<span style="color:#ff0000">*本編とは全く関係のない、独立したお話しです。</span>



 十二月に入った途端、驚くほどに身辺があわただしくなった。
 書き入れ時、というのは、こういうことを言うのかと辟易すらした。
 仕事があるのはありがたい。まだまだ新人の域である以上、文句などあるわけもない。
 テレビの収録、年末特番、生放送。今回は年明けですぐに新曲の発表があることもあり、雑誌の取材やラジオ出演。
 とにかく、とにかくめまぐるしくて。
 クリスマスも自分の誕生日も大晦日も、正月すら一気に駆け抜けてしまった。
 実感も何もない。日付の感覚もなかった。
 そんな怒涛のスケジュールを締めくくったのは、一月上旬の某日。新曲リリースを記念してのトーク&ミニライブというイベントだった。
 本当にありがたいことに、借りた会場は満員御礼。当日券も完売したという嬉しい報も入ってきた。
 コンサート、と言うほどには長い時間ではないし、衣装もほとんど普段着だ。それでも、覗き見た会場内の客たちは、ずいぶん気合の入った服装だったりもする。
「…青いな…」
 薄暗い会場。パーソナルカラーであるブルーのライトを持って、ファンたちはそこにいる。
 ちらつくその光と、ざわめきと。
 感無量だと思いながら、溜息をつく。

 <S>    </S>ここに、“彼女”がいたならと。ふと、淡い期待が胸をよぎった。
 片思いをこじらせて、もうどのくらいの月日がたったのだろうか。




<i>Ex.『The birthday present of lateness 〜Masato side〜』</i>




 イベントは、大盛況で大成功だった。
 司会進行も自分でこなすというのには少々不安もあったが、気心の知れたスタッフたちとやれたことが一番の成功のモトだったろう。
 反省会と、簡単な打ち上げもして。
 どうせ明日からオフになるからと、帰りの車を断った。歩いて帰りたい気分だったからだ。
 簡単な変装姿。時間帯もあってか、道行く人はやけに足早だ。今夜は特に冷えるから、家路を急いでいるのだろう。
 ここにいるのが、テレビにも出る現役アイドルだなどと、誰も気づいていない。
 さっきまで、熱狂的ともいえる歓声の中にいたのに。今は、誰ひとりとして目にも留めない。
 そのギャップが面白い。
「ファンに見つかったら……ん?」
 つい、呟いたけれど。それが終わる前に、ふと見たバス停で。見慣れた人影を見つけた。
 瞬間、ドキンと心臓が高鳴る。
「…幸運、なの、か?」
 思わず口元がにやけた。
 バス停へと向かう。
 他には誰も待っていないその場所。じっと立って、スマホをいじっている。
 長い黒い髪。少しだけ高めの身長。黒のコートには甘さなどない、女性にしては少々男前なファッション。
「海羽」
 名前を呼びかけると、顔を上げてこちらを見た。
 …一瞬、怯んだような表情をしたのは何故だろう?
「外出なんて珍しいな」
「そう? オツカレ、聖川。っと、名前マズイか…」
 辺りをきょろりと見回す。
「いや、大丈夫だろう。人通りもあまりないし、何より皆、家路を急いでいる。俺たちのことなど、そう気にはしないと思うぞ」
「…かな」
「仕事か?」
「んー、プライベート」
「そうか。まだ、どこかへ?」
「ううん、帰るよ。バスで帰ろうかと思って。寒いし」
「タクシーは使わないのか」
「歩いてもいいかと思ってたんだけどね。そんなにすごい距離あるわけじゃないし」
「なら、一緒に歩かないか? 俺も、歩いて寮に帰ろうと思っていて」
 誘いは自然。おかしいことは言っていない。
 彼女は、にこ、と微笑むと、
「そうだね。それもいいね」
 手にしていたスマホを、鞄にしまった。


