夏休みは順調に消化されていく。
 課題を理由に帰省しないことを決めたのは、レンだけではなかった。
 同室の真斗もまた、同じ理由をつけて。ギリギリまで、帰省を伸ばしている。
 盆だけは帰らないとマズイらしいが、帰りたくないと彼は言っていた。
 一度帰れば、もう二度とこちらへ戻れないのではという危機感が、ないわけではないのだ。
 そこが、レンとの違いでもあった。

 家の中にあって、求められる長男。
 家の外にあって、利用される三男。
 
 何故こんなにも違うのだろう、と。
 口に出せば、「馬鹿らしい」と一蹴される。もちろん、出したりなどしないが。
 思考によぎる度に、イラついてしまう。
 けれどその度に、あの時の言葉を思い出す。


「銘で区別も差別もしないってことさ。だから、きっと、これが万が一にも“好き”に変われば、それはキミがどうなろうと、変わらないってことだよ」


 早乙女海羽がくれた、多分彼女にとっては何気ないものだったのだろう…言葉を。
 どこの誰でも変わらない、そう言ってくれた。
 あの言葉は、
「…あったかかったんだ」
 そう。
 今までに聞いてきた、どんな愛の言葉も敵わないほど。
 レンの心を、温めた。





<i>Episode.16 僕(ら)だけの太陽</i>





 ……というようなことは、砂粒ほども表には出さずに。
 今日まで、彼女と接してきた。
 学園祭でのミニライブの件を、彼女が了承したことでプロジェクトはスタートした。
 一学期のユニット課題曲、夏休みの課題を利用した、デュエット曲。そして、最後に六人で歌うグループ曲。
 海羽は、レン・真斗組の課題曲の製作と、ライブ楽曲の全体編曲をやることになった。
 決定から二日後に、寮の彼らの部屋を訪れた彼女は、レンと真斗に一つずつだと言って、フラッシュメモリを渡した。
 その中に入っていたのは、もうほぼ完成ではという状態の曲。
 二人の、夏休み課題用の楽曲だった。
 それは海羽お得意のデジロック。程よい疾走感と、夏だからと出した清涼感でとても聞きやすくなっていた。
 歌い手としても、すんなり入っていけるメロディ。
 ポータブル再生機にデータを移して、とにかく暇さえあれば聞いている。歌詞を作るためだ。
 さまざまなフレーズが浮かんで、けれどもしっくりこずに消えていく。
 デュエット曲だから、一緒に歌う相手の都合も考慮しなければならないが、今日は用事があると言って出掛けて行った。
 帰省しない代償だろうか、夏休みに入ってから真斗はよく“家の用事”で出掛けていく。先日も、父親の代理でパーティに行かされていた。
 社交の場があまり得意ではない真斗が、初めて父もお付きの誰かもいない状態で行ったと言うそのパーティで、彼は酒を断りきれなかったらしい。
 慣れないアルコールで酔った彼を、…まさか彼女が拾うなんて。
 どういう経緯で、なんて知らないし知りたいとも思わなかった。
 たまたまだと言った彼女の言葉を信じている。
 酔っ払いの未成年を学生寮には帰せないからと、彼女は自分のテリトリーに真斗を連れ帰った。
 ……その場所を、レンはまだ知らない。
「くっそ…」
 また、思考が濁り始めた。
 頭の中に熱がこもる。
 不愉快だ。
 これはダメだと思い至って、レンは再生機から流れる音を止めてヘッドホンを外した。
 静寂が訪れる。
 溜息をついた。
 なんとなくだるい気がして、レンはそのままデスクに突っ伏す。
 天板が冷たくて心地いい。
「…なんだよこれ…中学生じゃあるまいし…」
 すっきりしない頭の中、その原因がなんなのかはもうわかっている。
 もどかしい、じれったい。
 誰が、ではない。他ならない自分自身が、だ。
 いつもなら、多少強引なことをしても手に入れているはずなのに。
 それができない。
 挙句に、些細なことにも嫉妬して。
 思考を止めてしまうなんて。

