけどってとこかな」
「……あぁ。そうか。今年、遅くないか?」
「どうせ当日は避けてるんだから。もう、いつでも一緒デス」
 オツカレサマ、と言って。海羽は教室から出て行った。
 



Episode.08 Re-birth(前編)





 さしあたり、学園長室だな。
 そう思って、その扉をノックする。
 案の定、『ハイッテマース』と聞こえてきて。
「おじ貴、大概ワンパターン」
 海羽はドアを開けた。
 学園長室には、その所有者たるシャイニング早乙女だけがいて。
「…なんだ、早退にしたのか」
 帰り支度をしてきているのを見て、少し驚いたような口調で言う。海羽と二人の時は、シャイニング節は出ないらしい。
「え、よかったの? あんな風に呼んどいて」
「手短に済ませるつもりだったからな」
 だったら、授業中に校内放送で呼ぶこともないだろう。海羽の眉間に、ぎゅっと皺が刻まれる。
「でも、まぁ、かけなさい」
 応接セットのソファに、海羽を促して。
 彼も、向かい側に座った。
「…ミウ」
 不意に、呼ばれて。
 海羽は、
「改まって。なに?」
 サングラス越し、おじの眼差しは優しさと厳しさを帯びて。
「先日、来栖翔がここに来たぞ」
「…翔が?」
「お前のことを聞かせてほしいと言われた。…誤魔化しておいたがな」
 海羽は、あぁ、と呟いて溜息をついた。
 おかしな別れ方をして、そのまま気まずくなってしまったからだろうか。直接聞けないからでも、まさかこのおじに直撃するとも思っていなかった。
 その様子を見て、おじも吐息する。
「あの子は聡い。そして、友想いだ。お前の我儘で振り回してはいかんぞ」
「わかってるよ」
「…似ているから、お前が来栖に寄りたくなるのもわかるがな」
 びく、と。海羽は震えて。
「やっぱりそうなんだよね。あの子、たぶんすっごく似てるんだ。あの子といるとなんだか懐かしくて、でも違うってわかるから、勝手に絶望して。この間、もうまさに振り回しちゃって。悪いことしたなぁって思ってるんだけど、へたに近づくと暴走しそうな自分がいて。なるべく離れてるけど、ちゃんと謝れてない」
 ソファの背もたれに、埋まるように寄りかかる。
「って、もしかしてお説教? ほっぺチューもダメなの、あの校則」
「禁じているのは“恋愛”だ。友愛は構わん」
「びっくりした。ボクのせいで翔まで退学とかになったら、そんなのもう償いようがない」
「そもそも、片思いは禁じていないからな。越えてはならないラインは、…お前はもう、心得ているだろう」
「…うん。輝けるものを邪魔したりしない」
 と、言ってから。海羽は、ちらりとおじを窺い、
「別に、そういう意味で翔に『大好き』って言ったわけじゃないよ?」
 どうせ、なにもかも筒抜けているのだろうからと。
 おじは、小さく笑って、
「わかっている。だが、周りの生徒たちへの影響も考えて、軽はずみな言動は慎みなさい。お前は年長者だ」
「模範となれ、って? おじ貴、ボクがそういうのと違うってのはわかってるでしょ。みんなのほうが、ボクの模範さ」
「…否定はせん。そのための入学だ」
 そう言いながら。おじは懐からすっと何かを出した。そしてそれを、海羽に。
「アレ。誕プレだと思ってたのに。違うの?」
 受け取った海羽は、そのモノを見て首を傾げる。
 おじが出してきたのは、どうやらDVD-ROMのようだ。それも、派手好きのおじがくれるにしてはずいぶんシンプルな、ただ『Re-Birth for MIU』とだけ書かれているディスク。
「誕生日プレゼントは、別に用意してある。だがその前に、これを渡さなくてはと思ってな」
「用意してあるんだ…そろそろいいのに。ボク、成人したんだから」
「成人しようがしまいが、関係ないだろう」
 愛情だよ、と。そう言われては、いらないと突っぱねるのも気が引けてしまう。
「それで? このディスクは?」
「見ればわかる。お前に必要なものだ。持っていきなさい」
 そう言われて。海羽は、ふぅんと鼻を鳴らして、ディスクを鞄にしまった。
「今学期の最後に、二学期以降の卒業オーディションに向けたパートナー選びをする。それまでに見ておきなさい」
「…参考になるようなものなの?」
 何かの資料だろうか。でも、それをいくら身内だからと海羽だけが見るのは何か違うと思える。
「百聞は一見にしかず、だ。だが、なるべくなら、最初の一回は一人で見なさい。その後で、人に見せるかどうかを自分で決めればいい」
 そう言って、おじはソファから立ち上がった。
 海羽も、よくわからないという顔をしながらも立ち上がる。
「もう、すぐに見ていいの?」
「構わんが」
「ふぅん。じゃあ、視聴覚室使うね」
 海羽は、そのまま学園長室を出て行った。
 背を向け、窓ガラスに映る姿を見送ったおじは、ドアが閉まると深く息をつく。
 視聴覚室。
「…校内では、見ない方がいいと…教えてやるべきだったか…?」
 呟いてから。自嘲気味に口元をゆがめる。
 甘くていかん、と。