 他愛もない話ばかりだった。
 とにかく忙しかったこと、今日のイベントも成功だったこと。
 仲間たちのこと。
 なかなか会う機会がないから情報交換のようになってしまうのは仕方がないが、重要さを言えば大したことではなく。業務連絡になるのは避けられた。
 そう言えば、こんな風に並んで歩いたことなどなかったな…と。学生時代も含めて思い返す。途中からはクラスも同じだったが、一緒に行動はしても、それはあくまでも学校の行事の中でであり。ただ二人で並んで歩いて話をする、ということは、なかったはずだ。
 意識すると妙に胸がときめいて、気温の割に体が熱くなる。
 悟られまいと、いつも以上に饒舌になってしまったのは、よかったのか悪かったのか。
 楽しそうに笑う彼女を見られるのは、…個人的には嬉しいのだが。
 だから余計に、その時間がだんだんと終わりに近づいていることが耐えられなかった。
 道の先に、終点である寮の建物が見えて。あそこに着いたら、別々になってしまう。
 立ち止まるのは不自然だ。歩くしかない。
 けれど、…。
 エントランスをくぐったところで、言うならもう今しかないと踏み切った。
「よかったら、寄って行かないか? ずいぶん冷えたろうし、茶ぐらい出そう。まだ、その…話し足りなくて」
 イベント後で気持ちが高揚しているというのも事実。それを言い訳にするのは気が引けもするが、ほかに彼女を引きとめられそうな力がない。
 彼女は、やはり微笑んで、
「休まなくていいの?」
 と。姉の口調で言う。
「明日はオフだからな。少しくらいは」
「…そう。じゃあ、寄らせてもらおうかな」
 これは、彼女がそうしたくてではないなと気づけた。こちらが話したいから、彼女は付き合ってくれるだけなのだと。
 それとわかっても、それでも。一緒にいたいと思うから、素直に喜んだ。
 他の者ならきっと、もっとその喜びをうまく言葉にして伝えるのだろう。こんな時ばかりは本当に、自分の不器用さを呪いたくなる。
 言葉を探す間が、彼女に不審を抱かせやしないか…そちらの方が気になってしまうのだから、我ながら情けない。