 もう一度溜息をついて、レンは目を閉じた。


 あのまま、どのくらいかの時間が過ぎた頃。
 静かになっていた部屋に、レンの携帯のコール音が響いた。
 メンドクサイな、なんて思いながら見た画面。相手を知って跳ね起きた。
「あれ、なんで…今日、練習日だったか?」
 呟きながら、とりあえず通話開始。
 やぁ、レディ…なんて、彼流テンプレートな出方をしたら、全部スルーされた。
 通話の相手は、「今からいい?」と、短く。なかなか気軽に言ってくれる。

「今からって…今日は練習日じゃ」
 ないけど。予定が入ってるなら、別にいいんだ。
「や、特には。もしかして、デートのお誘いなのかな?」
 (盛大な溜息)まぁ、いいから。ボクが行くから、部屋にいて。
「なんだ。期待しちゃったのに。…こっちから行くよ、海羽サン、今どこ?」
 社員寮。
「…へぇ。じゃあ、部屋番号教えて。すぐに行くから」
 でも、そんなに大げさな用事じゃないし。
「いいから。俺が、外に出たい気分なんだよ」
 あ、そう。じゃあ、…よろしく。
「了解」

 またあとでね、と言った後にリップノイズをつけてみたのだが、彼女が通話を切るより先になったのか後になったのか。
 相変わらず、そのテのことはすべて遮断されてしまう。
 レンは肩を竦めて、携帯をデスクの上に置いた。
 …回線越しの声は、少し疲れていた。
 二日で一曲作り上げるくらいだ、また何かやっているのかもしれない。
 評価点半減のハンデを背負う彼女は、夏休みの課題だって普通の生徒とは違うのだろう。
 携帯の暗い画面を見つめて、レンはまた溜息をついた。
 彼女との会話はどこか淡々として流れ、なんのしつこさもなくアッサリと切れた。
 こういうところが、彼女の特徴であり、場合によっては良さでもあり。けれど、
「…まぁ、ちょっと、寂しいよね」
 物足りなさもあったり。
 彼の端末に入っている、女性の番号はどれも。最後には甘い言葉をくれたり欲しがったりする。
 彼女だけが、それがない。





