どうしてもと母親が言うので、盆には実家に戻った。
 なんだかんだと忙しく過ぎていき、会いたがったはずの母親ともほとんど顔を合わせられないほどだった。
 けれど、帰り際に。
 真斗は、母に呼ばれた。
 久しぶりに入った母の部屋に、それは飾られていた。
 以前からあっただろうか、と思う。小さな写真立ての中に、二人の乙女が写る、少し古い写真。
 真斗は目を瞠った。
 一人は、若かりし頃の母だとわかる。
 けれど、もう一人は。
「…馬鹿な」
 思わず零れた呟きを、母は微笑んで受けとめた。
「そっくりなのですってね。藤川から聞きました」
 穏やかに、紡がれる母の言葉に。真斗は、自身の混乱を自覚した。


 母と写るのは、どう見ても早乙女海羽その人だ。






<i>Episode.18 『Fire Flower(前編)』</i>





 渡してほしいものがある、と。
 そう言って、母は真斗にその品を託した。
 帰りの道のりで、過ぎる景色をぼんやりと見ながら、真斗は溜息をつく。
 あの写真は、二十数年前のもので。母と映っていたのは、母の友人だという。
「九条霧子嬢…か」
 教えてもらった名前を零して、また溜息を。
 十中八九、海羽の母親だ。九条の名、あの面立ち。海羽本人かと思う程に似ていた。
 まさかそんな人物と自分の母が知り合いだったなんて。
 母の話では、かなり親しかったようだ。今でもああして、二人で写っている写真を大切に飾るくらいだから、よほどだ。その友人の娘が息子と同じ学校に通っているなどと聞けば、思うこともあったのだろう。体の自由がきくのなら、是非に直接会いに行きたいところだとも言っていた。
 真斗の母は、病気がちな人。そうそう長旅はできはしない。今回の帰省を強く望んだのも、目的は息子本人ではなく…と思えば、納得もする。
 時間は短かったが、母は真斗に海羽の母親についてを語って聞かせた。誰かに話したかったのだろう、聞いてもらいたかった…そして、代わりに海羽のことを聞きたかった。
 だからこそ、の。
 海羽の母と海羽自身は、姿のみならず立ち居振る舞いも似ているらしい。学園で彼女は男装で過ごし、女子生徒に高い人気を誇っていることを話したら、母はおかしそうに笑った後で『霧子さんもそうだったのよ』と言った。フェミニストで、当時はまだ女性が軽んじられた時代の名残があったためか、ひどく異端視されてはいたが…自身のスタイルは絶対に変えない、大変な頑固者でもあったと。
 真斗も笑う。まだ、あまり親しくはないけれど、知る限りの情報を統合すれば…海羽は母親と似すぎているのだろう。子も交えて、親同士再会できる場を設けたいと話して…
 そこで、空気が沈んだ。
 真斗の母は言った。それは叶わないことだ、と。

 海羽は、家族を亡くしたのだ…と。

 知らなかったから、衝撃は相当だった。
 愕然とした真斗に、母はそれがいつ頃のことなのかと、その後の海羽の消息は途絶えてしまっていたこととを話した。だから、今年自分の息子と同じ学校に通っていると知って、生きていると知って…今も、居ても立っても居られない…と言った。


 自由に家から出られない身だから、お使いを頼まれて欲しい。…というわけで、件の“真斗の母から海羽への贈り物”が、真斗の手にあるわけだ。
 預かった物の内容を聞き、正直なところそれもあって憂鬱なのだが…あの母によろしくと言われて、無碍になどできるわけもなく。
「どう…説得したものか……」
 彼女と連絡を取らねばと思いつつ、携帯を手に。けれどもうまい言葉が見つからずに、ずっと手の中で弄んでいる。
 覚悟が決まらない。





 結局、真斗が海羽に連絡をつけたのは寮に帰ってきてからで。
 母からの品以外に土産として調達したものが水菓子なこともあり、やはり今日中に渡さねばと気を奮い立たせて電話をかけた。
 こんなことにこれほど気力を使うとは。自分が未熟なせいなのか、それとも母の使いだから余計に緊張するのか…あるいは、彼女の渋顔が目に浮かんでしまうからなのか。


