「トキヤってさ。海羽さんの前だと、なんか素直だよね」
 それは、何の脈絡も前振りもなく。同室者の口から飛び出た。
 どう聞いても戯言、と。思ったはず、なのに。
 背中合わせのデスクワーク。きし、と背後の椅子が動いた音がして。
「あ、図星? ここから見てもわかるよ、トキヤが赤くなってるの」
 振り向いていたらしい彼の、何やら嬉しそうな声が。

 凶悪な響きを持って、トキヤの頭上に巨大な星を降らせた。
 そう、それこそが。
 かの有名な“図星”。




Episode 7.5 そんな、ふとした日常のヒトコマ




 無視だ無視。無視するしかない…
 心で唱えながら、トキヤは課題に集中しようとする。
 けれど、
「ねぇ。海羽さんて、どんな人なの?」
 背後からの襲撃がやむことはなく。
「ねぇったら。トーキーヤ」
「…そんなこと、教える義理はないでしょう」
 少し前に、同じことを神宮寺レンに訊かれたときには、まともに答えられなかった。けれど今、音也に訊かれてもやはり答えられない。
 だから濁したが、それですんなり下がる人物ではなかった。
「えー。訊くぐらいいいじゃない。それとも、そんなことにも妬けちゃうの?」
 馬鹿にされたような気がして。
「音也!」
 つい、苛立ちに任せて、やってしまった。
 手に持っていたペンを、振り向きざまに。背後の標的に向けて、刃物よろしく…あるいはダーツのように投げつけてしまったのだ。
「っわ!」
 あっ、と思った時には、ペンは手を離れていて。
 幸い、そこそこに反射神経のいい彼のおかげで、どこかに刺さったり怪我をさせたりということはなかったが。
「ちょっと、トキヤ! 危ないよっ」
「す、すみません…つい」
 慌てて椅子から降りて、同室者のところへ行く。
「…そんなに苛立っちゃうぐらい、海羽さんのこと好きなの?」
 拾ったペンを、トキヤに差し出して。音也は苦笑気味に言う。
「そういうわけでは」
「…中毒みたいに、彼女の曲聴いて過ごしてるくせに。相談ぐらい乗るよ? 友達じゃん」
 ペンを受け取ったトキヤは、眉間にしわを寄せつつも頬を赤くして。
 自分の席には戻らずに、近くにある音也のベッドに腰掛けた。
 かくりと俯ける顔。どこか、憔悴したような有様。
「音也にそんなことを言われてしまう程、私は…」
 声は思いつめたように聞こえる。
「もしかして、自覚なかった?」
「…自覚……」
 音也は、あーあ、と溜息をついた。呆れたわけじゃないし、大げさにもしていない。ただ、“やっぱ自覚なしだったか”とは思っていた。
 たぶん他にも、気づいている友人はいるだろう。
「あのレコーディングテストの結果発表あたりからだよね。トキヤと海羽さんが不合格で、海羽さんが部屋に戻らなくて。トキヤが探しに行って、夜中に帰ってきて。次の日、新曲でリベンジして。あの一連の一件から、トキヤ、ちょっと変わったと思う」
 同じ部屋に暮し、まだ期間はそう長くはないとはいえ、おそらくは音也が一番トキヤを見ているだろう。
 だから気づく、変化。
「変わった、ですか」
「んー。まぁ、今でも、ちょっとツンツンしてるかなとは思うけど。あの時を境に、そこまでひどくないって言うか、特に海羽さん相手の時だと、他の人よりずっと表情が優しいなと思う。まぁ、海羽さんが年上だから、頼れてるのかなってのもあるけど」
 課題で作曲者が必要になると、トキヤは迷わず海羽に協力を求めた。海羽もまた、気安く「いいよ」と言うので、もうこの組み合わせはほぼ定番だ。そして、高得点をもぎ取っていく。
「俺はクラス違うから、それこそ時々見かけるぐらいなんだけど。海羽さんのほうも、トキヤといる時ってちょっと違うのかなって思った。七海と仲いいじゃん、海羽さんって。けど、七海といる時の海羽さんと、トキヤといる時の海羽さんがもう、違うんだよね」
「私は、七海さんといる時の彼女を知らないのですが」