 シャイニング事務所の社員寮は、一見すると普通のマンションだ。学生寮もそうだが、“寮”という言葉のイメージにありがちな簡素さや無骨さがない。どれもお洒落で、センスを感じる。
 学園の敷地にあるものはロケの舞台にも使われるとのことだから、映りも考慮してデザインされているのだろう。
 教えてもらった部屋番号を頼りに、レンはその扉の前に向かった。
 表札に、“SAOTOME”と出ているから、間違ってはいないだろう。
 呼び鈴を押すと、ややしてからドアが開けられた。
 現れたのは、相変わらず重装備かつ男装済の早乙女海羽。
 ボーイッシュ、とは違う雰囲気を持つ、これはどう見たって“男装の麗人”。
 部屋でくらいはもっとくつろいだ格好をしているのかと思ったのに、まさかわざわざ着替えでもしたのだろうか。
「海羽サンはほんと、ブレないね」
「え?」
「服。学校とか、外に出る時だけかと思ってたのに、重装備で男装するの」
 暑くないの? と。玄関に通されながら、レンは問いかける。
 海羽は、客用のスリッパを出しながら、
「いつもじゃないよ。けど、基本的に学園の敷地内にいる時は男装かな」
「違う時もあるの?」
「…まぁ、遭遇率低いけどね」
「ふぅん」
 会話はわりとスムーズで、けれどやはり、彼女には疲れが見えた。
 その理由は、LDKに入ってすぐに判明する。
 すっきりと片付いた、その空間の。一角が、少しごちゃついていた。
 シンセサイザーとPCのあるところだ。
 数枚の紙と、ヘッドホンがどこか乱暴に置かれていて。つい今しがたまで作業をしていたのだと言うのは明白だった。
 やっぱりな、と。レンは心で呟く。
「課題?」
「うん。ソファへどうぞ。アイスコーヒーでいい?」
「あぁ、ありがとう」
 レンをソファに座らせてから、彼女はもてなしを整えるためにキッチンへ行く。
 動作には相変わらず無駄がない。
 社員寮の部屋。彼女のテリトリー。先日ここに真斗を泊めたわけだ。
 この、部屋に。
「…俺は、何番目?」
 こぼれ出た疑問符に、彼女が振り向いて。けれど、レンは思わず口元を手で押さえた。音にするつもりはなかったのに。
「ん、なに?」
 グラスに注いだアイスコーヒーと、一応のミルクとガムシロップと。自分の分は麦茶らしい。それらを持って彼女は戻って来た。
「や、その。なんでも」
「ん?」
 テーブルに、飲み物を置いて。彼女は、覗き込むようにレンを見る。
 その距離が、案外近くて。
 レンは、いっそありえないと思う程に動揺した。
 嫌いなんじゃなかったの、と。それも声に出そうになって、ぐっと飲み込んだ。
 笑って流すにはどうしたら。
「何でもないってば。それより、本題は?」
 話題転換はやや強引で、彼女も怪訝そうにはしたが。
 こくん、と頷くと、
「なるべく、他の誰も居ない状況の方が良かったから」
「え? なに、俺と二人っきりになりたかったの? そんなの、いつでも言ってくれればいいのに」
 いつも通りのウインクをしてみせると、やはりいつも通りに呆れた顔をされた。
 なんだ、やっぱり変わらない。
 レンは内心で呟き、安心するやらがっかりするやらで複雑な心境だ。
「…えぇと。スイートな方向では期待しない方がいいよ」
「ダメなの?」
「学習しなよ、神宮寺。つか、ボク相手にそんな甘やかな期待ができる方がホントどうかしてる」
 彼女はまた、盛大な溜息をついて。それから、すっと真顔になった。
 レンも、その様子を見て。茶化してはまずかったのかな、と少々の不安を抱えた。
 海羽は、レンの座っている長ソファに、彼とは少し距離をあけてだが腰を下ろした。
 そして、テーブルの上に置いていたスマホを手に取り、
「…聖川には、この間話したから。同じこと、キミにも言っておく」
 先日、真斗にも見せた“親族写真”を用意すると、スマホをレンに渡した。
「聞いてくれるだけでいいよ」
 彼女は話し始めた。
 レンにとっては、唐突ではあったけれど。
 彼女と、彼女の親族について。



