<span style="color:#ff0000">*本編とは全く関係のない、独立したお話しです。</span>






 誕生日のその日。午前中は休みをもらって愛犬と戯れ、午後には舞台の夜公演のためにも仕事モードとなった。
 祝いはいらないと言ったのに、仲間たちはなんのかんのと手を出してくる。
 うっとおしい、とはねのけてしまうには、その手はどれもあたたかすぎて。
 まぁいいか、とまんざらでもない自分もいる。
 今日の公演も、いい出来だった。回を追うごとに安定していく。新しい要素も取り入れつつだが、大きく外れることもなく。同僚も後輩も、うまくまとまっている。
 悪くない。
 慣れたのだな、と、改めて思う。異国での生活も、アイドル稼業も。
 ただ一つ、彼の心の平穏を乱すものがあるとすれば、
「…無事に帰ってこれたのだか…」
 前日から、里帰りをしているという彼女の存在ぐらいだ。





<i>Ex.『The birthday present of lateness 〜Camus side〜』</i>





 幼馴染たちとともに、遅ればせの正月帰省をするのだと言って。彼女は、生まれて育った街へ行ってしまった。
 里帰りと言えば国境を越えてしまう彼からすれば、彼女の帰省など大した距離でもないし、そう気に掛けるものでもないはずなのだが。
 異常気象による局地豪雨があったとかで、乗る予定だった新幹線が止まってしまったと…ツイートが上がっているのを見たのが、つい先ほどだ。ちょうど、夜公演の真っ只中にそれが発信され、今は数時間はたっているが…その後どうなったかがわからない。
「愚か者が。結末まできちんと知らせるべきだろうが」
 彼だけが見ているものではない。他にも、つながっている人がいるのだから。
 そう思いながら、何度も更新を確認するが。彼女からのツイートはない。
 苛立ちながら、けれども彼女に直接連絡をするにはもう時間が遅くて。そこを強行すべきかと悩みながら帰路に着いた。
 玄関の鍵を開け、中に入る。いつも通り、愛犬に出迎えられた。
「帰ったぞ、アレキサンダー」
 嬉しそうに尻尾を振る愛犬に手を伸ばし、撫でてやる。
 けれど、
「…アレキサンダー?」
 何故か、主人の背後を気にしている様子だ。
 誰かいるのかと思ったが、そうでもない。
「どうした、誰もいないぞ」
 それでも、愛犬はまだドア口を気にしている。
 なんだというのだろう。
 不思議に思いつつ、念のためにドアの外を確認して。彼は、カチリとロックをかけた。
 その仕草を見て。愛犬は、どこかしょんぼりした様子で部屋の奥へと行ってしまう。いつもなら、ずっと足元についているのに。
「散歩に行くとでも思ったのか…?」
 午前中にたくさん遊んでやったから、仕事から帰ったら続きがあると期待していたのだろうか。興奮させすぎたのかもしれない。
 一つ溜息をつき、彼も奥へと向かう。
 愛犬は、リビングの隅でうずくまっていた。所在無げな感じがする。主が帰ってきたというのに、あの態度はどういうことだろう。
 体調が悪いわけではなさそうだが…と。思いつつ、視線を流した先に、見慣れない紙袋を見つけた。
 リビングのテーブルの上。中央に、ちょこんと置かれているそれは、出かける前にはなかったものだ。
「…なんだ?」
 傍に寄って中を見ると、15cm四方程度の箱が入っている。それとともに、折りたたまれた紙が。
 他に不審なものはなさそうだから、とりあえず紙を取り出した。
 『伯爵へ』
 そう、書かれている。
 彼のことを『伯爵』と呼ぶ人物は、自分の知る限りこの日本ではほぼ一人だ。
「海羽…?」
 開いてみると、確かに彼女の文字で、

