一学期の最終日。
 終業式にだけ顔を出しに来た海羽は私服姿で、気力なく笑った。
「もう、Sクラスじゃないから」
 数日前に、海羽のAクラス降格は全校告知となり、学園長はやはり“早乙女海羽は卒業オーディションのパートナーから除外すること”と言ってきた。
 彼女の背負うハンデが明るみに出て、生徒たちはみな大いに戸惑っていた。
 点が辛いとは思っていた。けれど、まさか半減までされているなんて。
 そしてそれは、彼女が在校する限り続くもので、当然卒業オーディションまで影響する。
 パートナー選出の用紙は既に配られて、回収まで済んでいる。
 
 誰に話しかけられる前に、式終了とともに踵を返した海羽は、今は学園長室のソファの上で膝を抱えていた。





Episode.12 それは、罪から始まる





 体調はなんとか通常値にまで回復したが、気落ちした様子はどうにもならない。
「なんかもう、…いっそ退学の方がすっきりするカモ」
 目標を定めたとたんにこれだもの、と。深く溜息をついた彼女に、
「確かにな。どうあがいても半分しか点が取れないなら、遅かれ早かれ評価不足で退学になるだろう。だが、…屈したままでいいのか?」
 学園長の席から、声が返る。
 評価点半減のハンデは、このおじも承服してしまっていることだ。やむを得ず、ではあったが。
 ちらりとおじを見て、海羽はまた吐息した。
「それがヤだから、何とかしようって思ってるんじゃん。おじ貴の敵が身内にいるってわかったのはボク的にも収穫だけど」
 絶対君主は、恨まれてナンボだと思うし…と。
 現状の海羽への攻撃は、結局のところシャイニング早乙女本人に向けられないからこそのものだと解釈していた。アンチはどこにでもいるものだが、やることが姑息なのもまぁお約束というものなのだろう。これに、下手に権力で抗うと後にも響くから、おじも本人も黙って受け入れた。
「こんなことまでされるとは思わなかったが…お前をどん底まで突き落としておかなければならないのも、俺としても不本意だがな。もっと、楽しめる学園生活を用意してやりたかったものだ」
 保護者として。そんな彼の言葉に、海羽は小さく笑んだ。
「それはいいよ、センジンノタニ、ってやつでしょ? ボクはシャイニング早乙女の娘なんだから。どんなところからだって這い上がって、倍返しで反撃して見せる」
「頼もしいセリフだな」
「怒らせるほうが悪いのさ。ボクだって“早乙女”だ。甘く見たこと、後悔させてやんなきゃ」
「…そうだな」
「それに、学校は十分楽しいよ。みんな個性豊かで」
 そんな会話の後。
 学園長室のドアが、ノックされた。
 とっさに海羽は立ち上がり、部屋の奥から続いている隣室に下がろうとしたのを、
「あぁ、出て行かなくていい」
 おじが制して。
「え、だって来客でしょ」
「お前にも関係があるからな。いなさい」
 海羽は、首をかしげつつもおじの隣に立った。

