日付が変わる直前ごろに寮の部屋に戻った翔を、同室者はずいぶん心配した様子で迎えてくれた。
 なにかあったのかと、なんて言われて。
「なんもねーよ。月が…キレイでさ。ちょっと、ぼーっと見てたら、遅くなった」
 一番無難で、疑われないだろうという言い訳を。
 手に持っていたクリップは、何とか見つからないように机の引き出しにしまう。
 見られたところで誰の物かわかるはずもないが、見られたいとは思わなかった。





Episode.10.5 君を、想う。





 翌日。
 ロクに眠れず、翔は憂鬱を抱えたまま登校した。
 教室に入る前、一瞬戸惑う。
 けれど、ちらりと覗いた室内に、彼女はいなかった。
「…なにしてるの、おチビちゃん?」
 背後、声がして。
 自分が進路をふさいでいるのだと気が付く。
 振り向くと、神宮寺レンが立っていた。
「あ、レン」
「オハヨ」
「あぁ、おはよう…」
「朝から元気ないね」
 さすが、日頃つるんでいる友人は見逃してはくれない。
 しかも、
「まぁ、このところずっと元気はなかったけど。今日はまた、一段とだね。…いや、元気ないって言うより、なんかちょっと大人びたような感じかな? よかったら、おにーさんがお悩み相談室でも開いてあげようか」
 そんなことを言われては。
 翔は、「悩みなんか」と言いかけてから、
「…わり、レン。ちょっと」
 まだ、HRまでに時間があることを確認してから、レンの腕を掴んで引っ張った。
「おっと、強引だね」
 そのまま、生徒たちの喧騒から少し遠い、使われていない教室のあるエリアへと。


 誰もいない室内に入って、ドアを閉める。
「こんなことに連れ込んで。なに、そんなに深刻な悩み?」
「聞かれたくないんだよ。俺だけがどうこうならいいけど、…」
「なるほど。相手のある話なんだね」
 察しが良くて助かる。こんな時だけは、そう思う。
 けれど、
「…で? 海羽サンがどうしたって?」
 そこまで察しが良いと、思わず睨んでしまうのも無理はないだろう。
 レンは、翔の反応に苦笑して、
「おチビちゃんは知らないかもしれないけど。ここしばらく、レディたちの間で、おチビちゃんと海羽サンはちょっとした有名人だよ」
「…知ってる。遊園地行った日のこと、見てた奴がいたみたいで」
 女子寮の入り口で、翔が海羽を抱きしめた。話していた内容までは聞かれていなかったようだが、その光景を見てしまった誰かがいたようだ。
 そのことは、噂話となって生徒たちの間を蔓延していっている。
「やっぱり、見間違いとかじゃないんだね」
「ごまかしたってしょうがないだろ。事実、だから」
「まぁね。二人、あれから気まずいからさ。そうなんだろうなって思ってはいたけど。それで、昨日は海羽サン、ボスに呼ばれてたでしょ。しかも、放課後に彼女が泣いてたらしいっていうのも聞いたし。今朝はもう、レディたちは海羽サンが校則違反で退学なんじゃないかって、そんな話が」
 でてるんだよね、と。
 翔は、チッ、と舌打ちした。けれど、そう言えば泣いていた理由をはっきりとは聞かなかったなと思い出す。退学云々ではないはずだ、彼女はその後で、自分の前であの宣誓をしたのだから。
「つか、それなら俺だって退学だろ」
 二人に関する“噂”は、無責任にもほどがある度合いのものまで流れている。翔もすべてを把握しているわけではないが、そんなことをこそこそ話している輩に掴み掛りたくなるくらいには立腹していた。ただ、へたに出ると悪化させそうな気がするので、とにかく無視と決め込んでいる。
「だねぇ。だから、おチビちゃんは呼ばれなかったんだし、別件じゃないのって話したけど。レディたちは、噂話が好きだからね」
 レンがどんなに窘めたところで、制御などできるはずもない。
 “恋愛禁止”の校則は、妄想力増強の手助けもしてしまう厄介者だ。