 『お仕事、お疲れ様です。
  お土産を買ってきました。
  甘い、って言うほど甘いものでもないけど、
  地元では人気のお品です。
  お茶のお供にどうぞ』

 そう書かれていた。
 箱の中身は、バウムクーヘンだ。
 これがここにあるということは、彼女は無事に帰ってきているということであり、…おそらくここに届けに来てから、そう時間もたっていないということだ。
 考え至り、はっとする。愛犬を見た。
 もしかしたら、彼女が戻ってきたと思ったか…あるいは、彼女を連れて主が帰ってきたと思ったか。
 背後を気にしたのは、もう一人いると期待したからではないだろうか。
「アレキサンダー」
 呼ぶと、愛犬は振り向く。
「海羽が来ていたのか」
 名前に反応し、愛犬はパタパタとしっぽを振る。
 彼女には万一の場合にこの愛犬のことを頼むため、合鍵を渡している。だから、それを使って中に入ったのだろう。そしておそらくは、…しばらくの間犬の相手をしていた。だから余計に、恋しがったに違いない。
「…入れ違いになったのか…待っておればいいものを」
 チッ、と舌打ちして。彼は上着のポケットから携帯電話を取り出した。
 さっきまで彼女がここにいたなら、時間帯を気にしてコールを控える必要もない。
 電話帳から番号を探し、すぐに呼び出しを始めた。
 いくらかあってから、つながった向こう側は、…どうやら外のようで。
「カミュだ。今どこにいる」
 問いかけに、相手はすぐには答えずに「お疲れ様」なんて言葉を返す。
 苛立った。
「どこにいるかと訊いている、答えろ」
 つい、声が荒くなって。
 一瞬間が開いてから、「タクシー拾おうかと思って、大通りに出たところ」と。
 それほど遠い辺りではない。
「…戻れ。いや、こちらが行くからそこにいろ。動くな」
 <S>   </S>何言ってるの、寒いんだし…
「この程度の寒さがなんだ。いいからそこにいろ」
 言い放って、切る直前。ひどく戸惑った彼女の声が聞こえたが、気にしている場合ではない。
「アレキサンダー、すぐに戻る」
 脱ぎ掛けていたコートを着直して、彼は足早に出かけて行った。





 深夜の道はどうしたって暗く、吹き抜ける風はひどく冷たい。
 それでも、彼の故郷に比べればこの国の冬はまだ温かい方だ。
 静まりかえるその世界に、彼の足音が響く。
 少しずつ、通りを走る車の音が聞こえ始めて。路地から出ると、その大通り沿いに左右を見た。
 時間帯的に、普通の車だってそう通っていない。
 だから余計に、不安がよぎっていた。
 そして、
「しつっこいなぁ!」
 的中していた。
 耳慣れた声が聞こえて、そちらを見る。少しでも明るいところを選んだのか、コンビニの駐車場だ。そこに、彼女と思しき人影を見つけた。
 あと二人、人間がいる。どちらも男だ。
「暇じゃない、人を待ってるんだ! もぅ、警察呼ぶよ?!」
 よっぱらいに絡まれている。この時間帯に女が一人で外にいれば、高確率であり得る話だ。
 それでも彼は走るまではせず。ただ、猛然とした勢いでその場には向かった。テンポの速い靴音が、向こうにも届く。
「…早乙女!」
 あえて、苗字の方を呼んだ。
 振り向いた彼女が、安堵の表情を浮かべた。
 そして、彼女の方も、
「先輩っ」
 そう滅多にない呼び方で。
 絡んでいた二人は、やってきたのが現役アイドルに激似の外国人だとわかって少し怯んだ。
「来させてしまって申し訳ない。今は、仕事でどうしても帰りが遅くて」
 イメージ商売だから、とにかく『外』での振る舞いは大事だ。
「いえ、大丈夫です。こちらこそ、結局迷子になってしまってすみません。届けに行けると思ったのですが」
「事務所から連絡が来て驚きましたよ。届けに行かせたけど戻ってこない、などと言われては」
「本当に、申し訳ありません」
 折り目正しく頭を下げた彼女に、彼は優雅に微笑み、
「この辺りは夜は物騒ですから、何かあったのではないかと心配しました。…なにも、なかったのですよね?」
 ちらり、冷めた目で見やる。戸惑った様子のその酔っぱらいたちは、愛想笑いをしてじりじりと下がっていった。
 どうやら、この外国人は本物の現役アイドルで、声をかけた女がやたら美人だと思っていたのはその後輩(つまり、アイドルもしくは候補生)ということで。ここで何かあれば、様々につながって…そう、たとえばこのアイドル様が憂い顔で『私のために届け物をしてくれようとした可愛い後輩にこの男どもがひどいことをした』とかなんとか言ってしまえば、ただ犯罪として前科が着くだけではなく、…彼の熱狂的なファンにどんな目に遭わされるか。
 神に等しき愛するあの人を悲しませた、というよくわからない理由で…だ。
 これはまずい。
 酔っていても、あるいは酔っているからこその結論に達し。二人は、一目散に逃げ出した。
「……なんていうか、思考が手に取るようにわかったというか」
 背を見送って、彼女が呆れ果てた様子で呟いた。
「面倒をかけさせおって。おとなしく、俺が帰ってくるまで待てばよかったものを」
 すぐ近くに第三者がいなくなったからか、“ショートドラマ・先輩後輩”は終了のようだ。
 素に戻っている彼の低い口調に、
「本当は、もっと早く帰る予定だったんだよ。アレックスに散々引き止められちゃったんだから」
 彼女も言い返す。
 彼は溜息をつく。白く凍る吐息。
「…とにかく戻るぞ。冷える」
「あっれ、大したことないんじゃないの?」
「俺ではない。…お前が、だ」
 行くぞ、と。そっけなく言いつつ、彼は彼女の手を掴んだ。
 しかし残念ながらその光景は、どう見ても“手をつないで歩くカップル”ではなく、“帰りの遅い娘を無理やり連れて帰る父もしくは兄”という風情だったが。