 入室を許可すると、ドアが開く。
 人影は、二人分。
 失礼します、と。異口同音のそれを聞いて、海羽が怯んで半歩下がったのは多分無意識だった。
 見慣れた二人は男子生徒で、向こうも海羽がいることに驚いたようだ。
 けれど、私語ができる状況ではないとわかっているから、そのまま黙って室内に入ってくる。
「…ミウ」
 椅子に座ったまま。学園長は傍らの彼女を呼ぶ。
「な、なに?」
「お前、選べるか?」
 並んだ二人。
「え?」
「お前が抱えたハンデ、二学期からの降格…除外しろという俺の忠告もすべて踏みつけて、この二人がお前の名を書いてきた。卒業オーディションのパートナーに、お前を…とな」
「は?!」
 驚きと困惑の混ざった顔で、海羽は正面に立つ二人を見た。
「…Sクラス、一ノ瀬トキヤ。Aクラス、四ノ宮那月。教師たちが説得もしたが、聞き入れはしなかった」
 どこか呆れた口調だったが、馬鹿にしてはいない。学園長の言葉に、海羽は額を抑えた。
 そんな彼女を見て、
「私があなたの名を書く、というのは、言ってあったことでしょう。驚く必要はないと思うのですが」
 涼しい顔でトキヤが言った。
「そりゃ、聞いてたけど! 考え直してほしかった」
「まだ言わせるんですか? あなた以外にはありえない、と」
「もういいって! わかったから、…もういい…」
 深く吐息した彼女は、その隣に立っているもう一人を見た。
「…キミまで。クラスも違ったじゃない、なんでまた…」
 接点は、あったというほどにはなく。音楽的な接触は、今のところただ一度の放課後セッションだけだ。
「初めてあなたの音楽を聴いたときに“これだ”って思ったんです。セッションしてみて、もうあなたしかいないと確信しました。僕という楽器に、無限の可能性をくれる世界…だから、お名前を書かせていただきました」
「直感…なの」
「駄目ですかぁ?」
 屈託のない、那月特有の笑顔に、
「いや、駄目ってことは…でも、時と場合に寄るっていうか、……」
 海羽は唸って、固まってしまった。
 彼女の傍ら。学園長はトキヤと那月を見、
「どうあっても、決心は変わらないか?」
 問いかける。
 まったくシャイニング節が出てこないのは、海羽がそばにいるからなのか。それとも、ごく真面目な話をしているからなのか。
 二人は、はい、と頷いた。
 海羽が、また何か言おうとして。
 けれど、それは学園長の手に阻まれた。
 そして。
「…早乙女海羽」
 呼び方が変わる。海羽は、びくりと身をすくませたが、すぐに背筋を伸ばした。
「はい」
 条件反射のような返事をして。
 一拍、あってから。
 低く、威厳のある声音で、彼は言った。

「学園長命令だ。この二人のパートナーとなり、それぞれに卒業オーディション用の曲を作れ」

「っ、え?!」
「二人とも、ですか?」
 驚いて声をあげたのは“この二人”で。当の海羽は、ぐっと拳を握って。唇を引き結ぶ。
「全校の頭数のことは気にするな。問題ない。お前はこの二人に曲を提供し、そして二人共を入賞させろ。それができなければ、お前のデビューはおろか卒業証書も出さん」
「…入賞しなかった時点で、退学になるんだね?」
「そうだ。それまでも当然、在校のために点数の維持もしなければならない。それをした上で挑んだ卒業オーディションで、どちらかでも落選した場合は、お前はその場で退学だ」
 すべての努力が一瞬で消える。何も報われはしない。
 出された“命令”は、彼女に重い枷をつける。
 獲得点半減のハンデを持つ海羽は、在校するためだけでも他の生徒の三倍以上の課題なりをこなす必要がある。その上で、二人分の勝負曲を作り、入賞という狭い枠の中に入り込まなければならないのだ。
 それが、シャイニング早乙女の“いつもの気まぐれ”などではなく、
「…そのぐらいしないと、納得させられないってこと?」
 彼女を抑圧する、“敵”を黙らせるための手段であるなら。
「見事こなして、見下してやれ」
 にやりと笑ったおじの口元を見て、彼女もまた。
「…気持ちよさそう。わかった、それでいいよ」
 よく似た微笑みを浮かべて、了承の言葉を言った。



 思わぬ方向に行ってしまった、パートナー選出。
 学園長室を出たのは、三人でだ。
「本当にいいんですか?」
 問いかけたのは那月で。
「…いいもなにも。今更、覆したりなんかしない」
 そう言って、海羽は立ち止まる。
「どんな状況になっても、キミらは歌うだけ。ボクは曲を作る。ちゃんと。キミらが最高に輝ける曲。どっちも手抜きしない。二人共を頂点に押し上げないとだから、甘ったるいことしない。キミらも、死ぬ覚悟で来て。芸能界って、そういうところだから」
 厳しい眼差しで、二人を見て。それから、すっと頭を下げた。
「よろしくお願いします」
 その仕草に、
「…こちらこそ」
「僕も、よろしくお願いします」
 トキヤも那月も頭を下げた。
 三人、同時に顔を上げる。
「ボクを選んでくれてありがとう。なんか変なことになっちゃったけど」
 苦笑した彼女に、トキヤと那月は顔を見合わせた。
「ブッキングはともかく、選ばせないとは思いませんでしたよ」
「そうですねぇ。独り占めできないのは残念です」
 ホワンとした那月の発言に、トキヤの眉尻がぴくりと上がる。
 海羽は、
「なんとかスケジュール配分するから。曲作りは個別にしないとまずいもんね。どっちの曲がいいとか、そういうのないように作るから。つまんない小競り合いしないでね?」
 子供に言い聞かせるような口調で言った。
 それが、トキヤの感情に対する牽制なのかはわからない。
「はぁい」
 素直に返事をする、那月の考えもわからない。
 トキヤは、眉間に皺をよせ、小さく吐息した。





