<span style="color:#cc0000">*このお話は、本編には含まれません。本編とは別物としてお楽しみください*</span>





 八月は、業界的にもかなり忙しい。
 世の中が夏休みに突入し、それを当て込んだイベントや特番が目白押しになる。
 新人とはいえ、天下のシャイニング事務所だ。今だとばかりに売り込みを兼ねた過密スケジュールに追い回されることになる。
 わかっていたことだが、まさか帰宅時間までも分刻みになるとは。
 おかげで、この一か月。顔を見るどころか声も聴けていない。
「…欠乏で死ねるレベル…」
 メールのやり取りもままならない、こんな現状にはもう溜息も出ない。
 誕生日の日に、日付が変わったと同時にバースデーメールがきたぐらいだ。それも、普段ならまずしないだろうデコレーションメール。意外ついでに本人の画像でも添付されていればと思いもしたが、そんなものを見ても紛れるどころか会いたさが募って発狂しかねない。
 あと何日、と。スケジュールを見ては脳内でカウントダウン。
 一ノ瀬トキヤ。職業、アイドル。
 次のオフは、八月最終日。





<i>Ex.『The birthday present of lateness 〜Tokiya side〜』</i>





 帰宅したのは深夜だった。
 いつぶりの自分のベッドだろう。
 とにかくクタクタで、正直なところ帰路のタクシーに乗ったあたりからまともな記憶がない。
 けれども、目が覚めた今、間違いなく自分のベッドの上。ただ、着替えもしていない。
 そして、まだ起きたくない。
 ちらりと見た時計は、朝七時。オフは三日間。これは、初日は寝ておくか…なんて、怠惰な思考がよぎっていく。
「…でも…会いたい……」
 よぎる思考の片隅で、その欲求が顔を出す。思わず声に出してしまうと、

「誰に?」

 不意に聞こえた問いかけに、痛いほどに心臓がドキリと鳴った。
 いっそ戦慄したとも言える。
 は?! と。眠気など吹っ飛んで、その勢いで体を起こすと、
「おはよう」
 寝室のドア口。見覚えのある大きなスポーツバッグを抱えた、
「…っ、海羽?!」
 早乙女海羽が立っていた。
 彼女は、
「玄関、一応鍵かけてはあったけど、靴はバラバラだし。途中でこのバッグ拾って、シャツ拾って、携帯拾って。なに、道しるべでも置いてるの?」
 酔っ払いみたいだよ、なんて。
 よほど驚いたのか、目を白黒させているトキヤを見て、苦笑する。
 ベッドの傍に来た彼女は、手にしているバッグを彼に手渡して、
「洗濯物出してね。あと、キミが今着てる奴も。引き続き寝るのは構わないけど」
 携帯電話はベッドサイドのテーブルの上に置く。
 そんな彼女に、
「どう、して」
 トキヤはまだ呆然としていて。
「どうしてって…合鍵もらってるじゃない」
「いえ、あの。そうでなくて」
「? よくわかんないけど、激務お疲れ様。お腹すいてるなら、差し入れにおにぎりとか持ってきてるけど?」
 言いながら、彼女はトキヤの髪を手櫛で整えようとする。
 そこで初めて、トキヤは自分の有り様に気が付いた。
 寝起き、しかも外出から帰ったままの恰好。ぼさぼさのくちゃくちゃ。
「み…海羽!」
 今更慌てふためいて、
「あの、起きますから! 食事もします、だから、その、…リビングで待っててもらってもいいですか?!」
「え? うん。わかった、ご飯食べる支度しておくね」
 彼女はもう一度『洗濯物出してね』と言ってから、寝室から出て行った。
 その背を見送り、トキヤは大きく溜息をつき。そして、両手で顔を覆うと、
「フクザツすぎる…!」
 さめざめとした様子で呟いた。
 目が覚めて最初に見るのが彼女だったと言うのはこの上ない幸福なのに、自分ときたら。
 仮にも“イケメンアイドル”で売っているのに、このヒドさはない。
 まして、いまだ全力片思い中の彼女に。疲れていたとはいえ、だらしないところを思い切り見られてしまった。
 酔っ払いの相手は慣れている、と以前聞いたことがあるにはあるが、…酔っぱらってないわけで。
「なんて失態…っ」
 とはいえ、いくら消えてしまいたいほど恥ずかしいとしても、ここで消えてはせっかく来てくれた彼女に申し訳もない。
 トキヤは、ピシャンと自分の頬を叩くと、とにかくベッドから降りた。