 聞き終ったレンは、呆然として。画面の中の、“三きょうだい”を見ていた。
「…九条の、姫って」
 その名前の、恐ろしさを。たとえ三男で家督に関係のない立場だと言っても、レンは良く知っている。
「そんなこと、ジョージはひとっことも…」
「正式に本家に認められてる娘じゃなからね」
 権力も何もないから、と。海羽は苦笑した。
「そうしょっちゅう絡んでくることはないと思うけど、神宮寺家と聖川家の息子たちが、ボクの同級生になったっていうのは向こうにも知れてるからね。なんか、面倒なとばっちりがいくこともあるかも知れないから。執事さん達気づいてるから、とっくに話通ってるかと思ってたんだけど、聖川は知らなかったからさ。きっとキミも知らないんだろうと思って、ちゃんと教えとこうと。でも、みんながいる前でする話じゃないから。二人きりになりたかったっていうのは、そういうこと」
 確かに、ちっとも甘くない。
 レンは、まじまじと海羽を見た。
「ボスの身内で、九条の姫で…なにそれ、背後権力が最強すぎるんじゃないの」
 父方も母方もとんでもない、と。レンはもう、笑えもしない有り様だ。
 そんな反応は、当然予想範囲内だった海羽は、
「まぁ、いろいろてんこ盛りらしいよ? ボクって。個人的にはどーでもいいんだけどね」
 けろっと言い放って。ソファに両足の踵を載せ、膝を抱える。そして、首を横向けてレンを見ると、
「…変わっちゃう?」
 そんな疑問符を投げた。
 レンは、えっ、と呟いた。
「ボクを見る目が。だって、関わりたくないでしょ」
 暑いと言いながら束ねない、彼女の豊かな黒髪が。その表情を隠して、本心を窺わせない。けれど、聞こえてくる声は落胆の色を見せ、言っている内容は、彼女らしからぬ…だと思う。
 レンは、少し沈黙した。
 やがて、
「変えてほしいと言うなら、そうしてあげなくもないけど」
 どこか意地悪く、言った。
「けど、前に海羽サン、俺に言ったよね。『銘で区別も差別もしない』って。なら、俺だってそうしたいんだけど?」
 レンの手が伸びて、海羽の顔にかかっている髪に触れた。指先が、その黒いカーテンをそっと払う。
 以前なら、これだけでも十分怒鳴られていたと思う。けれど、今の彼女は、抵抗を見せない。
「九条がどんな家なのか、俺は噂程度のことしか知らない。逆らえば殺されるとか、末代まで呪われるとか…大人たちがコソコソ話してたことぐらいしか、ね。けど、海羽サンと友達でいることに、家のことを持ち出したくない」
 指先に、髪を絡めてすぅっと引けば、するすると滑る。レンはそのまま、彼女の髪を自分の方に寄せると、
「海羽サンは、“海羽サン”でしょ? 今ちょっと、らしくないけど」
 たどり着いた毛先に、唇を寄せた。
 その様を見て、海羽は不機嫌そうな顔をしたが、それだけで。
「らしくない、ってなに。気にして落ち込むのはダメなのか」
「ダメじゃないけど。俺が触っても怒らないなんて…嫌いなんじゃなかったの? それとも、俺の“魔法”にかかっちゃった?」
 ずい、と近づいて距離を詰めると、彼女はまた盛大に溜息をつき、
「かかってません」
 ばかったれ、と呟いて。すかさず、レンの額にデコピンを決めた。
「ぁいたっ!」
「幸せな思考回路だね、キミは。恋愛脳っていうのは、キミみたいののことを言うんだ」
「ヒドイな」
 弾かれたところを手で押さえながら、レンは口を尖らせる。
「でも、これだけ近づいても平気だなんて。海羽サン、どうしちゃった?」
 男嫌いを自負している海羽なのに。
 指摘に、彼女は。
「慣れたのかな」
 さらっと答えた。
「俺に?」
「も、そうだけど。男の人、そのものに。最近ちょっと、肝が据わってきた気がするんだ。っていうか、好きの嫌いのと言ってる場合じゃない」
 なりふり構っていられない。追い詰められたように彼女は言った。
「どうせ、社会へ出れば自分の好みで物事を動かすなんてできないわけだから。図太くしぶとくやってけないと」
「…それはそうだけど、だいぶ無理しちゃってない?」
「そう見えるの?」
 疑問符を疑問符で返した彼女の表情は、明らかに精彩を欠いている。もともと、それほど威勢のいいタイプでもないけれど、今の様子は、それとは違う。
 レンは、とりあえず身を引いて姿勢を直すと、
「まず、ね。電話の声が、疲れて聞こえた」
 テーブルに置かれたままのグラスに手を伸ばす。溶けかかった氷が、ふわりと動いた。
「…もしかして、それで来てくれた、の?」
「暑いの苦手って、海羽サン言ってたから。そのくせ、絶対に半袖着ないとか、ちょっと理解できないけど。まぁ、俺が行けば済むならって」
「そんな」
「俺が、そうしたかったからしただけ。海羽サンが気に病むようなことじゃない」
 涼しい顔と口調でレンが言うと、彼女は溜息をついて抱えている膝に額を押し付けた。また、髪が彼女の顔を隠す。
「お疲れの理由が、作曲してたからっていうのはここに入ってすぐわかったけど、…ひょっとして、ほかにもあるのかなって。体が疲れてるんじゃなくて、気持ちが疲れてるって言うのかな」
 その台詞の後。しばらく沈黙が生まれた。
 海羽は、膝に顔を埋めたままずっと黙っていたし、レンも敢えて言葉を発さなかった。

