早乙女学園内、某一室。
 静かな部屋の中、時折聞こえるのは紙をめくる音。
 存在は二人。
 一人はデスクに向かい、書類仕事。
 もう一人は、ヘッドホンをして何かを聴き入っている。
「…これが、未デビュー作家の…しかも学生の課題として提出されるわけだから…恐れ入るわぁ」
 深い溜息と共に、ヘッドホンを外す。
 音を再生しているのはノートパソコン。マウスを操作してファイルを閉じた。





<i>Episode.14.5 『恋心』</i>






 一学期最後の、作曲家コースに課せられたのは“ミニアルバム作り”。
 現状の彼らの、音楽性・構成力・表現力、持てるすべてを投入して作るその課題は、アイドルコースの者にとっては自分のパートナーを選ぶための最重要要素になった。
 その中でも。早乙女海羽が作ったものは群を抜いていた。
 それまでの彼女の作品を軽く凌駕し、さらに進化を遂げたように見えたそれが、
「…進化どころか手加減をやめただけとか。詐欺よねぇ」
 実はそんなところなのだと知っているのは、学園内ではこの二人と学園長ぐらいだろう。

 月宮林檎はヘッドホンを置き、時計を見た。
「音楽聴かせるだけで、異世界へご招待…か。魔法使いの異名は伊達じゃないわね」
 約三十分のその音楽を、時間を感じさせずに聴かせる。それだけでも十分にすごいことだと思う。気が付くと世界に魅了され、最後のフェードアウトまで意識を持っていかれてしまうのだから。
「アルバムタイトルは“Janus”。ローマ神話において、“出入り口と扉の神”。転じて、物事の始まりの神であり、“過去と未来の間に立つ”という意味を持つ、だそうだ」
 書類をめくり、必要な情報を手元のパソコンに打ち込んで。日向龍也は、はぁ、と吐息すると、
「あいつにとって、ここからが“始まり”なんだろ。転機ってやつだ。なにがあいつの感情に火をつけたかは知らんが、眠れる天才が目を覚ましたってのに、いきなり修羅場から始まるってのはなぁ。あんなハンデ付けたって、海羽は何したって舞台に上がるだろうよ。それが、…社長の願いなんだからな」
 やれやれ、と呟く。早乙女海羽は、基本的におじに従順だ。多少の反抗は見せても、それは“反抗”と呼ぶにはあまりにも可愛らしく、取るに足らない程度のものでしかない。
「はじまり、か。そうね…学校に来て、うーちゃんだいぶ変わったものね」
「甘んじていられなくなってきたんだろうな。触発されてもいるのかもしれない。“目的を持って生きる”ってことにな」
 早乙女学園は、ただの学校ではない。この場所に来て、漠然と日々を送っている者などいないだろう。
「特に、Sクラスは実力も信念もかなりレベルが高い。Aクラスの方が、もう少し牧歌的な雰囲気があるからな。その中でも、トップ3とも言うべき三人と親しくなったっていうのは、海羽にとっては大きなプラスだっただろうし」
「将来的にもね。正直なところ、うーちゃんが馴染んでいけるのかなって心配だったけど。Sクラスの方が、男子率高いから」
「まぁな。だが、今のところは男嫌いも克服傾向だし、問題も起きてないと思う。…水面下はどうか知らねぇがな」
 そう言ってから。龍也は、ふっ、と笑った。林檎は不機嫌そうに膨れている。
「アタシのうーちゃんがっ」
「いつからだよ。つーか、お前もう、フラれてるからな? 終了してるからな」
「言うなぁぁぁぁぁぁ」
 わぁっ、と。自分の膝に突っ伏して、林檎は唸り声を上げた。素の声だ。
 龍也は呆れた顔をし、
「…海羽も海羽だがな。なんで“諦める”の一択だったんだか。それなりに狡さは持ってるんだから、自分の欲求のために誰かを欺こうって気にはならんのか…」
 今更蒸し返すのも不毛な話だが。
「しかし、まさかの両片思いだったとはなぁ。」
 苦笑するしかない。
 あの当時の海羽が、恋なるものに目覚めたこと自体驚きしかなかった。年齢的には遅咲きだったとはいえ、彼女の事情は大多数の少女たちとは大きく異なっていた。
 そんな状況で相談を持ちかけられた、あの時。おそらく一番慌てたのは龍也自身だったろう。