 シャワーを浴びて体も気分もリセットし、洗濯物をランドリーに放り込んで。
 しゃきっとなさい、と心の中で自分に言い聞かせながらリビングに行くと、
「おにぎりとみそ汁と、卵焼き作ったから。足りなければ、お昼早くする?」
 LDKのキッチンの方から、そんな声がした。
「一ノ瀬?」
 テーブルに朝食を並べていた彼女が顔を上げて、どうしたの、と首を傾げる。
 そんな、ありふれた仕草さえも愛しくてたまらない。海羽欠乏が深刻域まで達していたトキヤには、ただただ眩しい。
 ふらり、吸い寄せられるように彼女の傍へ行き、
「…ありがとうございます」
 そう言いながら、彼女を抱きしめる。
「こらこら。朝から甘えただね」
「何日ぶりだと思ってるんですか」
「…まる一か月、かな?」
「もっとですよ。七月に入ったころにはもう、完全にすれ違ってました」
「…そう?」
 よしよし、なんてトキヤの頭を撫でる海羽。
 このやり取りが、恋人じゃなくても展開されてしまうというあたりがもう、感覚がマヒしている証拠かもしれない。
 ハグや肩を抱くぐらいは、スキンシップ過剰気味の姉弟という雰囲気で十分誤魔化せる。
 海羽がトキヤのそれを許すのは、姉的感情で弟分であるトキヤを構おうとするからだ。
 対等どころか、主導権など握れたためしがないトキヤだが、それでもいいか、なんて思うのは、手っ取り早く彼女に触れるための狡さでしかない。
「あなたが足りなくて。会いたくて会いたくて、何度もセリフや段取りが吹っ飛びそうになって…大変でした」
「何言ってるんだか。生放送分はちゃんと見てたけど、しっかりできてたよ?」
「あなたが見ているかもしれないと思ったからですよ」
「え、それありきなの?」
「気合の入り方が変わります」
 大真面目な声音で言うトキヤに、海羽はやれやれと溜息をつく。
「まぁ、もう通過しちゃったことだからね。何でもいいんだけど。…ほら、ご飯食べて」
 離れて、なんて言われても。
 心の底から、
「嫌です」
 これが本音だ。
「支度したんだから、食べてよ」
「じゃあ、食べさせてください」
「いくつの子?!」
「離れたくありません。海羽不足が深刻なので」
「あー…あのねぇ…」
 呆れかえった声の彼女は、
「キミがオフの三日間、ボクも合わせて休みを確保してるから」
 そう言って。ぺちん、とトキヤの腕を叩くと、
「遅れちゃったけど、キミの誕生日ってことで。出かけるなり、付き合うからさ。そういうことで了解してくれない?」
「…本当ですか?」
「事務所には、『邪魔しないで』って言ってある。っていうか、どうせキミがいないんだからと思って、八月はほんと過密スケジュールで進行させたんだ」
「私が居なくて、寂しいからとか?」
 その台詞を。トキヤは、自分で言いながら『そんなまさか』と心の中でツッコミを入れていた。
 海羽は、一拍の間をおいてから、
「馬鹿なの?」
 それは、ひどく冷めた一言。
 ですよね、なんて苦笑すると、
「そこ我儘言ってもどうしようもないんだから」
 ぶちっ、と。彼女が呟いた。
 もちろん、この至近距離だ。音に出してしまったなら、聞こえないわけがない。
「えっ?」
 けれど、自分の耳が都合よく変換した可能性もあるから、一応聞き返した。
 今の発言とニュアンスは、“寂しい”を肯定していた…と、思う。
 挙句に、
「なんでもない」
 回答が誤魔化しで、少し不機嫌で…とくれば、これは彼女の“照れ隠し”だ。
 思いがけない展開に、トキヤは自分の鼓動の速さを自覚する。まさかそんな、コレは一体。
「…いいから、ご飯食べなよ。その間に、洗濯とかやっておくから。効率よく消化しないと、あっという間だよ、三日なんて」
「食べ終わったら、…また抱きしめてもいいですか?」
 少しだけ、調子に乗ってみる。いつも通りなら、また『馬鹿』の一言であしらわれるはず。
 けれど、海羽は。トキヤの予想を外し、むしろ妄想とも言える返事をした。
「いいよ。気が済むまでしたら。そのためのオフ合わせなんだから」