 夏休みへと向かうだけの放課後。浮足立った生徒たちは、誰もかれも学内にはいず。
 がらんとした教室に、海羽とトキヤだけがいた。
 置いたままの私物を回収するから、と。彼女はそう言って教室へ。
 那月はこの後用事があるからと昇降口へ。
 トキヤはなんとなく、海羽について教室に向かった。
 無人の教室は物音ひとつなく。
 がらんとした空間。
「ま、何置いてるってわけでもないけど」
 机の方は空にしているが、ロッカーに少しだけ私物が残っていた。
 海羽はそれを出すと、名札を引き抜く。
 光景を、トキヤは見ていた。
「…二学期から、居ないんですよね」
 ぽつ、と呟いたのを。聞いた彼女は、
「ボクよりキミのがしょぼくれるってどうなの」
 苦笑する。
「まぁ、ボクもしょぼくれなかったわけじゃないけど。降格の公表があってから、翔と神宮寺の電話攻撃がすごくて。なんか、たくさん励ましてもらっちゃったから」
 ロッカーに入れてあった、荷物が多いとき用のエコバッグを広げて。その中に、私物を入れていく。
「…キミ、誰にも話さなかったんだね」
「え?」
「ボクが学生寮じゃなくて社員寮にいること。内緒じゃないから、よかったのに」
 二人への連絡は、最初は海羽から行なった。先に翔に電話をし、散々『心配した』と言われた。その後でレンにもかけたら、雰囲気は違えど同じような状況だった。
 どちらも、海羽は入院したと思っていたようだった。
「学生寮にいないらしいって、ハルちゃんから聞いたって。それで、どこ行ったかはわからないから、これは入院だろうって結論だったみたいだけど」
「なぜそんな」
「…翔の前だったんだ、きっかけ的な不調。目の前で倒れちゃって、おじ貴に回収されて。翔は多分、何も聞かされないでいただろうから、そのまま休み始めちゃったから…入院したって思ったのでしょ。神宮寺は、翔からボクが体調不良起こしてるって聞いたって」
 まだ、きちんと会ってはいない。終業式に顔を出した時も、二人に見つかる前に引っ込んだ。どんな顔をして会っていいかもわからない。
「まぁ、ちゃんと知らせてなかったボクも悪かったんだけど、なんせ携帯とか使えるようになったの、キミを呼んだ日からだったし。で、キミが知ったから、みんなに教えてるかなって勝手に思ってて。翔たちに連絡入れるの、遅くなっちゃって」
 言いながら、海羽は教室を見渡した。
 ほんの数か月居ただけの場所。これからだって、別にここに入れなくなるわけではない。
 ただ、隣に移動するだけなのに。
「…なんか、ノスタルジーだねェ。こういう感覚は初めてだ」
 ひどく懐かしい気がして、胸が痛む。
 けれど、胸の痛みはそれだけではなく。
 海羽は、ふいと踵を返し、出入り口から身を乗り出して廊下を見た。きょろりと左右を確認の後、ドアを閉めて鍵をかける。
 何をするのか、と。トキヤが訝しむと、
「…聞かれちゃまずい話をするので。ちょっとしばらく密室でごめんね」
 ドアから離れ、トキヤのほうに歩いてくる。
 向き合った二人の間、距離は一歩半。
 じっと、トキヤを見つめる海羽。
 意図がわからず、トキヤは首を傾げた。
 やがて。
 彼女の口は、
「…もう一度訊くよ、一ノ瀬トキヤ」
 少し低めのトーンで、その台詞を紡ぐ。