 玄関ドアの前。鍵をだし、解除して。
 中に入って、彼女を招く。
 LDKへと行き、すぐに照明と暖房をつけた。
「じきに暖かくなる。本当は、こたつを置きたいと思っているのだがな」
「こたつ、いいねぇ。でも、出られなくなっちゃうんだよね」
「あぁ。そう思って、断念したのだ」
「だよねぇ」
 コートを脱いだ彼女は、いつもとは少し違う格好をしていた。スーツ姿だが、仕事で着ているものよりももっとファッション性が高く、そして…ブローチなどの小物が目立った。普段は、小さなものが一つついていればいい方なのに。派手なわけではないが、煌びやかな印象は受けた。
「パーティにでも行っていたのか?」
 プライベートでの外出だと言っていたから、新年会でもあったのかと思っての問いかけだった。
 けれど彼女は、答えない。きゅっと唇を引き、黙っている。
 言いたくないようなことなのか。
 もしや、誰かと逢引き…にしては、服装が“カッコイイ”だから、もしそうだとするなら相手は女だ。それでも、相手を羨ましく思ってしまうのは、心の狭さなのだろうか。
 いや、よく見れば、確かにカッコイイだが男装ではない。コートは男物だったように思うが、中に着ているパンツスーツは女物だ。
 一体、どういう…?
 彼女は、こちらに背を向けて。何やらこそこそとやっている。
「…海羽?」
 さすがに訝しんで、呼ぶと。
 くるりと振り向いた。
「……もぅ。できればバレたくなかったなぁ。でも、コート脱いで手袋とったら、気づいちゃうよね」
 仕方無げな苦笑。相違点、髪に青色のひと房。つけ毛なのだろう、さっきまではなかった。そして、手袋を外した彼女の指先は、…これも珍しく、マニキュアが塗られていた。
 青い色に、きらりと光るストーンと…あしらわれているのは、雪の結晶だろうか。
 そういえば、ジャケットにつけている光物も、石は青い。
「コレも見せとく?」
 そう言ってカバンから取り出したのは、ライトだ。
 イベント会場で、ファンが持っているもの。スイッチを入れると、青色が点灯する。
「ま、まさか」
 愕然とした。まさか、の先を、口に出せないほど。
 彼女は、
「…とっても楽しいイベントでしたよ、“まぁ様”」
 ファンが呼ぶ愛称で。
「そんな、…関係者席には」
 いなかった、それは間違いない。何度も見たのだから間違いない。彼女の存在を望むあまり、目が節穴にでもなっていたというなら別だが。
「いないよ。自分でチケット買ったんだもの」
「は?! 社員証で…どころか、顔パスでは…」
「いやだよ、そんなの。一人のファンとして楽しみたいんだ」
「ファンって」
 それでも、会場のどこかにはいたということだ。座席のない、ライブハウスでのイベントだったから…というのは言い訳だろう。何故見つけられなかったのかと、悔しくてならない。
「仕方ないなぁ。バレちゃったついでに、これも見せておこう」
 また、鞄をごそごそと探り、ぴっと取り出されたのは一枚のカード。
 ファンクラブの会員証だということは、すぐにわかった。
「そんなものまで?!」
「ちょっとイイ番号なんだよ。よく見て」
 会員番号の部分。機械で打たれたそれは、“1229”となっていた。
「受け付け開始の日に申し込んだのに、まさか四ケタとは思わなかったけど、…ファンとしては、価値の高い番号だと思わない? キミの誕生日だよ」
 もはや、愕然どころか放心だ。
 イベントに来てくれるだけならまだしも。服装や小物にまで気を配り、あげくにファンクラブ。
「それは…同期の者たち全員分…?」
 疑問符は、少し声が震えてしまった。
「え? 会報を見せてもらったりはするけど、事務所にあるやつだし。ちゃんと自分で申し込んで入会してるのは、聖川だけだよ」
「イベントに、個人の色を付けるのも?」
「あー、他の子ではやったことないかなぁ」
 どこかあっけらかんとして言う彼女には、もしかしてそんなに重大なことではないのかもしれない。
 けれど、こちらにとっては、この事実は衝撃以外の何物でもなく。
 心臓をわしづかみされたのではと思うほどの痛みと、息が詰まるような苦しみと。
 抑えきるなどとてもできはしない、衝動とをもたらした。
 結果、数歩の距離を足早に埋めて…彼女を、正面から抱きしめていた。
「っえ、ひじりか…?!」
「ありがとう」
「っ、あぁ、うん…」
「嬉しくて…どうにかなりそうだ」
 正直な本音だった。
 腕の中の彼女は、戸惑った様子を見せつつも、
「驚かしたかったわけじゃないんだけどさ。わざわざ言うのは違うかなって思ったし。キミだけっていうの、もしかして不公平なのかなって…だから、黙ってた方がいいのかなって」
 同期で、かつ姉的立場でいる彼女らしいなと思った。
「あー…でも、やっぱちょっとよくないよね」
「なぜ?」
「いや、他のファンの子たちに不公平だよねってこと。同じファンクラブなのに、ボクはキミと同期で知り合いだから、…こんなちょっと過剰サービスまで受けちゃえてって言う。“まぁ様”にハグされちゃうなんて、さすがに、ねぇ」
 いくらなんでも、と。
 本気でそう思っているのか。それとも、その状況を脱したいがための…なのか。
 少しだけ、苛立った。出会った当初は、男嫌いだのと言ってはいたが、現在はすっかり慣れているのか、近しい人間のスキンシップはかなり平気になっている。そんな彼女にとって、自分は…結局、“弟分”の中の一人にすぎないのかと。
「…ねぇ、聖川。そろそろ離れてよ」
「俺にこうされるのは、嫌か?」
「べ、別に嫌じゃないけど…言ったじゃないか、不公平って。キミはアイドルだ、ファンは平等に愛さないとだめだよ」
「お前にとって俺は、“アイドル”でしかないのか…?」
 こぼれ出た疑問符に、彼女が一瞬、息を詰めたのがわかった。強く抱きしめて、ちょうど耳元辺りで喋っているから、このセリフに込めた感情も…伝わっていると思う。
 黙ってはいられない。この言葉はもう、呑み込めはしないと悟った。
「俺は、ずっと…お前が好きだった」
 びくり、と。彼女が震えた。
 
 …伝えてはいけないのだと、自分に言い聞かせてきた。
 学園の規則、デビューしてからも付きまとうその不文律。
 “恋愛禁止”
 理解はしていた。アイドルは、万人の恋人たれ…と。
 <S>    </S>なのに。
 まさかの真相が。