 これはいよいよ、ドッキリを疑うしかない。
 彼女の言葉を聞いて、トキヤは呆然とした様子で彼女から離れた。
 やや力なく、テーブルに着いて、いただきます、と言って。食事を始めると、彼女はLDKから出て行った。
 差し入れのおにぎりに噛みつきながら、それとなく室内を見回す。一月以上ほとんど帰ってこなかったのだから、知らない間に隠しカメラなどが仕掛けてあってもおかしくはない。
 なにしろ、トキヤはあのシャイニング事務所のタレントなのだ。
 早乙女学園にいた間だって、学園長で社長であるシャイニング早乙女の無茶振りには随分手を焼いた。
 海羽を使っている以上、テレビ放送用のドッキリではないだろうが、酒の肴程度には十分なる。
 けれど、彼女がそれを許すだろうか。根本的にエンターテイナー、というのはおじ譲りだが、あそこまでひどくはない。それに、疲れて帰ってきた誰かを、陥れるようなことを彼女がするとも思えない。
 でも。
 オフを合わせてくれた上に、その全部をトキヤのために使っていいと言ってくれたのだ。
 青天の霹靂、というのは、まさにこのことなのだろう。
「もしかしたら、夢でも見てるんでしょうか…」
 疑いだしたらどこまでも。肯定的に考えるなんて、そうじゃなかったときのことを思うと恐ろしくてたまらない。
 彼女の夢を見るなんて、ここしばらくは睡眠の度のことだったから、正直なところ白昼夢を否定しきれない。
「……しまった、味がわからない…」
 不安が募ったせいか、せっかくの彼女の差し入れなのにその味を堪能できない。
 彼女の料理の味は知っているから、想像はできるが…
 しかしそれでは、まるっきり意味がない。
 トキヤはとにかく、朝食を済ませてしまうことにした。


 使った食器を洗ったところで、彼女がいったん戻って来た。
「あ、よかったのに。置いといてくれれば」
「いえ、このぐらいはしますよ。御馳走様でした」
「お粗末さまでした。…それで? 今日の予定は?」
「特には。しいて言うなら、録画がたまっているので、それを見てしまいたいぐらいでしょうか」
 努めて平静を装うトキヤだが、その装いが行き過ぎて少々白々しくもあり。
 気づいた海羽が、
「…なんかヘンだね、キミ」
 抜かりなくツッコんできた。
「そうですか?」
「ちょっと顔色悪いし。ちゃんと食べれた? やっぱり疲れてるんだろうから、午前中は寝ておく?」
 トコトコと寄ってきて、トキヤの額に手を伸ばす。触れた彼女の指先は冷たくて、思わず身を引いてしまった。
「…熱いような?」
「違いますよ。海羽の手が冷たいのです。熱はありません、食事もきちんと食べられました」
「そう? だったらいいけど…暑い中でずっと頑張ってきたんだから、ゆっくりしたらいいから。ご飯とか、ボクに任せて」
 やはり、この世話の焼き方は“姉貴分として”なのだろう。
 一緒に過ごせる、それはこの上なく嬉しいことだが。できればその時間は、“恋人として”過ごしたいと思う。
 けれど、彼女はずっと。規則だの仕事だのを理由に、トキヤとの関係を進展させはしなかった。
 つかず離れずの距離を保ちはするが、それ以上には絶対に。
「…海羽?」
 呼びかけながら、トキヤは目の前の彼女を抱きしめる。
 ちゃんと許可は出ているから、彼女からの苦情もない。
「ヘンなのはあなたの方だと思うのですが」
「ボク…?」
 全く抵抗をせず、悪態もつかず。“いつもなら”が何一つない、彼女の方こそがおかしい。
「あなたがそんな調子では、なんと言うか、今が現実ではないのではと疑ってしまうのです。あなたに会えなかった間、眠る度にあなたの夢を見ていました。触れる直前で消えてしまうようなありがちな展開ばかりで。今、夢じゃないですよね? このままキスをしたら、やっぱり夢でしたっていうオチじゃありませんよね?」
 現実にしろ夢にしろ、キス自体させはしないだろうが。
 そんなトキヤに、海羽は、