「…なぁ、レン。海羽の歳からして、“恋愛はまだ早い”って、思うか?」
 翔の問いかけに、レンはきょとんとして。
「んー。基準が誰の考えに寄るかもあるけど、俺はむしろ遅いぐらいじゃないかと思うね」
 成人してるんだし、と。それが、レンだけの考えというよりは一般論だろうと、翔も納得する。
「…へぇ。やっぱり、おチビちゃん、海羽サンのこと」
「勘ぐらなくていいから」
「お悩み相談なんだから、そこはぶっちゃけてほしいな。大丈夫、誰にも言わないよ」
 人差し指を立てて、口の前に。こんな仕草もいちいちカッコイイな、などと思いつつ、翔は、
「…まぁ、うん。多分、…好き、かな」
 と、歯切れが悪いにも程がある。だがレンは、それを咎めも茶化しもせず、
「なるほど。ちょっと中途半端なのかな? 友達って言う程軽くもなくて、恋してる、っていう程狂おしくもない」
 狂おしい。
 その言葉に、翔は自分の感情を見直した。
 確かに、その表現が当てはまるかはわからない。けれど、
「…あいつのこと考えると、心臓痛い」
 これだけは間違いなく。
 聞いて、レンは、ふむ、と頷いた。
「恋寄りか。きっかけひとつで一気に針が振れるね」
「……っ」
 指摘はごもっとも。確かに、そんな瞬間が、昨夜あったのだ。
 海羽は“雰囲気に飲まれての衝動的行動”なんて言っていたが。
「昨夜、海羽と会ったんだ。昼間、泣いてたのが気になって。他にも、…つか、とにかく会いたくて。それで、こないだのことをあいつが謝って、俺は別に怒ってたわけじゃなかったし、それはそれで決着ついたんだけど」
「おや。仲直りできたんだ」
「あぁ、それは、うん。で、…そのとき、少し、なんて言うか、…」
「“いい雰囲気”になった?」
「っ、……そ、んなとこ、かな」
 思い出して、翔の頬が赤くなる。レンはそれを見ながらも、やはり茶化す様子はなく。
「それで?」
「…海羽が、俺をどう思ってるのかはちょっとわからない。弟と俺が同い年って言ったから、やっぱり弟的なポジションかもしれない。けど、あの時は、…海羽は姉的な立場でいたんじゃなかった、と思う」
 年上のプライドがどうのと言ってはいたが、海羽は翔に寄りかかって泣いていた。悲しかったわけでなく、あれは嬉しくて泣いていたのだとわかっている。
 “翔がいてよかった”、その言葉に、翔の胸も熱くなった。
 彼女を支えられる、支えとして求められている…そう思えた。
「俺は、あの時…海羽に自分が海羽をどう思ってるか伝えようと思った。海羽が俺に対して、種類はともかく好意を持ってるなら、俺もそれを海羽に伝えたいって。けど、…ちゃんと言う前に、急に海羽のやつ、様子が変わって」
「…どう?」
「頭抱えて、苦しみ始めた。痛がってた、と思う。それで、俺が焦ってる間に、気ぃ失っちまって。直後に、学園長が現れた」
 保護者は言った。“許容オーバー”と。
 レンは、翔の話を聞きながら、ふぅむ、と唸った。
「まぁ、確かにちょっと、人付き合いとかは苦手そうではあるけど。好意を寄せられて苦しんで気絶とか、それは気になるね。トラウマ、かな」
「学園長は、メンタルの問題だって言ってた」
「そうなると、やっぱり過去になんかあったんだろうね」
「…弟が死んでるっていうのは聞いた」
「え、そうなの?」
「海羽の誕生日の日が命日だって。…ただ、海羽は“家族が死んだ”って言ってた。もしかすると、海羽って他に家族いないんじゃないかって」
 実際、海羽はおじであるシャイニング早乙女の元に身を寄せている。これは、在校のためだと思っていたが、そうではない可能性もある。
 彼女の口から、実家の話など聞いたこともない。