「信頼の上の相談、なのは十分わかったし、それだけ俺を買ってくれてるのも喜ばしいことではあったがなぁ。兄貴分としてはなんつーか、『よりによって林檎かよ』っていうのが本音だったなぁ。お前だって、そんな感じなかったのに」
 しみじみと思い出しながら。
 当時の海羽と林檎は、それほど親密ではなかったように思う。まだ、海羽にはコミュニケーション能力が不足していて、会話らしい会話が成立しない時期でもあった。時折、二人が一緒にいることはあっても、何か話をしたりするわけではなく。海羽が弾くピアノを林檎が聞いている…とか、林檎が歌う様を海羽が見ている…とか。どこか一方的な共存だった。
 それが故の両片思いだった、と言われればそうかもしれないが。お互いに、“片思い”しているようには、とても見えなかったのだ。
「…触れられなかったんだ。壊れるんじゃないかって、怖くて」
 思い出しながら、林檎は呟く。
「綺麗で冷たい音を奏でる彼女は、人形みたいでさ。この子を人間にしたいって思ったことが、好きになったきっかけだったと思う。それからは、寝ても覚めても海羽のことばっかりで。浸食されたって、そんな表現がしっくりくる感じだった。俺よりも龍也に懐いてたから、龍也の陰に隠れて近づくのが一番無難かなとか思ってて」
「狡いな、そりゃ」
「でも、怯えさせないためには有効だったよ。まず、“龍也の友達”って認識から始めるのはさ」
「…まぁな。俺抜きで、事務所の奴に会ったりできなかったもんな」
「うん。それで、だんだんと俺に慣れてってくれて。話も…少しだけど、してくれるようになって。踏み込み過ぎると逃げちゃうから、距離が難しくて。歌のことばっか話してたな」
 新曲、歌番組。そう言えば、海羽が自分からテレビを見るようになったのは、林檎がそんな話をしたからではなかったろうか。
「オンエアの話すると、次に会った時に『観たよ』って言ってくれるようになって。誰に言われるより嬉しかったな…。そのうち、俺の曲を弾いてくれるようになってさ。初めて笑顔を見た時は、その場で死んでもいいとか思ったっけ」
 可愛かったなぁ、なんて。幸せそうに笑う林檎を見て、龍也はやや呆れつつ、
「…じゃあなんで、退いちまったんだ? 海羽がお前に想いを告げて、諦める言葉を吐いたとき。それ撥ね退けりゃよかったじゃねェか」
 そう言えば、こんな話はしたことがなかったなと思い出す。林檎が海羽を好きだと知ったのがごく最近のことだったから、言ったところで空しいだけかと思って黙っていたのだった。
「彼女が“俺がアイドルであること”を優先させたから、そうあることこそが彼女の願いなんだって勝手に納得した。でも結局それは、俺自身がアイドルであることを捨てられないっての言い訳なんだって今はわかってる。甘えたんだ、彼女の決心に。女の子にそんな決断させて、男の方がそれを言い訳に保身するとか、本当サイテーなんだけど」
 何もかもを捨てる覚悟が、あの時に彼にはできなかった。
 アイドルとして、更に上に行けるのかどうかの正念場だった。
 そんな時期だったから、海羽は余計に“諦め、見守る”を選択したのだろう。
 甘やかな夢を見ることもせずに。
「今はどうなんだ? アイドルとして、ある程度の地位は確立できた。おおっぴらにってわけにゃいかないが」
「…いいのか? オニイチャン。そんなこと言って」
 溺愛しちゃってるくせに、と。林檎の言葉に、龍也は肩を竦める。
「良くはねぇけどよ。このまま環境や第三者に振り回されていくよりは、誰か一人のとこにいてくれる方が安心はする。それがお前である必要はないけどな」
「誰か一人って…自分じゃ駄目なの?」
「おいおい…そりゃどういう意味だ? 俺は、今のポジションから動く気はねぇよ。絶対的信頼、駆け引きのいらないただ頼っていい存在。多分、ずっとこのままだろうし」
 家族として認められている。それで彼女が穏やかにいられるなら、違う形など望むべくもない。
「お前もそうするか? 案外悪くないもんだ」
「んー。甘えては欲しいけど、理性もたないので無理でーす」
 ぴょこ、と両手を上げて。林檎は、あーあ、と溜息をついた。