「あ、そうか。うん、なんて言うのかな。七海はまた特別なんだと思うんだけど、たとえば他の女の子たちといる時って、海羽さんはやっぱり男役にシフトしてるんだよね。でも、トキヤといる時の海羽さんって、ちゃんと女の人だなって雰囲気なんだよ。傍にいるのが女子か男子かでの比較の問題かなと思ったんだけど、たぶんそうじゃないんだよね」
 役を作る必要がないってことだよね、と続けて。音也は微笑んだ。
 トキヤをそれを見て、また俯く。そうだろうか、と考えて。
「まぁ、それがイコール、トキヤに気があるかとかって言うと、違うんだろうけど。ただ、海羽さんの男嫌い・女の子好きっていうのは全校レベルで有名な話で、そんな海羽さんが比較的平気そうに一緒にいるのが、トキヤとかなんだよっていうね」
 第三者目線の、別クラスからの視界。音也の言葉に、トキヤはふぅんと鼻を鳴らした後、
「私、とか?」
 気になった部分に疑問符をつけた。
 音也は、アレ? と自分の発言を脳内で思い返しつつ、
「あ、えーっと。んー、…これ、言ってもいいのかな。まぁ、俺から見てってことだから、実際どうかはわかんないよってことで聞いてよね」
 そんな前置きをして。
「海羽さんって、たぶん一緒にいる相手によって、態度が違うと思うんだ。悪い意味でじゃないよ、接し方の深さが違うって言うのかな。会話する男子もすごく限られてるし。そんな中で、『ちょっと特別なのかな』って思えるのが、トキヤと、…翔なんだ」
 翔。
 出てきた名前に、トキヤの胸がズクリと痛む。
 確かに、先日のユニット課題の時以来、彼女と来栖翔の仲はかなり良くなっている。気が合うのか、よく二人で話をしているのを見かけた。
「彼女と翔が仲がいいのは知っています」
「仲いいって言うか、あの二人って…っ、とと」
 言いかけて、音也は少し焦ったように口をつぐんだ。
「…音也?」
「あー、うん。トキヤはこういうの、あんまり興味ないよね。人の噂話、とか」
 苦笑して濁す言い方に、トキヤは首を傾げる。
 やっぱり知らないか、と。音也は、言いかけてしまった手前ひどく気まずくて。
 結局、
「いや、あの二人さ。付き合ってるんじゃないかって」
 それを聞いて。トキヤは、はぁ? と声を上げた。
 少なくとも、教室で一緒にいる二人を見る限りでは、そんな様子はまるでない…と、思う。
「仲はいいですが、そういった雰囲気ではないですよ」
 あれはむしろ、姉弟のような。
「んー。まぁ、レンもそう言ってたんだよね。けど、“あの噂”もあるし」
「どの噂です?」
 クラスが違えば、様々な憶測が飛び交ってしかるべきとは思う。特に、海羽はいろいろな意味合いで有名人だ。良くも悪くもあるだろう。
 音也は、また気まずそうに頬を掻いた。
 そして、
「ちょっと前に、海羽さんと翔、一緒に出掛けたらしいんだ。で、その日に、女子寮の入り口の前で、二人が抱き合ってたって…噂」
 なんだケド、と。
 音也が言い終わってから、トキヤの理解が追いつくまで、約三秒。
 経過してから、
「っ、はぁ?!」
 トキヤの素っ頓狂な声が部屋に響き渡る。
「いや、あのね。見たって子がいるって話を、聞いたことがあるだけなんだ。誰が見たとかはわかんないんだけど。二人とも私服だったって言うし、その日は、海羽さんが翔を誘って遊園地に行くって言った日だったらしいから、…うん」
 又聞きの、すでに出所も定かでない“噂”だ。
「そもそも、なぜそんな、翔と彼女が出かけることが知れているのです?」
「いや、教室でその約束してたらしいよ。放課後だから、ひょっとしてトキヤはもういなかったんじゃない? バイトとかで」
 そう言われては、トキヤもなるほどと思わざるを得ない。終礼とともに教室を出ていくなどしょっちゅうあることだ。
「…で、まぁ、その日から、あの二人ちょっと、距離開いちゃったみたいなんだよね。それで、なんかあったんじゃないかっていう噂が流れてるわけで。抱き合ってたとか…まぁ、今はもう、噂が独り歩きしてる感じもあって。翔の雰囲気変わったとか、いろいろ」
 トキヤは、あぁ、と吐息した。
 そう言われると、ここ数日二人が一緒にいるところを見ていない気がする。