「パーソナルカラーをつけるのも、ファンクラブも…俺だけだと言われて、舞い上がらないわけがない」
 同期、クラスメイト。彼女の中では、そういった枠の中の一人なのだと思い込んでいた。
「お前の“特別”に、なりたかったのだからな」
 伝えられる機会など、来るはずもないと諦めていた。どうにも耐えられなくなったら、無理にでも…などと、少々荒い考えまでめぐらせたこともあった。
 思いがけず機会は巡り来て、けれども…この後にどんな言葉を継いだらいいのかがわからなかった。
 腕を緩めて少しだけ距離を作り、彼女の表情を見ようとしたのだが。
 俯いた彼女は、その様子をうかがわせてはくれない。
 怒らせたろうか。
 それとも、…悲しませただろうか。
 不安になり、どうしようかと言葉を探していると、
「ごめん…」
 呟くように、彼女が言った。
 ずき、と。先ほどとは違う痛みで胸が軋む。
 謝罪、拒絶? 何に対しての“ごめん”なのだろう。
「…ちょっと、うん」
 そう言いながら、彼女は腕を払う。
 あぁ、これは拒絶だ…と、ひどく暗い感情が心に広がった。
 の、だが。
 抱擁を解き、自由になった彼女は、そのまま少しよろめきながら壁際へと歩いていく。
 どうしたのかと思っていると、
「……っ、おい?!」
 突然、壁に額を打ち付け始めたのだ。ゴッ、という、結構容赦ない音が響く。
 さすがに驚いて、すぐさまそれを止めるが、
「何をやってるんだ!」
 の問いに、
「いやぁ、…思考整理?」
 と、返ってきた。
「はぁ?」
「ほら、叩くとさ。調子よくなったりするじゃん、家電とか。その要領で、…夢見がちな脳を活性化させようかと」
「だからと言って、そんな…あぁ、額が赤くなっているぞ」
「このぐらいじゃ死なないからいいよ」
「いいわけがないだろうが」
 目の前で怪我でもされたら、それこそ気が気ではない。
 しかし、さっき彼女は何と言った?
 “夢見がちな脳”…と?
「…ねぇ。幻聴聞いたってことで、流しちゃってもいい…?」
「げん、っ、…そんな」
 確かに、言うつもりのなかった告白だ。流されたとしても、仕方ないと思えるかもしれない、が。
 幻聴、と言うことは、彼女側の妄想というような意味合いになるのだろうか。
「流されてしまうのは、さすがに」
「けど、なんかさ。うまくいかないんだよ。ファンだから好きなのか、好きだからファンなのか」
 そんな順序がなんだというのか、とは思ったものの。彼女がどこに悩んでいるのかを考えると、つい口元が緩みそうになる。
 一ファンとして好いているのか、それとも…。
「だから、流すのか? 夢だったと」
「…それがいいと思うんだ。キミのファンの子たちが、“そんな夢を見た”って笑って話すような…感じで」
「俺は本気で言ったのだが」
「そこを疑ったりはしないよ。キミがそういうジョーク言える人じゃないって、わかってるもの。けど、……」
 語尾を濁した彼女が、ちらりとだけこちらを見て。また、さっと顔を逸らす。
 額が赤いのは、さっき打ち付けていたからだろうが…頬が赤いのは違うはずだ。
「…けど?」
 揚げ足を取るようになってしまったのは否めないが、彼女が何に引っかかっているのかを知りたかった。
 はっきりしない。彼女の態度が。拒絶、ではないと感じるのは、都合のいい解釈だろうか。
「いやぁ、その…ね。自分で決めたことだからさ。同期として、ファンとしての節度を守る、っていうの。まさか、キミがそんな、…ボクのことをなんて、考えたこともなかったというか、考えちゃいけなかったというか」
 しどろもどろとしながら、どこか遠まわしに彼女は言うが。
 …それはもしかして、
「もしかして、お前も…俺のことを」
 自惚れか、希望的観測か。
 だが、今までの彼女の様子を総合すると、この答えでいいと思う。
 彼女は、なにやら唸ったのち、その場にぺたんと座り込んでしまった。
 そして、
「うわー、もう、なんで?! なんでこうなっちゃうのさ、今度はずっと黙っていこうと思ってたのに!」
 うつむいて、両手で顔を覆う。ちらりと見えている耳が、驚くほどに真っ赤だ。
 彼女のそばに、膝をつく。また抱きしめて、その耳に唇を寄せた。…熱い。
「ちゃんと言ってくれ、海羽。俺ばかりが言うのは、それこそ不公平だ」
「勝手に言い出したの、そっちだろう?!」
 …そう言われてしまうと、切り返しようがない。
 けれど彼女は、いくらかの間をおいてから一度大きく呼吸をし、
「…いつからなんて、覚えてない。気が付いたら、…キミを好きになってた。好きだったよ」
 ぼそ、と。
「過去形なのか」
「っ、キミだって“好きだった”って言ったじゃないか」
「あぁ、そうか。すまない。訂正しよう。…愛している」
 腕の中、彼女がなにやらかすれた悲鳴を上げた。
「訂正どころかランク上がってるっ」
「最も適切だと思う表現に訂正をした」
「そんな馬鹿な…」