 社員寮、早乙女海羽の部屋の前。夏休みの間は、こちらが拠点だと言っていた。
 インターホンを押し、やや待つと。
 かちゃりとドアが開いた。
 けれど。現れた人物を見て、真斗はぎょっとしてしまった。
 ここは独身寮で、主に海羽だけがいると聞いていたのに。
「お、聖川か。どうぞ」
 出迎えたのは、なんとSクラス担任の日向龍也だ。
「え、…っと」
「どうした? 海羽から聞いてる、上がれよ。あいつ、奥にいるから」
 はい、と。慌てて返事をして。真斗は玄関に足を踏み入れた。
 仲がいいのは知っている。一緒にいるところを直接見たことはほとんどないが、噂で聞こえてくる分には、この二人の仲の良さは相当だということだ。恋人説を打ち立てている者もいる。確かに違和感はないので、誰も異を唱えない。ただ、本人に確認したりはしていないようだが。
 それが、…こんな風に。彼女のテリトリーで遭遇するとなると、やはり…。
 客用のスリッパを出し、龍也はLDKへ向かう。
「海羽、聖川が来たぞ」
 呼びかけ方も自然すぎて、これは本当にと思ってしまう。
 真斗は、ここへ来てよかったのだろうかと気まずく思いながら、龍也の背に付いてLDKに入った。
 ダイニングテーブルの上に、ノートパソコンが二台。シンセサイザーの傍にある、タワー型も起動している。散らばっているのは、書類のようだ。
「んー、ごめんね聖川。もー終わるから」
 テーブルについて、ノートパソコンに向かっている海羽。状況のせいか、装いが違う。男装はしているが、“男物を着ている”程度だし、両サイドの髪を上にあげてクリップで留めている。そして、…眼鏡だ。黒縁の眼鏡は、彼女の印象を大きく変えている。
「悪いな、せっかく来てくれたのに。今、事務所の仕事を手伝ってもらっててな。おかげで何とか間に合った」
 龍也が言うには、今日の六時までにまとめなくてはならないものらしい。夏休みということもあり、普段以上に仕事が詰まっている状態で、あげくに手伝いの手も足りなくてという有様だったそうだ。
「海羽も忙しいからな。あんまりこっちに持ってきたくなかったんだが」
「今日は一日あいてたからねー。…っと、よし。あとは、バックアップとって…念のため、CDRに焼いとくね」
「あぁ、助かる」
「万が一があっちゃいけないからね」
 言いながら、彼女は椅子から立ち上がり。タワー型パソコンの傍に置いてある、空メディアを取ってまた椅子に戻る。所定の手順を踏み、ドライブにディスクを突っ込んだ。
「さぁてー。お待たせ、聖川。ソファの方座ってよ。お茶入れるねー」
 パソコンがCDRにデータを書きつけている間に、テーブルの上を手早く片付けて。彼女はキッチンへと行ってしまう。
 その前に。
 真斗は、
「先に、これを。土産だ。水菓子だから、よく冷やして、できるだけ早めに食してほしい」
 包みを一つ、彼女に渡す。
「えっ、ほんと? わぁい、ありがとう!」
「口に合うといいのだが」
「大丈夫だと思うよー。ごめんね、気ぃ遣わせちゃって」
「いや。…世話になっているからな。課題の曲とか」
「あっ、どう? 良さそう?」
「あぁ。珍しく、神宮寺もやる気を出していたな。あとは、提出用のレコーディングをするだけだ。お互いのスケジュールがなかなかかみ合わなくて。ギリギリになってしまうが」
「大丈夫だよ、キミら、何のかんの言っても息合うし。一発録りで行けちゃうんじゃない?」
 にこ、と笑った顔が、やはり様々な要素のせいでまったく違う雰囲気を見せる。あどけなさと、可愛らしさと。凛々しさはなりを潜め、“かっこいい”という形容が姿を消す。
 眼鏡、というアイテムは、知的さを演出するだけではないのだと知った。
「…目が、悪いのか?」
 思わず訊いてしまって。彼女がきょとんとしたその顔がまた可愛らしくて、少し感情が忙しくなる。
「あぁ、これ?」
 言いながら。眼鏡を外した。
「これね、パソコン用の眼鏡。ブルーライト軽減、とかなんとかいう奴。友達がくれたんだ。ボクは、作曲の行程で結構パソコンに向かうから」
「度入りではない?」
「そうそう。伊達。外ではかけないから、ファッション性とかはあんまり気にしてなくて。似合わない?」
「いや、そんなことは」
 むしろ、似合っていた。賛辞を述べようとして、けれど気配にそれを阻まれる。言ってもいいのだろうか、と躊躇した。視界の端では、龍也が書類の確認をしていた。
 …恋仲?
 訪ねるのは当然不作法だ。だが、気になる。
 そう言えば、以前ここに泊まった時。真斗が着ていたパジャマは男物で、明らかに彼女のものではなく。真斗が着ても、大きかった。
 …龍也のもの?
 そう考えれば合点がいく。彼くらいの体格ならば…。
 けれど、それだって尋ねるわけにはいかない。
 気になって、胸がざわつく。
 <S>   </S>何故なのだろう。