 やがて。
 結構な時間が経過してから、
「やっぱ、さすがだよね。神宮寺は」
 そんなことを言った彼女の声は、どこかしおらしくて。いつもと違って聞こえた。今日は、“いつもと違う”が多すぎる。
「多くの人と接してるっていうのは、それだけ相手を見る…分析する力が付くってことだ。広く浅くで社交してるキミは、ほんっとによく気が付くなって思う。尊敬するよ」
 顔を上げて、膝を下ろして。
 けれど海羽は、レンの方は見ずに、
「しかも、聞き出そうなんてカケラも思っていませン、みたいな様子でいる癖に、結局相手に喋らせるとか。アイドルじゃなくて、もっと違う仕事の方がいいんじゃないの?」
 あーあ、と。溜息のような呻きのような声を上げる頃には、口調と声のトーンが普段の彼女に戻り、
「気持ちの疲れ、は色々原因があるけどね。聖川に九条家のこと話したからキミにも話さなきゃ、でもどうしよう…とか。なんとか卒業オーディションの結果が出るとこまでは在校生で居なきゃなんだけど点数足りるのかな…とか。でも、ぐずってるヒマあったらやることやってかなきゃ…とか。他にも、気になってることは大なり小なりいっぱいあって、でも最優先が今は音楽のことだから」
 ソファから立ち上がって、ピアノの傍に行く。鍵盤の蓋を開けながら専用の椅子に座り、静かに指を滑らせ始めた。
 奏でられるのは、一学期にレン達に提供したユニット課題の曲だ。
 ピアノのみのメロディはより繊細で、けれども本家がロック調だということを忘れそうなぐらいに存在感がある。
「デビュー、するの? 海羽サン」
 どうでもいいと言っていた。ほんの、一・二か月前の話だ。
「…そうだねぇ。したいねぇ」
「興味なかったのに」
「…それは、キミもでしょ」
 ちらり、レンを見て。
 レンは、小さく笑うと、
「誰かさんが、この俺をその気にさせちゃったから」
 そう言った。
 海羽は一瞬きょとんとして。
「犯人がそういう顔しないでよ。海羽サンがかけたんだろ、この“魔法”」
 レンも、ソファから立ち上がった。ピアノを弾く海羽の隣に立つ。
 指を止めない彼女の演奏が、サビ部分に差し掛かった。

 旋律に、歌声が乗る。

 レン一人で歌う、ピアノソロバージョンのその曲は。本来の物とはがらりとイメージを変えた。
 甘く響く、落ち着いた声音。けれどもその歌声に、どこか危うげな少年らしさを垣間見て、海羽は少しだけ驚いた。

 “僕らだけの太陽 僕らだけの君へ”

 フレーズが空間を翔ける。
 声が伸びて消え、旋律もエンドマークをつけて。
 彼女が鍵盤から指を下ろした、時。
 横にいたレンが、
「…ちょっとだけガマンしてね」
 囁くように言ったかと思うと、彼女が顔を上げるより早く彼女に手を伸ばした。
 一瞬の出来事だ。
 身を屈めたレンの両腕が彼女の体を取り巻く。少し窮屈な形で抱きしめられて、
「…じん、ぐう…じ?」
 やや俯き気味の海羽の視界にあるのは、レンの腕だ。頭部は背後に回っているので、当然お互いの表情なんかわからない。
「この、歌詞ね」
 黙っていてもよかった。あえて言う必要もないことだと。
 けれど、伝えてみたらどうだろうとよぎったから。
 彼女にこれを明かして、どんな反応をするのか、知りたくなった。
「俺が考えたの」
「………」
「俺にとって海羽サンて、そんな感じ」
 海羽の耳に、近いけれど少し遠く聞こえる台詞。
「ボクを太陽に例えたのは、キミが初めてだと思う」
「人それぞれでいいだろ。少なくとも、俺には…だから」
「う、ん」
「俺がどこの誰でも変わらないって言ってくれたことが、すごく嬉しかった。…暖かいなって思ったんだ」
 海羽は、そう、と呟いて。ぎゅっとこわばっていた体から、ゆっくりと力が抜ける。
「俺らしくないこと言ってるって自覚あるから、茶化すのなしね」
 この現状を、彼女が許している。それだけでも、レンの感情が温度を上げる。
「茶化さないよ」
 なら、これも言ってしまおうか。そう思って、レンは口を開いた。
「…実はちょっと、イラっとした」
 普段、大人びている彼からは。想像しがたい、子供のような拗ねた口調。
「成り行きでも偶然でも親切心でも、…ここに、真斗が泊まったって聞いたとき」