 うろたえて、なんとかこの腕から脱しようともがいてはいるが、こちらに解放の意思などまるでない。ずっとこうしたかった、友人としてや弟分としてではない抱擁を、彼女に。
 夢にまで見たものが、現実に訪れるなどと。
「誕生日とクリスマスのプレゼントを、一度にもらったような気分だな」
「は?」
「それも、数年分」
「は?!」
「そんなに素っ頓狂な声を出さなくてもいいだろう」
 一度、落ち着かせるべきか。
 こんなにいっぱいいっぱいになっている彼女を見るのは、おそらく初めてだと思う。普段はどこか余裕綽々に見せているだけに、これは、…貴重なもの、なのだろうか。
 離したくはなかったが、このままでは彼女の思考がショートしかねない。
 仕方ない、と思いつつ。抱擁を解くと、彼女はあからさまに大きく吐息した。これが嫌悪や我慢なら傷つきもするが、ひたすら緊張していたというところが思いがけず可愛らしい。
「…茶を入れよう。忘れるところだった」
「や、もう、さすがに帰りたい…」
「それは却下だ」
「なんで?!」
「帰したくない」
「っ、ねぇ、キミさ。前からそういう人だった?!」
 …頷いたら、愕然とされた。
「確かに、多少装ってはいた。胸の内を気づかれたくなかったからな。あくまで学友として接してくれる、それを…いかに壊さずに、そばにいられるだろうかと…そんなことばかり考えていたから」
 二人は、始まりもひどいものだった。
 避けられて当然だったはずが、彼女はそうはしなかった。
「葛藤もあった。何度も自らに問いかけたもした。義理を錯覚しているのではないか、と」
「義理…?」
「責任を、とらねばと思って…な」
 何のことを言っているのかは、わかるだろう。わかるからこそ、彼女はやや呆れた顔して、
「だから。あれは“何かあった”うちには入んないって」
 あの頃もさんざん言っていた、同じセリフを。
 苦笑する。彼女との感覚の差なのかもしれない。あの時点ですでに成人していた彼女には、それなりの経験があり、俺のような子供と何があったとて…とるに足らないことだと。
 異性という認識はされていない、そう思っていたから。そして、その状況から抜け出たいと思いはしても、行動に出ることができなかったから。想いを押し込めて、『同僚だ』の一言で言い訳が成立する有様で満足していた。
 …それさえも、誤魔化しであったのだが。
 後ろ向きだった俺に、こんなチャンスが巡りくるなんて。
 しかも、玉砕せずに済みそうだとなれば、何を遠慮することがあるだろう。
「戸惑わせてしまうのは、申し訳ないと思う。けれど、…すまない、本当にもう、止まりそうになくて」
 せっかく一度離れたのに、どうしてもまた触れたくなる。伸ばしてしまいそうな手をなんとか抑えるが、正直、いくらも持たないだろう。
 彼女は、笑っているのか困っているのか、ひどく複雑な表情でぎゅっと目をつむった。そうして、何秒かあってから、はぁ、と息を吐き出すと、
「わりと激情型というか、普段いろいろ抑えてる分、爆発すると大変なことになるんだろうなという分析はしてたけど…それがまさか、自分に向くだなんて。どーしろっていうのさ、もぅ…」
 しおしおと呟く。
「そんなに、困らせているか?」
「困らせていマス」
「う…ム」
 けれど、今更。
 どうしようも。
 彼女のためを思うなら、なんとしてもこの暴走気味の感情を平常に戻して、…安全を考慮して帰すのが最も適切だろう。
 だが…。
「……もー、いいよ。わかった。ボクの負け、降参です」
 俺が迷っているのを察したのか、彼女は両手をひょこりと上げた後、その手を…こちらに向けて、広げた。
 これ、は。
「ちょっと立てませんので、起こしてくれませんか」
 言い方が少しあざといのは、演出だろう。
 こういうことをする人だったのか。
 いかん、口元が緩む。
 伸ばされた腕を取ろうとして。けれど、俺がしたのは彼女が望んだのとは違う行動。
「っ、え?」
 引き起こし、けれどもそのまま彼女の体を肩に担ぎあげる。
「え、ちょ?!」
「…軽いな」
 細いとは思っていたが、こんなに簡単に担げるとは。
「ねぇ! なにすんのさ、降ろして!」
「暴れると落ちるぞ」
「いや、その前にキミが降ろせばい…」
 背中から聞こえる声が止まった。絶句した、という感じで。
 どこへ向かおうとしているかを理解したからだろう。
「っ、ね、聖川?!」
 部屋の作りはどの部屋も同じだから、わかって当然だ。
「聖川ってば!」
 たどり着いたのは寝室。照明をつけて、彼女を寝台の上に下ろす。
 逃げられる前に、少々乱暴かとも思ったが強めの力で肩を押すと、バランスを崩した彼女はぽふりとシーツの上に倒れた。
 黒い髪が広がって、白の上に散らばる。
「ひじ、り、…」
 声が震えている。
 …あの時も、こうだったのだろうか。
 ついぞすべてを思い出すことがかなわなかった、“あの時”も。
 ただ、断片的にだがそれと思しき記憶もあって。