「オニイサンとは、違う感じがいい?」

 その問いかけは、以前。
 レコーディングテストの組み合わせが決まった時に、彼女がトキヤに投げたもの。
 けれど、ニュアンスが違って聞こえるのは何故なのだろう。
 思い至った答えに、トキヤははっとして。同時に、やっぱり、と思った。
 彼女は、“そう”なのではないかという予感は、なくはなかった。
「…いつから?」
 主語のない問いを。
 それでも、海羽にはきちんと通じた。
 この状況で、その問いなら…何を指しているのか、何を言いたいのかは明白だ。
 彼女はまっすぐにトキヤを見たままで、
「レコーディングテストの曲を作ってるとき。ボクは、キミのお兄さんのことを知らないわけじゃなかったけど、ちゃんと曲を聴き込んだりしたことがなかったんだ。それで、ハルちゃんからDVDやCDを借りて研究した。…聞けば聞くほど、見れば見るほど…あの王子様は、キミにしか見えなくなっていった」
 トキヤは掌で顔を覆い、そうですか、と呟いた。
 その様子を見ながら、
「どうしようもない形でバレてしまう前に、キミの口から聞きたいなと思ってた。でも、間に合わないから。ボクが知っていることをキミに教えることで、キミが少しでも楽になるならって」
 海羽は言う。
「正直、驚いた。キミの芸の引き出しの中にああいったキャラがあるのだとしても、違いすぎるだろうって。偶像どころか虚像、台本が見えるくらいだ。それでもキミは、見事に演じきっている。“HAYATOというアイドル”、恐れ入ったよ」
「虚像、とまで言ってくれますか」
「キミもそう思うから、トキヤとしてデビューしたいと思ったのでしょう? 自分を表現したいって、切に願ったから」
 直後。
 一歩半の距離はトキヤから詰められ、伸びた腕を海羽は躱さず。
 むしろ受け入れる形で、その抱擁を許した。
 彼女の細い体を、トキヤは。抱きしめると言うよりは、縋りつくに近いような雰囲気で。
「…もう、楽しいと思えなくなっていた…意図的に作られた“HAYATO”は、私ではなく別の存在です。事務所やテレビ局、スポンサー企業に求められる方向性と、私自身の行きたい場所がかけ離れてすぎてしまって」
「トキヤにだって、そういう時が来るかもしれないよ?」
「それでも、少なくとも存在そのものを演じる必要はないでしょう」
「…そう、だね」
 海羽の肩口に顔をうずめるこの彼が、望んでいるものを。海羽はHAYATOを見ているうちに知った。
 春歌から借りたDVDは放映順に再生され、次第に彼が“歌う”ことがなくなっていっていると気が付いた。
 バラエティ、ドラマ…そんな仕事が増え、彼はシンガーではなくなっていく。
 けれど、“一ノ瀬トキヤ”はシンガーだ。自身の声こそが得意楽器だと、言い切った。
「お芝居やバラエティも、大事な仕事だよ?」
「わかっています。でも、私は…っ」
 表現の手段は、どんなものでも。求められればそれを提示する、出来てこその芸能界だ。
 けれど。
 誰にだって、望みはある。
「私は、歌いたい…」
 それが、彼の。最大の、欲求。
 海羽は溜息をつく。そして、可能な限りで彼の背に腕を回すと、
「キミがデビューの栄冠を取れば、HAYATOはもう存在できなくなる。事務所間でどんな話がされているのかはボクは知らないけれど、HAYATOを殺すための毒を生み出すのは、ボクの手にゆだねられたから」
 言葉は暗く、“殺す”が比喩だとしてもそうと言い切れない。
 トキヤが表舞台に出れば、間違いなくHAYATOは消えるのだ。
「人気絶頂の彼を消してしまうのは困難だろうけれど、それを承知でキミはこの学園に来た。とびっきりの毒を作るから…影も残らないほど完璧に消せばいい。その結果、もしもあの子が誰かを恨むなら、それはボクが引き受ける」
「あの子?」
「…七海春歌の夢は、“作曲家になって、憧れのHAYATO様に曲を作ること”なんだって」
 先日は教えなかった、“誰か”。
 トキヤは息を詰める。
「友達の夢、壊すのかぁ。課題三倍よりよっぽどキツイなぁ」
 すみません、と。震える声でトキヤが言って。
「…どのみち、競争社会だ。誰かが上がれば誰かが消える。こんなことでぐずってる奴は、挑むことすら許されない。もう、腹くくったからいいよ」
 ぽんぽん、と彼の背を叩いて。
 また動いた彼女の腕が、彼に少し離れるように指示を出す。
 開いた、少しの距離。
 彼女の両手が、彼の頬を包む。
 交わす視線、
「だから、ボクは容赦しない。やるからには、徹底的に。自分を殺すキミは躊躇もあるかも知れないけれど、…経験は残しても想いは残さないで。HAYATOとして積み重ねた様々なものはキミの今後の武器になる。でも、二度と彼に戻ることはできないとちゃんと理解して。トキヤが芸能界でどんな形になろうとも、もう絶対にHAYATOにはなれない。戻りたいと願っても、それは叶わない」
「わかっています。今はまだ、最良の幕引きを考えている最中ですが」
「なんにしても、無傷は無理だよ。それだけ、HAYATOの存在は大きい」
「痛みでも何でも、耐えてみせます。自分が望んだことですから」
 強い意志を、彼の瞳の奥に見て。海羽は、ニコリと微笑んだ。
 