 一時間後。
 海羽は、ぶるぶると震える手でディスクを回収すると、鞄をひったくる様に取って視聴覚室を飛び出した。
 校内は放課後に突入していて、廊下で生徒たちとすれ違う。
 俯いて、足早に廊下を行く海羽を、他の生徒たちが避けていく。
 海羽様、と声をかける女生徒もいたが。今の彼女には、返事をする余裕もなかった。
 そんな、中で。
 ついに海羽は、誰かとぶつかった。
「っ、すみません…」
 とっさに謝ったが、相手が誰かは見ていなかった。
 よろけたのは海羽の方。けれど、衝撃で何かが落ちる音がした…それは、相手の持ち物だった。
 拾わないと、と思って。音がしたあたりを見て、海羽の動きが止まった。
 床に落ちているのは、細いフレームの眼鏡。
 見覚えがあった。
 もう一度、海羽は眼鏡に手を伸ばす。拾って、それをぶつかった相手に差し出した。
 けれど、相手が出した手は眼鏡を受け取らず。そのまま、海羽の頬に触れる。グイと力が入って、顔を上向かせられた。
「…また、泣いてんのか」
 眇めた目、射抜くような眼差し。
 やはり、“彼”か。
 海羽は半歩、後退りする。
 と、その向こう側から。
「おーい、那月ー」
 呼ぶ声が聞こえて。
 彼が振り向くと、
「っげ! なんで代わってんの?!」
 という声と。
 その存在を挟んだ向こう側にいるのが、
「…海羽? え、なんで泣い…」
 だとわかってしまって。
 海羽は、持っていた眼鏡を持ち主に押しつけると、そのまま二人を躱して廊下を走って行ってしまった。
 ギャラリーは呆然だ。
「…おい、まさかお前が泣かしたんじゃないだろうな」
 砂月、と。低く言って、睨みあげる。
「なんでも人のせいにすんな、チビ」
 不機嫌そうに返して、冷めた目で見降ろす。
 廊下の彼方。もう、海羽の姿は見えない。
 砂月は、仕方無げに吐息して。
 おもむろに、眼鏡をかけた。
 意識が交代する。
「っ、あれっ、翔ちゃん。今ここに、早乙女さんがいませんでしたか?」
「…那月…」
 知っていても、不思議な光景だと思う。メガネ一つのオンオフだなんて。
「変ですねぇ。早乙女さんとぶつかったような気がしたんですが」
「ぶつかった?」
「えぇ。僕もよくわからないのですが、あっと思ったらもうぶつかってて。あの長い髪は、早乙女さんだと思ったところまでしか覚えてなくて」
 ちょっとお話ししたいことがあったんですが、と。相変わらず、砂月になった時の記憶はないらしい。
 翔は、はぁ、と疲れた感じの溜息をついて。
 海羽が走って行った先を見る。
 泣いていたようだから、何があったのか気にはなるが…まだ、お互いの間が気まずいままなので、これで追いかけて行ってもどう切り出したものか悩む。海羽側が翔に拒絶を示している以上、下手に踏み込めない気がして。
「翔ちゃん?」
 呼ばれて。翔は、はっとした。
「ん、あぁ、…なんでもない。課題やんだろ」
「はい。翔ちゃんが手伝ってくれるなんて、千人力ですよぉ」
「大げさだな」
 向かう方向は、彼女が駆けて行った方とは逆。
 こんな形でも背を向けるのが、少し痛い。






 逃げ込むように、海羽は寮の自室に戻った。
 ベッドの上に鞄を放る。
 密封されていた部屋は熱気が満ちていて、息苦しいと思う前に自身の身も寝台の上に投げ出した。
 手の届くところにあるリモコンのスイッチを入れる。
 大きく吸い込む空気は熱く、心臓の音はおさまらない。
 静かな部屋に、彼女の呼吸が荒く響いて。
 やがて、エアコンが冷気を吐き出す音が聞こえ始めて。
 鞄の中から、例のDVDを出した海羽は、それを抱きしめた。
 天井を見つめる。
 目じりからこぼれた涙が、こめかみを濡らしていく。
「ボクに、必要なもの…」
 こんな、たった一枚のDVD。
「ボクは…だから……」
 自分の中で、つながっていく“理解”。
 深い溜息と。
「ごめんなさい…ごめんね」
 謝罪と。
 心臓が痛い。鼓動一つに痛みが伴う。
 消えては生まれる、その痛みの先に。
「…行けるのかな。ボクは、その」
 天井に向けて、手を伸ばす。空を掴む掌。
 ぱた、と。倒れるように下ろされた腕が、シーツに沈む。
「……キレイなところに」

     いっても、いいのかな    

 呟きは空間に溶け、彼女の意識も暗転する。
 部屋の中にはただ、エアコンのささやかな音だけが広がっていった。




 『Re-Birth』
 その言葉が、彼女の脳内に刻まれる。





2013.05.11 初アップ/2013.11.20 第一改訂