「ずっと、確かめたいと思っていた」
 伺いも立てず、彼女の動揺も無視して。のしかかるように退路を塞ぎ、やや強引に唇を重ねる。
 奪う、という表現が正しいのだろうなと、脳裏にそんな思考がよぎっていく。
 彼女の腕が、俺の肩を強く押した、けれど。いくらかの時間が過ぎて、諦めたようにその腕を下した。
 俺のすることを、ただ受け入れた彼女は。唇が離れたときに、
「…なにを確かめたの?」
 やや呆れたように言った。
 吐息がかかるくらいの距離。彼女の頬を撫でながら、
「唇が記憶していた感触の正体、だ」
 答える。
 口付けをしたことは彼女の証言もあって間違いはなかったが、なにしろ覚えていなかったから、時折ふと思い出すものがそれなのかどうなのかが定かではなく。確かめたいと思っても、できるはずもなかった。
「やはり、お前の唇だった。柔らかくて、少しだけひやりとして」
「…そんなの思い出さなくていいよ…」
「忘れたくなかったのだ。二度と、触れられないだろうなと思っていたから」
 もしも“そう”なら。
「いっそ、墓まで持っていきたいぐらいに、なくせない記憶だ」
「大げさなんだよ、キミはっ」
「それだけ、お前を愛しているということだが」
「……っ」
 また、顔を真っ赤にして。紅潮しすぎているせいか、瞳が潤んでいるのが…扇情的ですらあって。いつも見ていた彼女との差を改めて実感する。
 押しに弱いことは知っていたが、ここまで瓦解するとは…少々、気の毒な気もしないでもない。だが、それと同時に、“素の彼女”をもっと知りたいと思う。いつか誰かが“ギャップの人”と言っていたが…なるほど、これは確かに、落差が激しい。普段どれほど気を張っているのかと考えると、親近感すら湧いてくる。
 …知りたい。本当の彼女、を。
 暴く、というと言葉が悪いだろうけれど。
「あの、さ。聖川?」
「なんだ?」
「…あんまり確認したくはないというか、すべきではないというか」
「……なんだ」
「少々展開が早いような気がするのですけれど、できればどいていただきたいなって…」
「止まらないと言ったはずだが」
「止まってほしいですけど?!」
「…無理だ」
 そう。無理。
 彼女がどんなに青ざめても、社の規則やらを持ち出して説得しようとしても。
 それで止まるなら、初めからこんなことになってはいない。
 彼女からの『好き』を聞いた瞬間に、もはやどんな堰も効果がないと悟った。
「や、だってさすがに、心の準備というか」
「…すでに一度、途中まではしているのでは?」
「だっから、アレはカウントしてません!」
 彼女の指が、俺の頬をつねるようにつまむ。
「ボクだって、そんなはっきり覚えてるわけじゃないんだよ。あの時は、こっちもお酒入ってたし…それに、キミが覚えてないのにボクばっかちゃんと覚えてても仕方ないじゃないか。だから、……っ、準備は要るの!」
「俺が覚えていれば、また違ったということか」
「……それは、わからないけど…」
 こんな時に、もしもの話をしていても仕方がない。
「っ、とにかく、このままっていうのは勘弁して」
「何故」
「忘れてないとは思うけど、キミのイベント帰りにそのまま寄ってるからね?」
 汗をかいている、という話だろうか。
「気にならないが」
「ボクは気になるの! 乙女心をご理解ください」
「…ならば、風呂の支度をしよう」
「え?」
「俺も共に入る」
「えぇ?!」
「…俺と風呂に入るか、このまま続けるか。二択だ、選ぶといい」
 自分で言っていて、ひどい二択だと思わなくもない。
 案の定彼女は一瞬固まり、
「選べるわけないじゃないかぁぁぁ!」
 悲鳴を上げた。
「なんなのそれ! どうしてそういうこと言うの!」
「どちらも譲れないから」
 あと、反応が面白いから…というのは、黙っていよう。
「……時間切れだ、このまま続行だな」
「っちょ?!」
「これ以上焦らさないでくれ」
「焦らしてないって。キミの展開が早すぎるって言ってるでしょ? お互いに好きって言って、それですぐにコトに及ぶとか、そういうのをがっついてるって言うんだよ」
「十分すぎるほどに理解しているが」
「改める気はないの?」
「……」
 ない、と。即答したかった。いや、即答するところだった。
 けれど、もしも彼女が本気で嫌がっているのなら、そこは考慮が必要だとも思った。
 がっついている、と言われることを否定はしない。実際そうなのだから。
 ずっと堪えてきて、その必要がないのだとなれば、堰き止めていた分暴走する。
 それが原因で彼女が離れてしまっては、元も子もない。
 嫌われたくはない。
 だが。
「お前は…わかりにくい」
 つい、呟いてしまう。
 彼女が悪いわけではない、たぶん。
 言葉で諭すのは、間違いではない。
 ただ、場合による。今は、嫌なら嫌だと態度に出された方がいい。
 こうして触れることを許すのに、その先に踏み込むのは許さない…など、意地が悪いという範疇を超えている。