 真斗が思考に入り込んで立ち尽くしている間に、彼女はお茶の支度を整えていた。
「聖川?」
 呼ばれて、真斗ははっとする。
「どうしたの、暑さであたった? 長旅で疲れてる?」
 とてとてと、近づいてくる足音。視界の焦点が合うと、間近に彼女の存在。
 思わず、たじろいで。
 少し離れたところから、くっ、と笑う声が聞こえた。
 龍也だ。
「聖川。海羽は結構、勝手な奴だから。そう身構えなくてもいいぞ」
「ちょ、勝手ってなにさ。もう少し言いようってもんが」
「だってそうだろうが。男嫌いを自負してるけど、慣れてくれば問題なしで、相手が気を遣って距離を作るのに、お前は突然至近距離にいたりするし。扱いがわかりにくいんだよ」
「…じゃあ、離れてるからいいよ」
 むすっとして言って、彼女は真斗から数歩離れる。
 それはそれで…
「…それはそれで、嫌われたような気になって少々…切ないな」
 つい、真斗は言って。
 また、龍也が笑う。
 海羽は、
「えー、なにさ、どうしろってのさぁ」
 両手を腰に当て、怒った顔をして。
「お互いにうまく調節していけばいいだろうが。お前はその唐突さを軽減してやれ。ある程度付き合いの長い奴らは、お前のパターンがわかってるからいいが、最近親しくなった奴らにはまだ難しい。…ずっと一緒にいたいと思うなら、そういう努力も大事だぞ」
 書き込みの終わったCDRをディスクトレーから出し、プリンタブルのレーベル面に何事かを書きつけながら。龍也は苦笑した。
「ま、その様子なら、Aクラスに行っても大丈夫そうだな。四ノ宮がパートナーだから、そこからうまくつながっていけるかなと思ってはいたが…聖川が単身で遊びに来るくらいには、親しくなれてるわけだし」
 え、と。真斗は少しギクリとする。一人で来ない方がいいのだろうか、なんて考えがよぎっていった。まだ、この状況に対して自分がどうすべきなのかがわからない。
「学園祭のこともあるからね。それに、Aクラスの子は、みんないい子だよ。こうしてみると、Sクラスって案外、まとまりなかったんだなって思う」
「おいおい。…まぁ、確かにな。Sクラスは選り抜きな分、個性が強すぎて“まとまる”って感じではないかもな。Aクラスの団結力は大したものだぞ。海羽、お前、ぶっ壊すのだけはナシな。林檎が泣いちまう」
「やだなぁ。そんなことしないよ。…なじめるかは別だけど」
「努力をしろと言ってるんだ」
「…善処はします」
 龍也と海羽の会話はテンポがよく、気心が知れているのだとはっきりわかる。
 また、思考が少し暗くなったのを感じて。真斗は軽く頭を振った。
 そんな彼に。
「聖川。もしかして、まだどっか行くの?」
 海羽が問いかけた。
「え? いや、特には」
「だって。まだなんか持ってるじゃん」
「…あ」
 まさか、これを失念するとは。
 真斗の手には、母から託された風呂敷包みが抱えられている。
 実際、用件の本命はこちらだ。
 真斗は、いやその、とどこか歯切れ悪く呟いて。
 首を傾げている彼女に、
「……これも、土産なのだ。その、…俺の母親から」
 ずい、と。包みを差し出した。
「キミの、お母さん???」
 盛大な疑問符は、当然だろう。
「なんでまた、そんな」
「えぇと…包みの中に、母からの手紙が入っている…から。読めば、わかる」
 海羽は目をしばたいて、なぜか龍也を伺った。
 龍也は、開けてみればいいだろう、と彼女を促す。
 …何故、こんなことに彼の許可を得るのか。真斗はまた一つ、疑問を抱える。
「なんだろ、布製品っぽい…」
 包みを受け取った彼女は、それをダイニングテーブルの上に置いた。龍也が片づけを済ませていたそこで、包みを開く。
 出てきたのは、
「…浴衣…? と、帯…」
 と。
 品のいいデザインの封筒。
 中の便箋を出して開く。
 封筒と揃いのそれに、整った文字で丁寧につづられていたのは、挨拶や自己紹介から始まるやわらかな文章と。
 この浴衣がどういう物なのか…ということと。