 玄関先には、ちぎれるほど尻尾を振りすぎている大型犬。
「戻ってきちゃったよ、アレックスぅ」
 何よりもまず、そのふさふさした大型犬に抱きついた彼女に、
「奥へ行け、馬鹿者」
 部屋の主がぴしゃりと言う。
「いや、伯爵、あのさ。こんな時間でボクがここに来たって、ホントしょうがないと思うんだけど。明日だって公演あるでしょ」
「いいからさっさと行け」
「…なんだよ、もー」
 仕方無げにしつつ、犬を従えて彼女はリビングの方に向かっていく。その後ろ姿を見つめ、彼は小さく吐息した。


 自身の着替えやら明日の支度やらを済ませて彼がリビングに行くと、彼女は床に座り込んで傍らの犬を撫でていた。犬の方はそれが心地いいのか、どこかうっとりとした様子で目を閉じている。
「おかえり、伯爵」
 穏やかな表情で彼女は微笑んだ。
 彼は、そんな彼女をじっと見て、
「…そんな格好だから、あのような輩に絡まれるのだ」
 不機嫌そうに、ぶちっと呟いた。
「え?」
「いつもどおり男装しておれば、牽制にもなる」
 部屋の暖房をつけたから、彼女はコートと上着を脱いでそこにいる。アンダーはハイネックのリブニットで、体にフィットするタイプのものだ。…男装ではない彼女がそれを着ていたら、誰が見たって疑いようもなく女である。
 男装時を見慣れている彼は、いまだに彼女の“正体”を見慣れない。
 似たような体型あるいは更に…ありていに言うならば“大きい”女性は、仕事柄大勢見ているというのに。
「…あー」
 何のことを言っているのかわかった彼女は、自分のソレを見下ろして、
「だって、地元帰るのに男装したってしょうがないじゃないか」
 みんな知ってるのに、と。
 それはその通りだ。
 実際、彼女はアイドルではないから容姿を売ってはいない。そのため、“男装の作曲家”というキャラはつけていても、そう常にこだわっていなくてもいい。それでも、時折彼をはじめとする事務所の仲間と、ちょっとした取材に応じたりはしているから、その時は男装でいるのだが。
「せめてもう少し、…隠せ」
「…伯爵。ボクが胸おっきいのコンプレックスなの、知ってるよね」
 話題にのせられるだけでもカチンと来るものを。
「だから隠せと言っている。わざわざ強調するような格好をするな」
「してないし」
「十分しておるわ、馬鹿者」
 胸の大きさと、反して細くくびれたウエストとがはっきりわかる今の格好こそが。
 もちろん、ここが暖房の効いた屋内かつ友人の家だから、彼女は上着を脱いでいるわけだが。そうでなければこの上にもう一枚着るから、隠れると言えば隠れはするが…。
「あーあ、もう、どうせだから削ぎ落そうかな」
「そ…?!」
「男の人はさ、胸おっきいの好きな人多いけどさ。結局これって脂肪の塊だからさ。痩せるための脂肪吸引で、ここもできないかな」
「…恐ろしいことを…」
「ボクは個人的に貧乳派なんで」
 そんなことまで言わなくていい、と。彼は少しだけ頬を赤らめる。
 彼女がわりとあけすけなのはいつものことだが、こういう会話ができるのはそれなりの新密度があってこそだ。
「っあ、伯爵、お土産見てくれた?」
「あぁ」