 不意に、彼女が顔を横向けて溜息をついた。
「ごめん。ごちゃごちゃ考えてるボクが悪いんだ。リスクを恐れたら恋はできないって、もうさんざん聞かされてきたのに…」
 リスク?
 首を傾げた俺に、彼女は向き直った。
 …ドキリ、と、心臓が鳴る。
 彼女の表情は、さっきまでとまるで違う。せつなげで、苦しげな…一体どうしたのかと、問いかけたくなるようなもの。
 口を開きかけた俺は、それを阻まれた。すっと伸びた彼女の腕が、背に回ってしがみつくように俺を抱きしめた。
「……前の時も思った。ボクらには、“気まぐれで”とか“流されて”とかは許されない。本当に好きで、絶対に添い遂げてみせるって心意気がなければ、交わるべきでない二人なんだ。どうあってもキミは聖川家の嫡男で、ボクは九条家の血縁だから」
 彼女の囁きは、失念していたわけではないものの。確かに、冷静に考えれば容易く踏み越えられるものではない。
「キミとボクの想いが、口さがない人たちに汚されるのは嫌だ。ボクらは純粋にお互いを好きでも、…聖川家が今後の勢力拡大のために九条の娘を取り込んだだの、その逆だの…絶対について回る。状況と環境がボクらを許さないのであれば、…抵抗していけないのなら、深入りはしてはいけない」
 感情だけではだめなのだと呟いて、彼女は言葉を切った。
 背に回った腕の力が、彼女の葛藤を伝える。
「それもあるから、黙っていたかったのに。キミを好きなこと、知られたくないなって思ってたのに。…やっぱ、爪塗ったりとかはやめとけばよかったんだなぁ…」
「そんなこと」
「あるよ。こんな、見てバレちゃうような格好じゃなければ、あの場でキミに会っても、そのあとお部屋にお邪魔しても、こういう展開にはなんなかったよ」
 それはどうだろう、と。自分自身に問いかけてみる。
 確かに、彼女が言う通りかもしれないとも思うが…
「今夜、ではないかもしれないが…いずれ、俺は我慢できずにお前に胸の内を伝えていただろう。その時はもっと、手荒なことをしたかもしれない」
「手荒って…」
「お前は知らないだろうが、これでも本当に、いろいろ堪えてきた。デビューして、真っ先にお前の曲を手にしたのは俺以外の奴だったし、現在に至っても俺だけがいまだにお前との仕事がない」
 これは偶然だ。誰かが意図してしたことではない…そうわかっていても、腹におさめて鎮めているには毒が強かった。何故、と。嫉妬に駆られて、眠れないときもあった。
 理由はと手繰れば、俺が歌よりも役者としての仕事に力を入れているからだと返されるだろう。その通りだ。彼女は作曲家、なのだから。
「…お仕事では、あんまり会いたくないなぁ」
「どうして?」
「ちゃんと冷静にできるか、自信ない」
 また、彼女の言葉がみぞおちあたりにずしりとくる。
「というか、自信なかった。ボクが作った曲にキミの歌詞や歌声がのって、…誰に宛てるでもない、でもボク宛てでもない『好き』や『愛してる』を許容できるかなって。他の人が作った曲ならいいけど、…たぶん、出ちゃうから。キミを好きって気持ちが、曲の中に」
 それは、予想だにしていなかった告白。
 彼女は、たいていの人に対してほぼ平等で、付き合いの長さからくる差はあるとしても、少なくとも公私ははっきり分ける人物だと思っていた。
 仕事、という呪文で、何もかもを区別できる…と。
「そのぐらい好きなんだよ、キミのこと」