 黙って読んでいる彼女を、真斗はどこか不安げに見守っていた。
 やがて、
「<S>    </S>そういうこと、か」
 吐息と共に、海羽が呟いた。
 便箋を畳んで、封筒にしまう。
 そして、浴衣を広げた。
 濃紺の地に、薄い桃色と水色とで抜かれた大きな花柄。花の色に合わせた、薄桃色の帯はシャーベットのような清涼感を持っている。
 実は、真斗も風呂敷の中身の詳細までは聞かされていなかった。ただ、衣類だということだけだ。
 これを彼女に渡すこと…そして。彼女がそれを着たところを、写真に撮って送ってほしいと言われたのだ。
 衣類、の内容によるとは思っていた。普段男装で通す彼女だが、母が寄越してきたその“衣類”が男物なわけがない。着てくれるのかと、ずっと不安に思っていた。
 そして、今。衣類の正体がわかり、これはますます無理なのではと絶望しているところだ。
 しかしなぜ、よりにもよって浴衣なのか。
「どういう、謂れの…?」
「あれ、キミ、聞いてないの?」
「母は、中を見せてはくれなかった。ただ、『霧子さんのお嬢様に渡してほしい』と頼まれただけだ。あなたのこと、だろう?」
 キリコ。
 その名を聞いて、海羽は、うん、と頷いた。龍也も、それまで黙って見守っていたが、なるほど、と呟く。
「手紙には、この浴衣と帯がもともとお母さんの…九条霧子の物だったってことが書いてあった。お母さんが結婚する前に、キミのお母さんに譲ったみたい。霧子の娘が生きているって知って、返したいって」
 言いながら、海羽は浴衣を畳みなおした。風呂敷も結びなおす。
 仕草を見ながら、真斗も納得した。母が何故これを託したのか、その理由だ。
 母から聞いた話では、一家は火事に見舞われて亡くなられたとのことだから、…おそらく彼女は、遺品などをほとんど持っていないのだろう。だからせめて、自分が持っていた海羽の母の持ち物を…と思ったのだ。
「けど、着ないからな。キミのお母さんてことは、和装するでしょ。そのまま持っててほしいって思うんだけど…お返しするわけにはいかない?」
 そう来るだろうな、と真斗が予想していた言葉が来て。
「おい、海羽。そりゃ失礼だぞ」
 真面目な顔で、龍也が窘めた。
「聖川のおふくろさんの気遣いだ、ありがたく受け取っておけよ。何にも持ってないだろう、お前」
「燃えちゃったんだもん、しょうがないじゃない。おじ貴が写真とかは持ってたから、それくらいはあるけど」
「だから。ちゃんと受け取って、お礼もするんだぞ。…手っ取り早くて相手も気を遣わなくてっていうと、それを着たお前を見せることなんだろうがな」
「は?!」
 顔にはっきりと、『お断りだ』と書かれている気がする。そのぐらい、彼女はわかりやすく拒絶を示した。
 あぁ…と。真斗は溜息をつくが、
「実は、母からの依頼はもう一つあって」
 引き下がるわけにはいかないから、そのもう一つのことも彼女に告げる。
 写真の件だ。
 案の定、
「それはちょっと」
 色いい返事などもらえるはずもなく。予想通りの渋顔。
「女物を着たくないというのもわからなくはないが、その、」
「違うよ」
「っ、え?」
 説得に言葉をあぐねながらの真斗に。海羽は、低い声で訂正を施す。
「女物を着たくないんじゃない。…肌を出したくないんだ」
 彼女の手が、自身の襟元を掴んで。
 真斗は、目をしばたいた。
 彼女の出で立ちは、女物を着ることを嫌ってのことだと思っていた。真夏でも薄着をしないのは、女性であるを隠したいからだと。体の線が出れば、どうしたって女だということがわかるから、それを隠すためだと…思い込んでいた。
 離れたところで、龍也が溜息をつく。
「…海羽。いい加減にしろ。聖川を困らせるな」
「っ、だって! 龍也は知ってるじゃない、ボクがなんでそれが嫌かって!」
「あぁ、知ってるよ。浴衣着たくらいじゃ、さして問題ないってこともな。全部隠れるだろ」
「わかんないじゃん」
「なら、着てみろ」
「だから…!」