 ほんの数日前だ。早朝に、海羽が男子寮の部屋を訪ねてきたのは。
 たまたまその日レンは、夜のうちに部屋に戻っていた。同室者が出かけているとわかっていたから、かもしれない。
 同室者は帰寮せず、自分もどうでもよかったからさっさと床に就いた。
 惰眠をむさぼるつもりだったのに。思いがけない目覚まし時計だ。
 まず、携帯を何度も鳴らされて。
 仕方なく手に取れば、予想もしない名前で。
 通話に出れば、まず『遅いよ』と小言を言われて。
 挙句に、『キミのルームメイトをうちに泊めたから、着替え出してほしいんだけど』なんて。
 どこから突っ込んでいいかわからない。
 事情を聴けば、どうやら無理に酒を飲まされたらしい、ということと、たまたま拾ったから、ということとを教えてくれた。
 …たまたまで、拾ったりするものだろうか。
 疑問符は巨大だったが、『待ってるんだから早くして』なんて冷えた口調で言われては、もう取りつく島もないのだなと悟らざるを得ない。
 結局、彼女の望むものを支度して、部屋の外で待っていた彼女に渡した。
 事のついで的に、『聖川は大丈夫なの?』なんて問いかければ、まだ寝てる、と短い答えだけ。
 冗談交じりに冷やかしたら、何もなかったよ、と呆れ顔。自分が想像するような“何か”があったなら、とても正気じゃいられないと思った。
 あっそう、で流して、じゃオヤスミと手を振る。
 その後、とても眠れはしなかったが。