「二学期から、ウチかぁ…」
「しかも、リミッター外れてるからな。持て余すだろうが、しっかり導けよ」
 教師として、やや憂鬱ではある。超級の生徒を面倒見なければならないのだから。
「パートナー二人背負って、海羽はもう、止まりたくても止まれない状態だ。吹っ切れてないいろんなものも引きずって、速度も落とせず突っ走るしかない。上手くフォローして、せめて卒業まではこぎつけさせないと」
「そりゃ、教師としても全力は尽くすけど…自分の存在そのものを許せないあの子が、自分が居なきゃ何もかも無意味な状況で、どんな行動をとるのかにもよるよ。死にたがりは治ったみたいだけど、自分を消したくてしょうがないっていうのはまだ残ってる」
「だが、すべてそこから始まったと思っちまったら、そうそう抜け出せねぇよ。…海羽が男として振る舞いたい最大の理由は、“自分が女じゃなかったら、こんなことにはならなかった”っていう自責の念なんだから」
 当然、それは彼女のせいではない。けれども、本人は納得しない。
「そういう、海羽の根本についちまったネガティブさとか、実際起こってまだあいつを苛んでるアレやコレやの出来事を、全部飲みこんでそれでも立っていられるだけの強さを、手に入れられるといいんだがな。もちろん、支えがいるってんならいくらでも手は貸すが、結局は海羽自身が乗り越えなきゃならないモンだ」
 そのための入学なんだろう、と。龍也の言葉に、林檎は頷きはするが。
「自力で…は、無理じゃない?」
「だから、仲間を得る必要があったんだろう。誰といても結局一人だった海羽が、本当はそうじゃないって理解するための。同じ目的に向かって行く、仲間がな。それは、俺やお前じゃ駄目だったんだ。一緒にスタートを切って、切磋琢磨しあえる相手が必要だった。…そういうとこは、なんのかんのであのオッサンも親らしく考えてるんだろ」
「んー…まぁ、そうかも」
「だから、今回のあのミニアルバムは、その目論見がうまくいってるっていういい証拠になったんじゃないか? 俺が知る限りじゃ初めてだと思うぞ、海羽が“海羽自身”を音の世界に描き出したのは」
 “Janus”と名付けられたその音の世界は、彼女が“海羽”を表現したものだと、二人ともに感じていた。
 果てしないほどに徹底した客観性の元、海羽が見つめた“海羽”という存在。
 今までの曲の中にも、ちらちらと見えてはいたが、どれももっと漠然としたものだった。
「まぁ、くまなく探せば海羽の気配くらいはあったけどな。こんなにはっきりと、自分のいる世界を表現したことはなかった。作中であいつがのばした手を、…誰が取って、あいつを“外”へ連れ出すのかが見ものではあるな」
「うわぁ、見たくねぇ…」
「一ノ瀬と四ノ宮は、候補に挙げといて間違いないだろうな。あのハンデわかった上で、パートナーにって望んだんだから。これで、単に音楽性の問題とかだったら逆に驚くし。後は、まぁ、これはどうだろうって思うけど、来栖とかな。例の噂の件、一応聴取したけど…下心のあるようなことじゃなかったみたいだから。けど、来栖の本心はどうかなってとこだ」
「モテすぎだよ、海羽ぅ…」
「俺は予想はしてたけどな? そこいらのアイドルよりよっぽど美人だし。あいつは、外見も可愛いが中身はもっと可愛いからな。今はまだ頑張ってカッコつけてるが、そのうちガタガタになるぞ」
「ダメダメ! お見せできませんよ! ほんとに可愛いんだから!」
「ああいうの、ギャップ萌えとか言うんだろうな。ま、海羽が“海羽様”でいる間は、そうそう誰も手を出しゃしないだろうし」
 しっかりなー、なんて。他人事の応援だ。
「だが、暴走はするなよ、先生」
 林檎は、あはは、と苦笑して、
「フラれてるって自覚あるから、一応はおとなしくしてるつもりだけどー。他の奴に盗られるくらいなら、いっそ暴走したいくらい」
 正直な胸の内を呟く。
 龍也はピクリと眉を上げ、
「…せめて、卒業してからにしてくれ」
「それじゃ間に合わないかもしれないじゃん」