「なんかね、有名なんだって。向こうでボクも食べたけど、しっとりしてておいしかったよ。驚くほど、とかじゃないけど、アレなら万人向けだし、甘いの好きな人も嫌いな人も大丈夫かなって」
 犬を撫でる手を止める。時計を見ると、そろそろ日付が変わる頃だ。
 彼は、愛犬に寝床へ行くように指示をする。名残惜しげにしている犬に、
「アレックス、またね。今度は外で遊ぼう」
 彼女は笑顔で約束をする。
 後ろ髪をひかれるように、何度も振り返りながら。とぼとぼと寝床へ向かう犬を見送り、
「お前がいる時はダメだな。言うことをきかなくなる」
 彼が渋い顔で吐き出すと、
「お客さんが嬉しいのでしょ。いい子だよ、アレックス。ひねくれたキミの愛犬だなんて嘘みたいだ」
 彼を見上げて、彼女はニヤリと笑う。
「ひねくれた、は余計だ」
「ふふ」
 ゆっくりと、彼女は立ち上がる。
 近くのソファの隅に置いていた鞄を取りに行き、中から携帯電話を出した。
「忘れるところだったよ」
 そんなことを言いながら、いくらかの操作をして。彼が訝しげに見ていると、ややして彼の携帯が鳴った。
 短いそれは、メールの着信を告げるものだ。
 彼がそれを手にし、受信箱を見て。
「……何故、目の前にいるのにメールなのだ」
 呆れたような怒ったような口調で言った。画面には、彼女からのメール。
 『Happy Birthday 伯爵』
 …と、だけ。ただし、バースデーケーキの画像やらでデコレーションはされている。
「ちょっと遅くなっちゃった。二十四日になっちゃってる?」
「は? …あぁ、二十四日の零時一分だな」
 受信時刻のことだ。
「ありゃ。ギリギリで送信しようと思って、支度だけはしてたんだけど」
「何故そんな」
「一番最後がよかったんだよ」
 言いながら、彼女は引き続き操作をしている。
 今度は何を、と。思った彼の目に、その画面が見えた。
 彼女は電話をかけようとしている。相手名は、タクシー会社だ。
「っ、待て」
 とっさに、彼女の手から携帯電話を取り上げた。コールを切る。驚いた彼女が、
「ちょっ、なにすんのさ」
 抗議の言葉を発して。
「ここで呼んで、迎えに来てもらえば安全でしょ?」
「泊まっていけばいいだろう」
 しれっと返された言葉に、彼女は絶句する。
 数秒、見合って。
「明日、朝イチで打ち合わせなんだけど」
「午前の公演の前に事務所に寄るつもりだから、一緒に行けばいい」
「っ、同伴はさすがに」
「後ろ暗いことがないのなら、堂々としていればいい」
「それはそうだけど、ボクらはホントにただの友達だからいいけど、周りがそう思ってくれるかはまた別の問題で」
「…それがどうした」
 涼しい顔で言い放った彼に、彼女はまた絶句する。
「気にするから、足元をすくわれるような記事が出たりするのだろうが」
「う…」
「お前は、俺の友であることが後ろ暗いのか?」
「そんなこと言ってない」
「なら、いつも通りでいればいい」
 携帯電話を彼女に返すと、彼は小さく笑って。着替えを出してきてやる、と言ってリビングを出て行く。
 彼女は肩をすくめると、携帯電話を鞄にしまった。
 