「俺だって来たことなかったのに。真斗が先だなんて」
らしくないにも程がある。けれど、あの日だったのだ。自分の中の感情を痛烈なまでに自覚したのは。
 “真斗を泊めた”と言われて、湧き上がったのは間違いなく嫉妬だった。
 だがそれが、“誰かを部屋に泊めた”という事実に向いたものなのか、“真斗だったから”なのかがはっきりしなかった。
 ただ、何故自分ではないのかという思いが最前面だった。
 男嫌いを自負する彼女が、学内で親しくする人間は限られている。その中に自分はいる。少なくとも、真斗よりずっとずっと近い位置に。
 …なのに。なんだって、そんなことに。
「<S>    </S>コンプレックス、なんだね。キミにとって、聖川は」
 おとなしく話を聞いていた海羽が、静かに吐き出すように言った。
「気になっちゃう子に、気にするなって言うのも酷な話だけどさ。神宮寺って結局、おうちに囚われ過ぎてるから。ボクが言える立場じゃないこともわかってるけど」
 レンの、肩に。もたれるように、海羽は首を傾けた。
「聖川とは違う囚われ方。…っていうか、彼は家を振り切りたくて、キミは溶け込みたいのかな」
「そういうわけじゃ」
「ない、事もないでしょ。キミは、必要とされたいんだよ。そしてそれを、出来るだけきちんと体感していたいんだ。…好きな人に、『好き』って言ってもらいたいっていうのと同じ感じ。そうやって確かめてたい。でないと、不安でたまらない」
 分析を、言って。
 レンが、違う、と言いかけて。
「…って、それはボクの方か」
 彼女の呟きに、抗う言葉を飲み込んだ。
「女の子に慕ってもらえるのをいいことに、彼女たちに応えることで『自分は必要とされてる・居てもいい』って気持ちを埋めてるんだ」
 情けない話だよ、なんて。彼女は自分のことだと言っているが、レンにも心当たりがないわけではない。
 同類、という言葉が頭に浮かぶ。けれど、全くの、というわけでもなさそうだと思った。
 彼女の喪失感とレンのそれは、少し違うだろうと。
「いいの? そんな、弱味見せるみたいなことを俺に言って」
 付け込んじゃうよ、なんて。表情が見えないのを幸いと、口調だけは軽口に似せる。
 やや重くなった空気を、変えようとしての言動。
 海羽は、
「そこに付け込まないのが、キミって人だと思ってるけど?」
 そんな反撃を。
「買い被りだな。このままイケナイコトしちゃうかもしれないのに」
「…ないでしょ。キミにとってボクは、そういうんじゃない」
 笑みを含んだ、柔らかい声音で。彼女はそう言って、
「太陽だと言ってくれるなら、それを陰らせるようなことをキミがするの? それ以前に…このボクを“その他大勢”に含めるつもり?」
 最後には、やや低く冷たさをもった声になった。
 その他大勢に、なんて。できるわけがない。こんなに“特別”なのに。
 レンは、小さく溜息をついて。
「ま、そんじょそこらのレディとはわけが違うよね…。今まで、俺に抱きしめられて舞い上がらなかった女の子なんていなかったんだけど」
「それはね、ボクが“女の子”じゃないからだよ。ねぇ、何度目? このやりとり」
「数えてなんかないって」
「しかも、ひょっとして今回は嫌がらせかなって思えるし」
「え? …なんで」
 思ってもいなかったことを言われて。けれど、彼女にはやはり不快だったのかと思い至って、レンはどこか慌てたように離れた。
 できた距離、彼は海羽を見下ろす。見上げた海羽が見たのは、不安をまとう表情。普段の彼とは違う、年相応あるいはやや幼い印象。
「…訊いていい? 神宮寺」
「なに」
「ボクが聖川をここに連れてきたことにヤキモチ妬いたのは、わかった。でもそれ、どっちに?」
 問いかけ後、三秒。
「は?」
 ややきょとんとしているレンと、口元がにやけている海羽とが見合って。
「だって。なんだかキミ、聖川をボクに盗られるんじゃないかみたいな感じに見えるからさ」
「っ、はぁ?!」
 予想の右斜め上をカッ飛んでいく発言だ。
「いいんじゃないの? 神宮寺レンの本命が聖川真斗でも。ボクは、そういうのに偏見ないから」
「そりゃ、ないでしょうよ。あれだけ女の子侍らせてるんだから…って、そうじゃなくて」
「盗らないよ? 面白い子だとは思うけど」
「っ、あのね! さっきの話の流れで、なんでソッチに行っちまうんだ?!」
「…わかってるよ」
 は? と。レンは目をしばたく。
 海羽は、くすくすと笑いながら、
「好意、ありがたく」
 そんな風に言った。綺麗な笑顔だった、と思う。けれども、
「茶化さないでって言ったよな」
「言ったね。茶化してるつもりはないよ」
 どう見たって、茶化されているとしか。
 レンは、溜息をついて。今度こそ彼女から離れた。そして、ソファに戻ると、どかりと腰を下ろす。足を組んで腕を組んで、もう明らかにふてくされている有り様だ。
 そんな彼を、海羽はその場から動かずに見ながら、
「キミは甘えたさんなんだね。三男ならしょうがないか。けど、キミより年下の子には、“子ども扱いしないでくれ”みたいなこと言われるし。なんだかなぁ」
 甘えた、と言われて。レンは反論しようとしたが、絶対にやり込められると想像がついた。事実上、末っ子なのだ。ので、そこは流しておくとして。
 拾うなら、こっちだ。
「誰にそんなこと言われたの?」
 ニヤ、と。笑って。
 実は想像はついていたのだけれど。
 今度は、海羽の方が不機嫌になる番だ。
「神宮寺には関係ないだろ」
 なんて言うものの。
「関係ない、かぁ。…さて、俺の予想の中に正解はあるのかなー」
「…しらないよ、そんなの…」
 少し頬を赤らめて、ふいと顔を背ける。
 そんな彼女を見ながら、
「言いそうなのは、イッチーだよね」
 それが正解だろうなという人物を。
 案の定彼女は、
「答えないよ」
 声を低くして、けれども顔が更に赤くなっているから、隠しも誤魔化しもできていない。
 こういうところが可愛いよな、とレンは内心で呟きつつ、
「シノミーってことはないでしょ。奴は、そういうとこは抗わずに受け入れるタイプだと思う。そんなことで愚図りそうなのは、イッチーの方だな」
 しれっと言い放ってみると。
 海羽は、その赤くなっている顔を両手で覆い隠すと、
「っ、なんなのキミ! なんでそんなこと言うの!」
 悲鳴のような声。
 そして、手を外して顔をあげると、
「…それ、みんな知ってるわけじゃないよね?」
 困っている、のか。恥ずかしい、のか。
 数種類の感情が混ざった、複雑極まりない表情で。
 これは、本当に。レンは小さく笑ってから、
「そんなわけないでしょ。でも、気づいてる人はいるんじゃないの? 俺みたいに。だって、海羽サンの状況知ってても、あの二人はパートナー申請したんだから。プラスアルファあるって、思うでしょ」
 からかうべきではないな、と。溜息をつく。
 姉がいると、弟はこんな気持ちになるのだろうか。姉を取り巻く、自分ではない男たちの存在に、こうも苛立ちを覚えるものなのか。
「……どうしたらいいと思う? 愛の伝道師さん」
「それ、俺に訊くの?」
「客観的な意見、ちょうだい」
 こんな相談をされる羽目になるとは思わなかった。レンは内心で天井を仰ぐ。
 自分だって、好意を持っていることを示したはずなのに。彼女の中でそれは、明らかに“違うもの”として認識されたようだ。
 これは、結果としていいのか悪いのか。
 いつぞやの、翔とのやり取りを思い出す。彼は、彼女への好意を肯定したが、それを表に出すことはしないと言った。あくまでも“大切な友達”として接していくのだと。
 …レンは思う。自分もそうするべきなのだろうか。海羽が、レンの接触を許容したのが、“男という認識ではない”のなら。
 導き出した“結論”に。レンは、仕方ないなと呟いた。
「客観的、ねぇ。それをするには、もうちょっと情報が欲しいんだけど」
 彼女がその形を望むなら。
 叶えるのもまた、想いのあり方の一つだろう。