「…じゃあ、してみたらいいんじゃないかな?」

 彼女の台詞に、トキヤはいよいよ耳を…否、夢を疑う。もちろん、夢じゃないとわかっていても、これはある意味“夢”だ。
「…海羽。やはり何かあったのですか?」
「何かって」
「それとも、私が…あなたの気に障るようなことを?」
「ちょ、なんなの」
「だって、冗談でだって言わないじゃありませんか。ハグはさせても、その先は絶対に」
 “恋人じゃないんだから”とか。“規則あるでしょ”とか。
 躱す言葉は様々で、けれどどうあってもOKなどくれたことはなかった。
「ぬか喜びさせて、一気に奈落に突き落とすつもりなのでは」
 それとも、これはドッキリですか、と。
 直後、海羽の盛大な溜息が聞こえて、
「予想はしてたけど。やっぱ、やめといたほうが良かったな…。仕事だったとはいえ誕生日にちゃんと祝ったりしてあげられなかったから、がんばったご褒美もかねてと思ったんだけど」
 呆れと、少々の不機嫌と。
「そんなに突き落とされたいなら、好きなだけ落っこちてればいいよ。ほら、終了。離れて離れて」
 トキヤの腕を引きはがそうとする。
「えっ、ちょっと、待って待って! 違いますっ」
 抵抗して、トキヤは彼女をぎゅうと強く抱きしめた。
「突き落とされたいとか、そんなわけないでしょう。ただ、…あまりにも夢のような展開なので、信じ難かったと言うか…」
「夢、夢って。痕が残るぐらい、ほっぺつねってあげようか?」
「いえ、それは困りますやめてください」
「っていうか、そんなに夢疑うんだったら、やっぱもう寝たらいいんだよ。ボク、帰るから。キミの睡眠邪魔しないように自分ち帰っとくから」
「海羽っ!!」
「睡眠不足は肌に悪いんでしょ?」
「それはそうですけれど!」
 今は、そういうことを言っている場合ではない。
 絶対に離さない、とばかりに腕に力を込めるトキヤに、海羽は苦しさでか軽く咳込んだ。
 トキヤははたとして、少しだけ腕を緩めたが、やはり解放まではせず。
「このまま横になったって眠れるわけがないでしょう…っ」
 声が震える。
「普段だって大概我慢してるのに…どうすればいいんです、謝ればいいのですか? あなたの気持ちを素直に受け取れなくてすみませんでしたと頭を下げれば、撤回されるのですか」
「…なんでそんな必死なの」
「必死ですよ! 当たり前でしょう、好きなんですから!」
 トキヤの想いが、海羽の聴覚を掠めていく。
「ずっと、はかりかねて…近づいているのに、ギリギリのところであなたは拒むから、どんなに想い続けても結局報われないんだろうかと……好きとも言ってくれない人を追い続けることがこんなにも苦しいと思わなかった。それでもあなたを諦められなくて、どうしても手に入れたくて、……っ」
 言葉が熱を孕んで、彼女の意識に絡まる。
 海羽が許す範囲で接触をしても、それはトキヤの想いをこじらせる一方だった。
 誤魔化しは誤魔化しでしかなく、いつか爆発してしまうだろうという危機感と、そうなってしまった時の彼女の対応が、容易に想像できたから。