 声を荒げて震える彼女を見て。なにかやんごとない事情があるのだと、真斗は悟る。
 普段、首すら出さない彼女。今も、休みだというのにそれは変わらない。いつだって襟の高いシャツを着ている。ボタンを外すこともなく、制服の時など、ネクタイもきっちり締めていた。
「着るだけ着て、写真を撮って、すぐに着替えてくれていい。…あまり、わがままを言わない人だから、叶えてやりたいと思うのだが」
 真斗の母は、とても控えめな人物だ。それが、今回の件についてはいつになく前のめりで、強い願いだと思えた。
 海羽は、むぅ、と唸って眉根を寄せる。
「あ…あまり無理強いになるのなら、母上には何とかご理解いただいて…」
 食い下がれず、譲るようなことを言った真斗に。
「聖川。そこで退くな」
 龍也の台詞がかかる。彼は、すっかり荷物をまとめていて。けれど、鞄の中をごそごそと探っている。
 やがて。ひら、と出てきたのは一枚のチラシだ。
「海羽、それ着て、聖川と行って来い」
 不機嫌な顔をしたまま、海羽はそのチラシを受け取る。
 早乙女キングダムの広報だった。映されているのは、ナイトパレードの様子と、夜空には大輪の花火。そして、浴衣の男女。
「…龍也?」
 訝しげに、彼女が眉根を寄せる。真斗も、彼女の手のそれを見た。
「ここにいりゃ、音くらいは聞こえてるだろうが。ナイトパレード豪華版で、花火も連日上がってる。浴衣で来園のカップルは、いろいろサービスつくから」
 確かに。チラシには、“男女ともに浴衣で来園すると、入園料半額・ドリンクチケットプレゼント”と書かれている。
「聖川、浴衣持ってるな?」
「あ、はい。あります、が…」
 自分はいいとして。
 チラシを睨む海羽の、表情の険しいことと言ったら…。
「でもほら、龍也。浴衣と帯あるけど、履物ないから」
「お前、ここをどこだと思ってるんだ。下駄くらい、いくらでも手配できる。ごねるな、潔く受け入れろ。少しずつでも克服していかないと、いつまでもソレでいいわけじゃないぞ」
「む…」
 ますます、眉間の皺が深くなる。顔が変わってしまわないか心配になるくらいにだ。
 海羽は、どこか忌々しげに風呂敷包みを睨んだ。
「って言うか、カップルじゃないし」
 ぼそ、と低く呟く文句が、屁理屈めいてきている。
 龍也は盛大に溜息をついた。
 そして、
「…わかった。海羽、これは特別課題だ。お前と、…聖川に」
 えっ、と。二人が龍也を見る。
「とくに採点もしないし、誰かを審査に着けるわけでもない。だが、結果は確実に、…聖川のスキルになるだろう。お前ら、模擬デートして来い」
 “模擬デート”。二人、異口同音に呟いて、顔を見合わせた。
「聖川は、演技において、恋愛方面のスキル値が極端に低い。歳を考えればそんなもんとも思うが、ある程度底上げしておかないとデビュー直後辺りが厳しい。とにかく、いろんなオーディションを受けることになるだろうからな。選んでなんかいられないぞ」
 言われて、真斗はこくりと頷いた。スキル値が低い、と言われるのは悔しくもあるが、承知していることだ。
「だから海羽、お前少し、手助けしてやれ。俺の芝居の練習相手をしてきてるお前なら、それなりにこなせるはずだ。今日これで二人で出かけて、誰に見咎められても、俺がきちんと処理してやる。…もちろん、二人で花火見て帰ってくるだけで十分だぞ。俺がフォローしきれないようなことまではしないように」
「…おもいっきりボクだけを見て言ってるね、龍也…。ちょっと仲良くなってるからって、そんなお行儀の悪いことはしませんけど?」
「…聖川、間違ってもこいつにアルコールを飲ませるなよ」
「は、はい?」
 酒の話題が出て、ギクリと心臓が震える。声が裏返りそうになった。
「コイツな。酒好きなんだけど、弱いんだよ。正体なくなるほど飲んだりはしないけどな」
「は、はぁ」
「海羽も、連れてるの未成年だっていうのちゃんと頭に入れとけよ」
「言われるまでもないですけど!」
 不機嫌の絶頂だ。