 レンが海羽の部屋にいたのは、二時間程度といったところか。
 打ち解ければやはり彼女は饒舌で、学校で見ていた姿とはずいぶんと印象が違っていた。
 男装はしていても、役に入っていない分、仕草も何もかもが可愛らしいと思えた。
「…これを味わいたくないから、おチビはあの選択にしたのかなぁ…」
 楽しい時間だった、けれども。
 もどかしさは増すばかりだ。
 トキヤと那月から、恋愛的アプローチを受けている…と。海羽は、馬鹿が付くほど正直に答えた。
 レンは笑顔で聞いていたが、当然心中穏やかではない。
 友人として相談を受けた、という感じとも、また違う気がした。
 海羽は、無自覚だとは思うが、レンを弟に見立てて話をしていたように思う。
 距離が縮まったことは嬉しいが、…こういう形でというのは少々複雑だ。
 一体、どこから間違えてこうなったのだろうか。
「…そんなに、末っ子気質なのかね…俺は」
 それとも、海羽が姉気質過ぎるのか。
 敢えてそうしたと言うよりは、自然とそうなった感のある現状だ。
 ただ、狡い考えをすれば、…これが一番簡単に彼女のそば近くにいられる肩書きなのかもしれない。
 問題は、どのタイミングでそのポジションを脱却するのか…というところではあるが。
 解釈ともかく、優しくなった彼女の眼差しは、案外悪くないものだった。
 
 まぁ、いいか。今はそれで。

 妥協と言われればそれまでだが、ここを焦るとすべて壊れてしまうのではという危機感はあった。
 翔も言っていた。『困らせたくない』と。それは、レンも同じだ。
 今現在、二人に言い寄られて困り果てているわけだから。
 もちろん、そこを横からかっさらっていくのもアリではあるのだろうが…
 今すぐすることではないと思えた。
 音楽のことが最優先と言った彼女は、確かに本気でデビューを目指しているようだ。
 ここは、あの二人が行き過ぎないようにそれとなく監視しつつ、彼女の傍についているのが一番の得策だろう。

 言えなくなってしまった想いは、さしあたり歌詞に詰め込むものとして。
 レンは肩を竦めつつ、寮の自室へと帰り道を急いだ。
 いいフレーズが浮かびそうだ。





 

<Div Align="right">2013.10.3 初アップ
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</Div>