 抑えていられるうちに、もっとはっきりと突き放してくれればよかったのに。

 海羽の体から、力が抜ける。少し、トキヤに寄りかかった。
「…ごめんね」
 溜息まじりの謝罪。
「ボクが狡かったんだ。キミの好意を利用してた」
 罪悪感は、苦みしかなく。
「仕事だの規則だのって、寸でのところでキミの想いを止めておきながら、自分は自分の欲しい分だけキミを利用して。自覚あったけど、…踏み込めるほどの気持ちが、自分にあるのか自信がなくて。全部、まるっとキミに明け渡せる勇気が、なかなか出なかった」
 それは思いがけない、
「随分、返事待たせて…言えなくて、ごめん。好きだよ、キミのこと」
 告白。

 一瞬、トキヤの頭の中が真っ白になって。
 今聞いた言葉を、反芻する。
「キミの想いと釣り合うかはわからないけど」
 彼女の声が、
「好き。大好きだよ」
 大切そうに紡いだ。
「誕生日の日に、これだけは言おうかなぁと思ってたんだけど。こっちも忙しくて、夜中まで自由がなくて。中途半端になるなら、いっそちゃんと会える日まで待っといたほうがいいかなって。こういうの、電話とかメールで伝えるのって、違うでしょ? キミはいつも、直に言ってくれてたし」
 それを聞いて。トキヤがもう少しだけ腕の力を緩めて、彼女の額に自分の額をくっつける。
 至近距離、お互いしか見えない。
「ほんとう、ですか?」
「あのね。さすがのボクでも、この状況で嘘も大げさも言わないよ。ドッキリもないから。ボクを巻き込んで、誰がそんなの仕掛けるの」
「…キスを、しても?」
「いいよ。して」
 目を閉じた彼女の、その表情を。二秒見つめて切なくなって、込み上げた感情をなんとかセーブしつつ、そっと唇を重ねた。
 触れるだけのそれの後、一度離れて視線を交わす。
「…消えてないでしょ? 夢じゃなくてよかったね」
 微笑んで、彼女は言って。
「はい」
 トキヤの返事は、どこか呆けたようにも聞こえた。
「…なんか、もうちょっと演出考えた方がいいのかとか思ってたけど、やっぱいらなかったね。キミはきっと、夢見る乙女のようなシチュエーションがいいんだろうと勝手に考えてたけど」
「なんです、それ」
「だってキミ、中身、乙女だもん」
「は?」
「嫉妬深い・疑い深い・美容の話題に敏感・ダイエットは一生のお友達。歌詞はやたらとドリーミィ。いっそポエムだし」
 並べられた言葉に、トキヤはぐっと言葉を詰まらせる。思い当らないわけがない。
「女装アイドル目指したら丁度好さそう」
「っ、馬鹿なこと言わないでください!」
「そしたらボクが男装の作曲家で。性別迷子の二人組ユニットとか。あ、なんか面白そう」
「やめてください。万が一にも社長の耳に入ったら、翌日には企画書がぶっちぎりで通過してしまいますからホントにやめてください」
 眉間に皺、どころではない。背筋がすっと寒くなる。
 海羽は苦笑して、
「キミは、中身は乙女だけど外見はそうでもないから。意外性を狙った単発の企画としてやるならともかく、芸の方向としてはさすがになぁ。まぁ、せいぜい“乙女心がわかるイケメンアイドル”で止めとく方がいいいよね」
 冗談なのか本気なのかわかりかねる発言を。
 トキヤは、むぅと口を尖らせて、
「大体、ユニットって…あなたが表に出るようになってしまったら、心配事が増えるだけです」
「あー、パフォーマンス力は今一つだからなぁ」
「何言ってるんですか。あなたは並みのアイドルよりよほど魅せる力がありますよ。…って、そうではなくて。いや、それだからかもしれませんが…」
「なに」
「私が独り占めできなくなるのは嫌です」
 きっぱりと言い切る。
「二人きりでいる時間が、今だって少ないと思うのに。この上、あなたが外に出る仕事まではじめてしまったら、もっと会えなくなるではありませんか。しかも、不特定多数の男どもがあなたの姿を眺めたりするだなんて冗談じゃない」