 <S>     </S>友人。
 この二人が“スイーツ仲間”であることは、周囲の者らはみんな知っている。
 甘味に目がない二人だから、よく情報交換をしたり一緒に食べに行ったりしている。
 性格はだいぶ違うが、なぜか反りが合うのか、対立らしいことはほとんどしたことがない。
 営業用の彼はいわゆる『執事キャラ』で、その高貴な生まれも相まっての物腰で穏やかでやわらかい人柄だと思われているが、素の彼はまったくそんなことはない。他者を「愚民」と罵ることもしょっちゅうだ。しかし、そんな彼が彼女に対してその言葉を使ったところを、まだ誰も見たことがない。
 そのため、彼にとって彼女が『特別』であるということは周知だった。
 だが、
「…お泊りし合う仲だとまでは、知られてないよなぁ…。同伴出勤はさすがにばれるよなぁ…」
 入浴を済ませ、借りたパジャマを着て。長い髪をひと束ねに編みながら、彼女は溜息をつく。
 実は、彼女がこの彼の部屋に泊まっていくのは、これが初めてではない。ただ、翌日二人とも朝から動くというときに泊まっていくのが初めてではあった。
「伯爵、疲れてるんだからさ。ゆったりベッド使って寝なよ」
「つまらん気は遣わなくていい」
「そんなこと言ったって。ボクは舞台とかやんないからわからないけど、大変なんでしょ?」
「昼夜公演があるときは、さすがに疲れもするが。今日は夜だけだったからな」
「だからって…。まぁ、もう今更帰るってのもアレだから、泊まってはいくけども」
「決着のついていることを、いつまでもぶつぶつ言うな。……ほら、さっさと入れ」
 既にベッドの上にいる彼は、ぺろりと掛け布団をめくる。
「…はぁい」
 翌朝に余裕があるのなら、いつもは二人でスイーツグルメガイドを開いてこの店がどうの次はどこへ行こうと話し合ったりするのだが。
 今夜はそうもいかないから、彼女が布団に入るなり、部屋の照明が落とされた。
 訪れた暗闇。
「…ツイッターとか、いいの?」
 静かな部屋に、彼女の声。
「もう、締めの言葉は送ってある。…そうだ、俺よりもお前のほうが」
「ん?」
「新幹線が止まったことまでで途切れているだろう。帰ってきている旨は知らせるべきだ」
「…あ、忘れてた。でもいいよ、明日の朝で」
「無精者め」
「会社には、帰ってきたこと伝えてあるもん」
「そういう問題か」
「ボクは、キミみたいく世界中の“お嬢様”に向けて発信とかないからね」
 彼女のアカウントは非公開で、つながっている人間はそれほど多くはない。
 だが、だからこそ。
「心配されるとは思わないのか」
 親しい者たちが、彼女の近況を知るためにつながっているわけだから。
 彼の言葉に、彼女はきょとんとした。
「えっ、伯爵、心配してくれたの?」
 心底意外だったとでも言わんばかりのそれに。彼は、
「心配はしていない。気になっただけだ」
 即座に切り返す。
 彼女は、なんだぁ、なんて残念そうに言った。
「俺の誕生日に、知り合いに何かあったなどと縁起でもない」
「えー、そういうこと? ちょっと、友達甲斐ないよ、伯爵ってば。でも…まぁ、そっか。一言だけツイートしとくかな」
 枕元に置いている携帯を取り、彼女はうつ伏せになってそれを操作し始めた。
 バックライトで照らされている彼女の表情を、彼は無言で見守る。
「えっと…っ、あれ? リプライ来てる。うわ、またアプリ不具合かな、通知なかったのに」
 どうやら、返信があったことに気づいていなかったようだ。
「不具合?」
「時々あるんだよ、リプあっても通知してくんないときがさ。見てなかったからなぁ…うわ、やっば」
 彼女は、それを一通り見た後に、自分が無事に帰りついている旨を発信する。
「たっはー、みんなだみんな。伯爵以外、みんなリプくれてる」
「む…」
 自分以外、と言われて。彼は眉をひそめた。リプライを送る、というのは考えなかったわけではないが…。
「公演明けだね、時間的に。どわっときてる。一人一人の返信は、やっぱ明日でないとまずいな。みんなもう休んでるだろうし」
 画面を切ると、また周囲に闇が広がる。
「いいお誕生日だったみたいだね、伯爵」
 体勢を仰向けに直した彼女が言う。リプライを確認しながらタイムラインを見たのだろう。
「騒々しいだけだ」
「またまた。ほんとは嬉しいのでしょ」
「別に、嫌だとまでは思っていないが」