 ここまで言われて、どう耐えろと言うのだろうか。

 理性などというものはとうに消滅し、どんな罵声を浴びせられようとも彼女をこの腕から解放しようという気もなく。
 その上、こんな言葉を聞いてしまったら、本当にもう…いっそ人間性を疑われるくらい、この想いを刻み付けたいとさえ。
「…海羽」
 呼んだ名に、どれだけの感情が含まれたかもわからない。そのぐらい、苦しかった。
 彼女は、うん、と小さく頷いた。
「生まれの有様を嘆いて諦められるほど、容易い恋でもない。キミがいいなら、ボクはキミとともに」
「お前以外の誰も欲しくはない」
 頬を滑って、唇にたどり着く。
 深く重ねると、彼女もそれに応えた。
 もう、拒絶も言い訳もない。


 ただ、愛しさだけがそこにあった。







 眠るのが惜しいと言ったら怒られた。
 それが、深夜よりも早朝に近い時間帯の話だ。
 腕に収まる彼女の、つないだ手を改めて見る。
 …実を言えば、最中にも時折この手を見ていた。
 世界を作り出す魔法の指先、それが…俺の色で飾られている。
 彼女が爪を塗ることを好まないことは知っている。それでも、こうしてその色をまとってくれたことが、嬉しくてならない。
 肌の露出を極端に嫌う理由も、はっきりとわかった。話に聞いてはいたが、実際目の当たりにして少し動揺した。けれど、これを理由に彼女が人前で肌をさらさないのであれば、個人的にはそれでいいと思う。誰にも見せたくない、俺だけの特権なのだと思うと…これもまた最高の気分だ。
 甘く響いた嬌声も、普段の声とまるで違っていた。こんな声が出るのかと驚きもした。気を悪くするかとは思ったが、その声について言ってみたら、彼女は『いつもは意識して出す声域だから。声の仕事の時しか使わない。肉声で聞くことは、…めったにない』と、ぼそぼそと返してきた。
 意識しないでその声が出るのは、…ソウイウ時だけなのだということなのだろう。ということは、芝居でなくこの声が聞けるのも、俺だけというわけだ。
 たまらない。
 もちろん、この先に待ち受けるであろう壁が高いことも、敵が手強いことも重々承知だ。
 それでも彼女は、俺といることを選んでくれた。俺を信じてくれたということだ。
 ……本当に、どうにかなりそうで、眠って目覚めたらすべて夢だったとかまた忘れてしまっただとかということになりはしないかと不安になる。
 眠りたくない理由は、それもある。
 ずっと、遠いと思っていた彼女が。今、俺の腕の中にいて。共にあることを望んでくれた。
「夢だったら…」
 つい、言葉がこぼれて。思わずはっとして、彼女を見た。不眠を患う彼女だが、いくらか前にすとんと眠ってしまった。安らぎを与えられている、のだといいなと思いながら、こちらは眠りを拒み続けている。
 眠って、目覚めて。彼女がいない、いつも通りの朝だったら。
 …発狂しかねない。
 大げさだとまた呆れられそうだけれど。
 それほど深く愛しているのだと、わかってもらえるだろうか。
 手に入れた今となっては、他の何を失うよりも恐ろしい。
 このまま時間が止まってしまえばいいのに。
 そんなことを本気で考えてしまうほど、なのだと。
「愛している…」
 何度囁いたか知れないその言葉を、今一度呟いて。
 薄明かりにわずかにも煌めく彼女の指先を、口元に寄せた。

 <S>     </S>青い。
 俺の色。
 …俺だけの。












<Div Align="right">2014.01.24 初アップ
Happy birthday,for Masato.
<a href="http://garasunotenkyuugi.blog.fc2.com/blog-entry-43.html" target="_blank" title="あとがきへ">あとがきへ</a></Div>