 海羽の両手が、トキヤの頬を離れる。
 けれど、彼の腕が彼女の背を離れない。
 む、と。海羽がトキヤを睨む。
 トキヤはまだ、海羽を見つめたままで、
「…学園長命令がなかったら、あなたはどちらを選んでいましたか…?」
 問いかけた。
 海羽は、え、と呟いて。視線が泳ぐ。
「ブッキングの可能性は、考えていました。四ノ宮さんが来るかもしれないことを聞いていましたし。彼は、…良くも悪くも“自分自身”に忠実な人だと思います。だから、あなたのハンデを知ったからと、手を引くことはないだろうなと」
「や、…ボクのファンっていうのは、ボクも知ってたけど」
「歌唱もすごいですよ、彼は」
「らしい、ね」
「二人で呼ばれたと知った時は、パートナーの件だとすぐに思いました。まさか、あなたがあの場にいると思いませんでしたけれど。もし、学園長がどちらかを選べと言ってきたら、…私を選んでくれましたか?」
 じっ、と。心の中まで見透かすような眼差しで見られて。海羽は、えーっと、なんて言いながら掌で彼の胸を押す。もちろん、無意味なわけだが。
「…正直に、いいですよ」
「う、う、う…。……作曲家として直感的にと言われれば、…ごめん」
 名前は出さないが、謝罪の言葉が来たとなれば答えは明白だ。
 トキヤは、でしょうね、と呟いて溜息をつく。けれど海羽は、
「や、あのね。でもそれ、一種の“逃げ”っていうか、ズルっていうか」
 それは言い訳なのだろうか。
「ズル?」
「んー…と。ボクは、ボクと四ノ宮の音楽に対する姿勢って結構似たところがあると思ってる。だから、その“似た部分”で、ズルをしようっていう気持ちがあるんじゃないかなって。そうだな、たとえば、」
 少し、海羽を考えを巡らせる。
「たとえば、ボクが“王道アイドルソングを作る”っていう依頼を受けたとする。で、シンガーの候補に、キミとキミの同室のカレ…一十木だっけ? 彼とが上がった。どっちか選べって言われたら、ボクは一十木を選ぶと思う。それは、キミがシンガーとしていいとか悪いとかじゃなくて、ボクが作曲家として“よりやりやすいと思う方”を選んでるんだ。彼の歌唱はまっすぐで、アイドルソング、という依頼にしっくりくる。そこに、ボクの中での“挑戦”はない」
 わかる? と。海羽が伺うと、トキヤはこくんと頷いた。
「同じ波長で音楽するってことは、その枠の中で思い切り突き抜けていいっていうことでもある。それはそれでとても気持ちのいいものだろうけれど、自分の知らないものを持っている人と同じ高さまで行けたら、もっと得るものがあるでしょ。四ノ宮との音楽は多分前者で、キミとが後者。でも、どっちかって言われたら、…まずは手堅いほうを選んじゃう。なんせ、デビューがかかってるわけだから」
「防衛本能、のような?」
「そういうことかな。…けど、おじ貴はボクに二人共でと言ってきた。どっちも手に入れてこいって。どうせ苦しむなら、二兎追ってついでに鍋セットやらコンロやらまで取って来いってことだよね」
 その例え方もどうだろうか。
 トキヤは、くっ、と笑って、
「早乙女社長らしい考え方ですね」