「それでいんだよ。言葉に出せたらもっといいけど、出さないまでも心に思っていれば。で、今度はみんなの誕生日にお返しするの。そうやって巡るのが、感謝ってやつなんでしょ」
「感謝、か」
「そう。生まれてくれてありがとう、生きてくれてありがとう。出会ってくれてありがとう、そしてその日を祝わせてくれてありがとう…って。祝うことは祈ること、誰かのために祈るのは幸せなんだって…受け売りだけど、なるほどって思うよ」
 吐息した彼女は、天井を見つめている。
 そしてその彼女を。彼が見ていることは、彼女は気づいていない。
「……ふふ」
 不意に、彼女が笑った。
「なんか、変な感じ。改めてそう思っちゃった」
「なにが?」
「ボク、最初に伯爵見た時、正直言ってひいちゃったんだ。なんだこの人、って。外と中とで全然違うし、仲間のことも『愚民』とか言うし。でも、仲良くなるの早かったじゃない、ボクら」
 共通の話題はスイーツだった。
「今に至っては、こんなお泊り会までしちゃうわけだし。お誕生日に、こんな近くでおめでとうって言えることが嬉しいなって。そういう友達がいることは、とても豊かなことだなぁって」
 彼女のセリフを聞きながら。布団の中で、ごそりと何かが動く。それが彼の手で、動いた先で触れたのは彼女の指先で。
「伯爵?」
 首を横に向けた彼女が、少しだけ目が慣れた暗闇の視界に彼の表情をとらえる。
 じっと、彼女を見ていた。
 掌は、彼女の手に重ねられ、きゅ、と握る。
 言葉はなく。
 彼女は、淡く笑むと、彼の手を握り返した。そして、
「お誕生日おめでとう、伯爵。遠い異国で生まれたキミと出会い、こうして存在を交わしあえることに感謝を」
 そう言った。
 彼もまた、微笑んで見せた。営業用ではないそれは、めったに見ることのないもの。
「お祝いいらないとか言ってたから、ホントに何にも用意しなかったんだ。でも、なんか欲しいのあったら言ってよ。ケーキとかさ」
 ちょっと遅れちゃってるけど、と彼女は苦笑する。
「…いや、いい。十分だ。…お前がいれば、な」
「それはまた、無欲だね。伯爵なのに」
「どういう意味だ」
「権力者は、欲にまみれているのがセオリーってことさ。もちろん、そうでないからキミなんだと思っているよ。麗しき純白の貴公子、とかナントカ」
「嫌味にしか聞こえんぞ…」
 彼の不機嫌を、彼女は心底おかしそうに笑った
 そして、
「…もう眠ろう、伯爵。明日も公演なんだから。お嬢様方に、とびきりの夢を見てもらわなきゃだ。彼女たちの愛する“マジェスティックスペード”が、寝不足でよろけちゃったりとか…ダメダメ」
 言いながら、つないでいた手をほどく。
 彼が、少しだけ残念そうに吐息したのは、見ていなかったようなのだが。
「今夜はトクベツだよ」
 彼女は、ずいっと彼に近づくと、片腕を彼の首の下に滑り込ませた。
「っ、おい?!」
 さすがに驚いて起き上がりかけたのを、
「お誕生日だからサービス! ボクの腕枕でどうぞお休みくださいな」
 もう片方の腕で彼の頭を抱え込んで阻止する。
 ぎゅ、と抱きこまれて、顔に当たる柔らかな感触に一気に赤面した。
「っ、やめんか!」
「えー、あったかくていいじゃん」
 気にしないのにもほどがある、と。叫びたいのを何とか堪えた彼は、
「どうせなら、っ」
 彼女の拘束から抜け出すと、今度は逆に彼のほうが彼女の首の下に腕を入れ、
「…こっちが正解だろうが、この大馬鹿者が」
 腕枕を提供しつつ、抱き枕を提供されるという案を提示する。
「でも、これじゃあ伯爵の腕がしびれちゃう。明日の公演に響いたら困る」
「俺を愚弄する気か。この程度でどうこうなるような鍛え方はしていない」
「むー…」
「お前はおとなしく、抱き枕になっていればいい」
「むむー」
「眠るぞ、もう」
 おやすみ、と。ややぶっきらぼうに彼が言い。
 彼女は、
「誕生日なのに」
 ぶちっと呟く。それを聞き、
「…誕生日だから、これでいいんだ」
 彼がまた、呟いて。“枕”を抱く腕に、少し力がこもる。
 しばらく沈黙が続き、最後に彼女がこぼした言葉は音にはならなかった。
 仮に聞こえるほどのものになっていたとしても、その時にはもう彼のほうが眠りに落ちていたから、聞かれはしなかっただろうが。
 彼の腕の中で、彼女は頭の中でこう言った。やや、呆れ気味に。