「お前ね。海羽のやる気に水差すなっつの。作曲家としてデビューすれば、アイツはあっという間に俺達に追いついてくる。それからにしとけよ。その時、もしかしてアイツが別の誰かの物だったなら、…奪い取るぐらいの覚悟は持っとかねぇとな」
 そう言って、ちらりと林檎を窺った。
「ひどいこと言う兄貴だなぁ」
「俺だったらそうするが」
「まぁ、それで諦められるなら、そもそも好きでい続けられないか」
「そういうこった。…海羽にも、そういった強い執着があればいいんだがな。何が何でも手に入れる、って。デビューする気になったはいいが、ダメならダメであっさり退いちまいそうでな」
 彼女が、何かを強く願ったり望んだりしないことは、二人ともよく知っている。諦めと絶望の中で過ごす時間が少なからずあった彼女に、何かを乞い求めろと言うのは酷なのかも知れなかった。
「在校中に、少しでも意識が変わればいいがなぁ。ある意味チャンスだぞ、お前」
「それはそうだけどね。Sクラス担任との仲の良さ加減にまで届くかなぁ」
「嫌味か、そりゃあ」
「だって、龍也と海羽のことは、社長だってほとんど黙認じゃないか。これで、来年の今頃に二人が入籍してたって、関係者は誰も驚かない」
「それは絶対にないから…」
 兄貴だって言ってるだろ、と。けれど実際、今までに何回か週刊誌に抜かれそうにはなっている。海羽が未成年のうちはおじが握り潰しに行っていたが、成人してからはもうほったらかしもいいところだ。おかげで、ゴシップとしての価値はなくなったが、“今後が気になる二人”としてはまだ価値があるらしい。
「龍也のファンも、年齢上がってきてるからさぁ。若い子たちみたいな、『私だけの王子様』なんてのじゃないじゃん? 所帯もって、パパになって…っていうのを期待してる人だっているし。ドラマの役も、既婚者や父親の役、ちらほら来てるでしょ」
「まぁ、そりゃなぁ。そういつまでも少年引きずってるわけにゃいかないから」
「逆に納得いくじゃん、事務所取締役のあんたが、社長の娘である海羽と付き合ってるとか結婚しちゃうとか言うとさ」
「それは、そうだが」
「そういう、世間の納得もあるっていうの、羨ましいんだよね」
「どうだろ…」
 納得はされるだろう。実子のいないシャイニング早乙女が、事務所の後継者として龍也を立てると言うのであれば。だが、本人はまだまだ現役だ。引退だのということは、考えているわけがない。
「つか、もう今更、海羽を女として見ろってのは無理があるっつーか」
「あれ。“うちの海羽ちゃんは世界一可愛い”とか思ってるのに?」
「だーから、妹としてだよ」
「いいじゃん、妹に手ェ出しても、この場合は罪じゃないし」
「…お前、俺と海羽をどうしたいんだ? 仮に俺が海羽と付き合い始めたとして、お前はそれを許せるのか? それとも、この俺相手に挑む気あんのか」
 林檎の意図が理解できず、龍也は少し苛立った様子で言葉を投げる。
「別に、どうってわけじゃないよ。ただ、本当に龍也は兄貴で止まってる気なのかなって。どっちにしても、海羽が欲しけりゃ龍也とはVSだろ。龍也に勝っても、…シャイニング早乙女に勝てるかは自信ないんだけど」
 業界最強のボスだ。そう簡単に、愛娘を譲るとは思えない。
「あのオッサン、チートすぎだからなぁ」
「他にも、敵は山ほどだ。海羽は、求められすぎてる。全部解決するのに、何年かかるかもわからない。ずっと愛して、…俺はいられると思うけど、海羽が愛してくれるかはわからないし」
「結局は、いまだに踏み切れないってことか。…ま、担任やってる間に再検討しとけよ。何より、海羽の中じゃ、お前への恋は終了してるんだからな。もう一度惚れさせるとこからだぞ」
「わーかってるよ」
 

 さっき閉じたファイルを、また開いて。林檎は、ヘッドホンをかけなおした。
 その様を見て、龍也は溜息をつく。
 中毒か、と呟いて。彼もまた、手元の仕事に戻った。

 ここから、穏やかでない日々を過ごさざるを得ない彼女を、それぞれに想いながら。







 

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