 しっかりやれよー、と。どこか無責任に言い置いて、龍也は帰っていく。
 玄関のドアか閉まる音がして。
 あぁ、と、海羽が吐息する。その場にしゃがんでうずくまった。
「ど、どうした?」
「どーしたじゃないよ、ごめん、聖川…」
「え? い、いや、謝られるようなことは」
「なくないよ、巻き込んじゃったじゃない。龍也め、聖川を巻き込めばボクが逃げられないとわかってて…っ」
 ぺっ、と。彼女が手にしたままだったチラシを床に放る。
 真斗はそれを拾い上げた。
 そして、
「…待ち合わせは、現地でいいのだろうか? それとも、改めて迎えに来た方がいいのだろうか」
 と。
 海羽が顔を上げる。ばち、と視線が合って。
「監視つけるわけじゃないって言ったんだから、バックレちゃってもわかんないのに」
「ばっく…れ?」
「あぁ、えと、行かなくてもいいってこと」
「いや、そうはいかない…と言うか、…その。実は、…名案だと…思っていて」
 もちろん、彼女が賛同してくれるなど思ってもいない。真斗は少したどたどしく、自身の考えを言った。
「日向先生の言う通り、俺は色恋に関する経験値が本当に低い。これは、あなたも言っていた。けれど、それをどうにかするために、そのあたりにいる婦女子に声をかけて…などと言うことは、到底出来そうもない。ならば、ある程度親しくて、なおかつ、それなりの場数を踏んでいそうな人に、教えてもらうのがよかろうと思っていた。…俺に姉上でもいれば、気軽に頼めたやもと思う」
 チャンスなのだ、と。真斗のまなざしは大真面目で、勤勉な彼らしい輝きを持っていて。
 海羽は頭を抱え込んだ。
 そして、
「監視つけないとは言ったけど、休み明けに演技テストでそういう内容のふっかけてくるのはやりそうなんだよね…。その時にキミがたどたどしすぎたら、それでバレちゃうってことだもんね。もっとも、一回デート行ったくらいでどうってのもないんじゃあとは思うんだけどさ。その辺は、キミがどう吸収するかってことだもんね」
 仕方無げに、もう一度吐息して。立ち上がる。
 テーブルの上の風呂敷包みを手に取った。
「現地待ち合わせにしよう。ナイトパレードは七時からだから、六時半にメインエントランス前。園内案内の掲示板があるから、そこの前。…ご飯、園内でちゃんと食べるのは難しいだろうから。少し食べてから来た方がいいかもね」
「了解した」
「……なんかもう、キミとの縁って多分、ボクのお母さんが草葉の陰からなんかしてんだなってわかったけど…」
 母同士のつながりを知り、これはもう呪いのたぐいだと海羽は肩をすくめる。
 真斗は苦笑し、
「あなたには、災難かもしれないが…申し訳ない」
「もーいーよ。犠牲を払うからには、キミにはきっちりお勉強してもらわなきゃね」
「犠牲、とまで言うのか」
「ボクにとっては、ね」



 いったん解散、となって。
 待ち合わせの時間に遅れないためにも、真斗は寮への帰り道を急ぐ。
 頭から、彼女の言葉が離れない。
 “犠牲”
 浴衣を着ることを、ああまで嫌がった理由。
 彼女が頑なに肌露出を拒むのは、何故なのだろう。
 そして、…龍也が言いだしたとはいえ、ほとんど無理強いも同然だ。
「これで、俺がなんの成長も見せないなどということになれば…」
 彼女は、落胆どころではないだろう。
 せめて、模擬デートだけでも成功させなくては。
 何をどうするものなのか、見当もつかない…というのが現状ではあるが。
 大惨事にだけはすまい、と。心に誓った。