 学期末が近づいて、作曲家コースの課題スケジュールがかなり詰まってきていると聞いたから、忙しくてなのかと思っていたが。
「翔もさ、海羽さんのこと話さなくなったし。そのかわり、なんか思いつめたような顔するようになったんだよね。雰囲気変わったっていうのはそうかも。喧嘩でもしたのって一回訊いてみたんだけど、『その方がわかりやすくていい』なんて言っただけで、結局なにも教えてくれなかったし。噂のこともあって、たぶん翔も知ってるんじゃないかと思うんだけど、…それもあって余計に話しづらいのかなって思ってさぁ」
 そこまで言ってから、音也は一度黙った。
 トキヤの様子を見る。動揺しているように見えた。
「…ねぇ、トキヤ」
「はい?」
「もし、翔も海羽さんのこと好きだったら、トキヤどうする?」
 問いかけに、トキヤは顔を上げて。音也を見ずに、また俯いた。
「…どちらかと言うなら、“早乙女さんが翔を好き”の可能性のほうに恐怖があります」
 音也は、えっ、と驚いた。
「なに、そうなの? 翔のほうが、なんだと思ってた」
「…本当のところなんて知りません。訊けませんし。でも、彼女の中で翔は、…確かに特別なようですから」
 それはおそらく、トキヤよりも。話をしている時の表情を見ていればわかる。
「翔の性格が好ましいのは、わかります」
「あー…まぁ、翔は人当りいいしね。俺様なとこあるから生意気って思われがちだけど、礼儀正しいし曲がったこと嫌いだし。明るくて、元気良くて、見た目も可愛くて…って、あれ? トキヤ、落ち込んでる?!」
「なにを馬鹿なこと言ってるんですか。蹴り飛ばしますよ」
「えーっ」
 落ち込んで、…いないわけでもない。だが、そこをぐずったところで性格そのものや見た目がどうにかなるわけではない。
 翔の持ち味が海羽の好みにストライクだとして、それをどうこうできるわけではないのだ。
「でもさ。海羽さんが翔を好きだったら、トキヤは海羽さんを好きなのをやめちゃうの?」
 悪意などないのだろう音也の問いかけに。トキヤは少し黙ってから、
「…それでやめられれば、この気持ちは恋でも何でもないということでしょう」
 苦笑する。深い溜息とともに。
「無自覚、ってわけじゃなかった?」
「どう…でしょうね。恋なんて、したことありませんから」
「え、そうなの?」
「…今度こそ馬鹿にしていますか」
「してないよ。被害妄想強すぎだよ、トキヤは」
 やや呆れたように音也は言い、うーん、と唸って天井を仰ぐ。その代りに、トキヤは下を向いて自分の手元を見つめている。
「…心がひかれている、と気づいたのは、結構初期のころからでしたけれど。それが、彼女の音楽に対してなのか、彼女自身に対してなのかが今一つはっきりしなくて」
 こんな相談を、誰かにする日が来るなどと。トキヤは夢にも思わなかった。誰に話すつもりもなかったことなのに。
「先日のユニット課題で、レンや翔と一緒にやってみて。一度だけでしたが、彼女が練習に立ち会ってくれた時があって。…その時でしたね、たぶん」
 ダンス指導はなかったが、歌唱に対してはかなり前のめりの意見をくれた。それは、今まではトキヤだけのものだった。彼女は、レンと翔にもトキヤと同じように真摯に意見し、コミュニケーションをとった。
 作曲者として当然、けれど。
 それが彼女のイレギュラーだったことは、間違いない。
「トキヤって、独占欲強い方?」
「…さぁ」
「強そうに見えるけど。っていうか、他の誰かが彼女に近づいたから自覚した、っていうパターンだと、独占欲からのってことでしょ」
 そう言われると、なるほどと思いもする。
「けれど、そのぐらいは誰でも持ち合わせているのでは」
「そりゃそうだけど。公私割り切れないっていうのは、独占欲強いってことだと思う。ま、他人のこと全然言えないから、俺も」
「音也…?」
「あ、海羽さんじゃないから安心してね」
「わかっていますよ。一番接点ないじゃないですか、あなたは」
「まぁね」