「言葉の端々に、ちょっと『アレ?』って思うところがあるんだ。昨夜も、海羽は自分を“罪人”って言った。生きていたくないのに死なせてくれない、とか。あんな風に話すってことは、本気でそう考えていたんだと思う」
 妄想癖、なのか。それとも、そこまで考えるに至る原因が、なにかあるのか。
 そこに関しては、学園長が、『いずれ知るべきとなれば、ちゃんと教える』と言っていた。
「んー…。俺が探りいれてもいいけど…」
「いいよ、しなくて。勝手に調べたなんて言ったら、あいつ、怒りそうだ。それに、できれば本人の口から聞きたい。つか、前に学園長と日向先生には訊いてみてるんだ。どっちも教えてくれなかったってことは、…あいつとしては知られたくないこと、なのかもしれないから」
 落ちた口調が、翔らしくない。そう思いつつ、レンは浅く笑んだ。彼の消沈は、思いやりの結果。それは実に翔らしい。
「けど…本人がそんな調子じゃあ、おチビちゃんも告白するどころじゃないね」
 レンの言葉に、翔は頬を赤らめながらも、
「いや、それはしない」
 そう言った。
「そんなことしたら、海羽を困らせるだけだから。規則とかトラウマとか、それもそうなんだけど。なにより、あいつを困らせることしたくない」
「おチビちゃん…」
「あいつは、俺のこと信頼してくれてる。つか、信用に足る人間だと思ってくれてる。だったら俺は、それに応えていたい。あいつ、なんか頑張っちゃう性格してるし。そういうとこ、フォローしてやりたい。それは多分、恋人じゃなくても…いや、むしろ恋人じゃない方が、いいんじゃないかって」
「…それでいいの?」
「海羽が望まないことをしたくない。まぁ、万が一にも海羽が俺のこと好きで、…それが恋愛でだって言うんなら、ちゃんと応じたいと思うけど」
「押してみたらいいじゃない」
「あ、それ駄目。海羽は押しに弱い。だから、本心でなく流される可能性がある。それは、俺が嫌なんだ。もちろん、本当に嫌いなら流されたりはしないんだろうけど。境目が曖昧な状態で押したりなんかしたら、なし崩しになる」
「あー。確かに、押し切りには弱いよね。頼まれると断れない感じ」
「そんなんでどうにかなったって、絶対後悔するし、海羽も傷つく。絶対ダメ」
 うん、と。意志の固い目をして、翔は言い切って。
 レンは、何やら嬉しそうな微笑みで、
「かっこいいねぇ」
 なんて言って。茶化しているわけじゃないことは、表情でわかる。
 翔は、ふつーだろ、と言ってから、
「友達としても、大事にしたいんだよ」
 それが、間違いなく本心だとわかる、真面目な表情で呟いた。

 直後に、HR開始5分前のチャイムが鳴る。
 ヤバイ、と二人でこの教室を出た。
 足早に自クラスへ向かう翔を、少し後ろで追って見ながら。
 レンは、なるほど、とこぼす。
 見た目はカワイイが、中身は結構な男前だ。
 いきなり大人びたように見えたのは、そんな思いを抱えたからだったのか。
 しかし、相手が悪いように思う。
 早乙女海羽。彼女を守っているのは、最強のチートモンスター。
 確かに、翔の考えで今後も貫ければ、よい友人のままでずっといられるだろう。
 だが、それが恋愛に向いてしまったら。
「…戦えるかい? おチビちゃん。ラスボスはあのシャイニング早乙女だよ」
 その前に、敵は多そうだが。
 頭に浮かんだ何人かを苦笑で流して。
「見守り甲斐のある片思い、だね」
 

 廊下の彼方に、担任の姿を見て。
 おっと、と足を速める。
 レンが教室に入ると、翔のどこか不安げな顔と、トキヤの憂鬱そうな顔とが目に入った。
 二人が見ているのは、今は誰もいない座席。
 
 けれど、もう二度と、主が座ることのない座席であった。





2013.05.17 初アップ/2013.11.20 第一改訂