「おじ貴らしいっていうか、それが“早乙女流”なんだよ。七光りでどうのって言われるなら、身内らしいやり方で黙らせろって」
「なるほど」
「だから。もう、どっち選んでたとか、訊かないでくれる? 士気が落ちる」
「仕方ないですね。わかりました」
 了承、したものの。
 トキヤはまだ、海羽を解放しない。
 いくら、他に誰も居ないと言っても、さすがに。
「…そろそろまずいよ、一ノ瀬」
「何がですか?」
「なにがって」
「あなた、先日の私の告白、聞いてましたよね?」
 面と向かってそれを確認するのもどうなんだ。海羽は心で悲鳴を上げ、
「聞いて、ました」
 答える。
「って、返事なんかしないからね? デビューしたいんでしょ? するんでしょ?!」
「もちろんです。でも、“ぶっちゃけバレなきゃ結構大丈夫”なのでしょう?」
 あなたが言ったんですよ、と。しれっと言われて、海羽は言葉に詰まる。
「私は、あなたが好きです。あなたが私を嫌いなら、そう言ってください。もっとしっかり嫌がってくれないと」
「や、嫌いってわけじゃ」
「なら、私はあなたへの想いを諦める必要もないですよね。別に、今すぐ恋人になりたいとまでは思っていません。もちろん、なれるならば是非にとは思いますが」
「微妙に矛盾してない?」
「そうですか? “チャンスを拾って、最大限生かせるタイミングで使う”、誰かさんが言ってましたね。私は、そのチャンスを拾っているだけです」
「揚げ足とってるつもり?」
「まさか。あなたがわざわざここを密室にしてくれましたから、当然チャンスの使い時でもあるのでしょうけれど」
 にこ、と笑んで。トキヤは、グイと海羽を抱く腕に力を込める。
 開いていた距離がまたなくなって、
「だーっから!」
 ダメだって、……と。
 彼女が叫ぶのが早いか、ブツっという音が放送のスピーカーから聞こえて、
『ミーウー』
 という、非常に聴き慣れた声が聞こえてくるのが早いか。
 ギクッ、と。二人は身を震わせ、
「っ、はいっ!」
 思わず返事をした海羽は、スピーカーからの声にトキヤがひるんだその隙に彼の腕から逃れると、
「わかってるったら! 越えてないし、越えないって!」
 スピーカーに向かって言い放ち、近くの机の上に置いていた荷物を取ると、足早にドア口へと向かう。
 そして、
「一ノ瀬! 今後、今みたいなことしちゃダメだからね! 絶対デビューしてもらうんだから!」
 びし、と言い放つと。ドアの鍵を外して、飛びだすように廊下へと出て行ってしまった。

 やや呆然と。その場に立ち尽くしたトキヤは、彼女の荒い足音を聞きながら、
「…私だけが悪かったんですか、今のは…?」
 なにやら割に合わないというふうに、ぶちりと呟いた。




 仕方なく、一人で寮に戻る途中で。
 海羽からメールが届いた。
 『夏休み中のスケジュールを教えて』
 というそれを見て、少し口元がほころぶ。
「とびきりの毒、ですか」
 彼女が言った、それは言い得て妙な表現。
 罪から始まるのか…と。
 ひとりごちて、トキヤは手帳を取り出した。
 







2013.07.19 初アップ