 Aクラスに来ることはあっても、海羽の目的は十中八九で七海春歌だ。他の誰にも目をくれず、目的だけ果たして去っていく。だから、姿を見ることはちょくちょくあっても、音也は“早乙女海羽”の人物像をよくは知らない。聞いた話、以上のことは、なにも。
「でもさぁ、トキヤ。トキヤはさ、今抱えてる気持ち、認めたくないって思ってない?」
 見透かしたようなことを言って。音也はトキヤを見つめた。
 トキヤは顔を上げて、視線を泳がせて。また、うつむいた。
「認めたくない、というか…自問自答の日々です。“恋ではない”という結論を探して」
「え、トキヤはその方がいいの?」
「当然です。だって私たちは“恋愛禁止”という規則に縛られているのですよ? もちろんそれは、学生期間を終えてもついて回る物です。アイドルを目指し、デビューを果たしてそれを生業とする以上はね」
 トキヤの言葉はずしりと重く、音也も少し落ち込んでしまう。
 確かに、と。
「彼女は、素晴らしい音楽家です。だから、彼女の作る音楽の、それらが見せる世界というものに…魅せられているのだと思いたいんです」
「でもそれって、嘘をつくよね? 自分に」
「結果的に“恋でない”のなら、嘘はつかないでしょう」
「そっか…」
 納得したようなセリフを呟いて、音也はトキヤを見る。
 ルームメイトは、浅く笑んでいるようにも見えるが。笑っているのは口元だけで、眉間のしわは相変わらず深く刻まれていて。
「…好き、なんでしょ?」
 彼の葛藤を見抜いて、問いかけて窺う。
 直球の問いかけに、かぁっ、と。トキヤの顔が、目に見えて朱に染まった。
 それを見て、音也はまた苦笑する。
「ほら。理屈こねまわしても無駄なんだって。好きは好き、どうしようもないもんだってば」
「どうしようもない、ですか」
「どうしようもないよ。問題は、それを制御できるのかってことなんでしょ。恋愛は禁止だけど、片思いは禁止じゃないんだし」
 と、言ったところで。音也は、あぁ、と吐息して、
「…その方がキツイかぁ。ずっと片思いなんて。俺は無理だなぁ」
 確かに、音也はその性格上“隠し事”は苦手だろう。
「できなくはないと思いますよ、少なくとも、私は。ただ、…できれば、今後も一緒にやっていきたい相手ですから。こじれたくないんです」
 海羽の持っている音楽性に、賭けたいと考えている。
 そう言ったトキヤを見て、音也は目を丸くした。
「じゃあ、卒業オーディション、海羽さんと?」
「そのつもりです」
 やっぱりかぁ、なんて。一学期の間、トキヤと海羽はことあるごとに組んでは好成績を叩きだしてきている。これで、他の人を選ぶとは、ちょっと思えない。
「…けどさ、海羽さんってそんなにすごいなら、他にもオファーかける人いるよね? それこそ、翔とか。それに、彼女は女の子のほうが好きなんだから、誰か可愛い子と約束したりしてるかも」
 その可能性は否定できない。
 海羽ははじめから、女の子と組みたがっていた。トキヤの知らないところで、もう話がまとまっているかもしれない。
「それは、そうですけど」
「…あと、たぶん。たぶんだけど、もう一人…海羽さんにオファーかけそうなのがいる」
「音也?」
 俺が言ってたっていうのは内緒にしてね、と口元に人差し指を立てて。
 それから、音也が言ったのは、彼のクラスメイトの名前だった。
「那月が行くんじゃないかな」
 聞いて、トキヤは目を見開いた。
「四ノ宮さんですか?」
「うん。トキヤ知らないだろうけど、那月もかなりの海羽さんファンだよ。今までの彼女の曲、全部ダウンロードして聴き込んでる。この間、『早乙女さんとお友達になったんですー』なんて言ってすごい嬉しそうだった。なんか、放課後あいてるときに、セッションしようって約束を取りつけたらしくて」
「セッション?」
「うん。那月、ずっと海羽さんの生演奏聞きたがってたんだよね。で、なんかたまたま放課後に彼女とレッスン室ではち会ったらしくて。それで、その時に一緒に演奏させてもらったって。それが、本人もよかったらしくて。で、『またやろう』って話になったって」
 男嫌いの海羽がそんなことを言うだろうか、とは思った。