「<S>     </S>無欲だね、ほんと」







 アラームが鳴る前に目を開けたのは彼の方だった。
 遅い朝の、冷えた空気。
 腕の中は空。
 少し離れた、それこそあと少し外側に動くとベッドから落ちる、という場所に、“枕”はいた。
「……あと、五分か…」
 セットしたアラームが鳴るまで。
 彼はもう一度、彼女を抱き寄せる。こちらに背を向けて眠る彼女を、そのままの体勢で。
 向き合わせると、起こしてしまう確率が上がるような気がして。
 それだけが理由というわけでもないが。
 不眠を患う彼女が眠っている姿というのは、彼にとっても非常に珍しいものだった。邪魔したくない、という思いと、…こんな間近で寝姿を見てしまったら、
「…壊してしまうかもしれない…な」
 なにを、と。はっきり言い切ることができないほど、いろいろなものを。
 たった一度の暴走で、何もかもを失ってしまうのではという危機感。
 お互いに友だと言い合えるこの状況も。そして、彼女自身をも。
 本当は、友愛とは違う感情を、彼女に対して抱いている。言えず、悟られず、心の距離を友人に固定して日々を過ごすことは、…辛くないと言えば嘘になる。
 けれど、この距離を縮めてしまったら、きっともう二度と戻れはしないのだろう。
 今のこの、家族のような友人関係、には。
「…俺も、感謝している。お前に会えたこと、こうして時間を過ごせること…」
 最後の言葉は、やはり音にはできず。図らずも、昨夜の彼女と同じ状況に陥っていた。
 眠っている、聞こえはしない…そう思っても。
 だから、彼女と同じように、彼も頭の中で呟いた。

「お前という、心底愛しいと思える相手に巡り会えたことに…限りのない感謝を」

 <S>   </S>愛している、と。







<Div Align="right">2014.02.08 初アップ
Happy Birthday,For Camus.
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</Div>