 けれど、四ノ宮那月の実力を、音也もトキヤも知っている。
 性別はともかく、音楽性で気に入ったなら、『またやろう』はあるかも知れない。
「七海がさ。海羽さんと那月はけっこう“合う”んじゃないかって。二人とも、感性で音楽するから。そこがハマれば、最高の相手じゃないかって言ってた」
「…そうですか」
 否定をする気はない。トキヤもそう思う。けれど、
「だからと言って、譲る気はないですが」
 ぽろっとでた本音。聞いた音也は、
「もー。トキヤはー。負けず嫌いなんだから」
「そんな、次元の低いもので括らないでくれませんか」
「はいはい。…そこまで思うんなら、やっぱそれは恋で、諦めるとかいう段階は過ぎちゃってるんじゃないの?」
 指摘され、トキヤはまた俯いて。
「まぁ、ほら。そもそも海羽さんのほうがトキヤをどう思ってるのかって問題もあるわけだし。結局片思いで終わるかもしれないんだしさ」
「…音也。それは、励ましにもなっていないと思うのですが」
「あはは、そうだね」
 ゴメン、なんて言ってから。
「けど、トキヤ。その気持ち、いつかは海羽さんにちゃんと言うんでしょ?」
 問われて、トキヤは首をひねる。
「どう、でしょう。言わなければ、現状維持でずっと行けるのでしょうが」
「それでいいの?」
「駄目でしょうか」
 ダメ、と言うか。消極的だなぁ、と、音也は呟く。
「海羽さん、キレイな人だしさ。もう成人もしてるし。今は学生だからいいけど、気が付いたら、他の人と結婚とか、結構あり得る話だよ?」
「それは、まぁ」
 なくはない、だろう。先日レンも言っていたが、彼女と日向龍也の関係は浅からぬだと思える。いずれ結婚するつもりの仲かもしれない。事務所の存続を考えても、現状、後継者の候補は龍也くらいだろうから、彼女との婚姻で正式に…というのは、無理のない思考だ。
「そこまでいっちゃうと、“諦める”の一択になっちゃうじゃん。それはちょっと、もったいないよ」
 もったいない、という価値観が。トキヤには、少々理解不能なところではあった。
 けれど、“諦める一択”というのは、確かに辛いところではある。
 この道を選ぶ以上、その選択は仕方のないこととは思うものの、それしかない、と言うわけではないはずだ。

 かつて彼女が同じ状況に陥った時、どういう風にその選択をしたのか。

 参考までに訊いてみたいとさえ思った。
 恋愛相談には乗る、なんて言っていたのだから。
 それがまさか、自分とのことを相談されるなど思ってもいないだろうが。
「チャンスがあったらでいいからさ。トキヤ、コクってみたら」
「え…」
「遠回しでもいいからさ。好きって、伝えたほうがいいよ」
「…だから、こじれたくないと」
「こじれるのかどうかは、言ってみなきゃわかんないじゃんか。もしかして両思いかもしれないし」
「……あなたのその呆れるほどの前向きさは、賞賛に値しますね」
「ほめてないでしょ」
「ほめてはいません。でも、…羨ましくはあるかな」
 ダメモトで突っ込んでいくなど、とてもできはしない。
 


 眠る前に必ず、彼女の曲を聴くようになった。
 大抵は、自分の課題用の曲なのだが。
 それ以外に、彼女に個人的に頼んでオケを作ってもらったものもある。
 一番気に入っているのは、やはりあの再試用に調整した一曲だった。
 他の、打ち込みの音を一切入れない。
 彼女のピアノソロだけで演奏してもらった。
 柔らかいメロディーが、耳に心地いい。
 あの後も、いろいろな曲を作ってもらったが、この曲に勝るものはない。
 聞きながら、歌詞を思い出して。
 作った当時は、まだ彼女への想いはこんな形ではなかったと思う。けれど、今歌詞を見ると、あまりに当てはまりすぎて恥ずかしいとさえ思える部分もある。
 彼女はこれを聴いて、どう思ったのだろう。
 今、この曲を彼女の前で歌ったら。
 彼女は、どんな顔をするのだろう。


 想いを隠さず伝えたら、彼女は微笑んでくれるだろうか。








 
2013.05.11 初アップ/2013.11.20 第一改訂