 大真面目な顔で、そんなことを言われて。
 海羽はきょとんとして、
「お互い様だよね?」
 そう返すのだが。
 今度は、トキヤのほうがきょとんとした。
 思いがけない言葉を聞いた、そう思った。
 だから、つい。
「…あなたにも、嫉妬心があるのですか?」
 ぽろっと言ってしまった。
 瞬間、海羽はトキヤの腕をバチンとひっぱたいた。結構強いそれは、
「いった!」
 彼の悲鳴と、叩いたその場に赤く痕を残す。
「ちょっ」
「キミって。ボクをなんだと思ってるわけ? 今この時からキミを好きになったわけじゃないんだよ? そりゃ、仕事だってちゃんと割り切ってるから表に出したりなんかしないけど、…可愛い女の子との絡みがあるドラマとか、イラっとすることだってあ、」
 るんだから。
 セリフは最後までちゃんと音にならず。降ってきた彼の唇に吸い取られる。
 やや不快そうに、一瞬だけ。海羽は抵抗したが、結局おとなしくなって。
 舌が絡むような深いキスの後、
「…人の話は最後まで聞こうよ」
「すみません。嬉しすぎて制御できませんでした。本当に、思いがけず可愛いですよね、あなたって」
「そこで同意求められたって、頷けるほど自惚れてないもので。オーディエンスもないから」
「えぇ、わかっていますよ。あなたの可愛さは、私だけが知っていればいいことですし」
 にこっと笑う、アイドル仕様とは少し違う表情。
 装うこともなく、素で見せているのだとわかる。
「ねぇ、海羽」
 この幸せそうな顔ときたら。
 海羽は内心でやや呆れつつ、この展開でよかったのかなとほんの僅か程度に自分確認をする。結論、やや後悔がなくもないがまぁいいか。
「な、なに?」
「もっとキスをしてもいいですか? 全然足りないので」
 彼女は、思わず頬を赤らめつつ、
「そう言われると、ダメって言いたくなるよね」
 唇の前で、両手の人差し指をクロスしてバツ印をつくる。
 そんな彼女の、やや上目遣いの仕草に、
「逆効果ですよ、海羽」
 トキヤは小さく笑って、その指が重なっているところに唇を寄せて。ぺろ、と舐める。
「っ、ちょっと、なにやって」
「美味しそうに見えたので」
「はぁ?」
「海羽は甘党ですからね。どこもかしこも甘そうです」
 指先を舐められて、海羽が慌てて手を退かすと、待ってましたとばかりに唇へのキス。
 彼曰く“足りない”ものを、欲しいままに得ていく。
「ほら、…キスも甘い。ちょうどいいです、誕生日ですから。あなたが私のバースデーケーキですよ」
 いただきます、とまで言われて。
「…随分遅れてるから、あたって死ぬかもよ? やめといたほうがいいよ」
「あなたで死ねるなら本望ですね」
 挙句、そんなことまで飛び出したらもう、
「キミ、ほんっっっっっとに恥ずかしい…っ」
 すっかり俯いてしまった彼女はいよいよ顔を上げられず、彼はそんな彼女を苦しいほどに抱きしめる。
「こんな程度で撃沈されては困りますよ。あなたに伝えたい言葉はまだまだたくさんあるのですから。今までため込んできた分がね」
 歌詞にものせきれていない、想いが。
「こ…小出しでいいけど」
「そんな節約をしなくても、尽きることはありませんから大丈夫ですよ」
「っていうか、せっかく三日間オフ合わせてるんだから、もっと有意義に」
「あなたと二人で過ごす時間は、特別どこへ行ったりしなくても十分に有意義です。…言ったでしょう、海羽不足が深刻だ、と。安定域に達するまでは離しませんから。三日では足りないかもしれませんけれど」
 何をどう言ったところで、トキヤは海羽を解放する気などないらしい。
 上機嫌に微笑んで、腕の中に納まる彼女の髪に何度もキスをする。
「…仕方ない。じゃあ、おうちデートってことだね」
「そんなに落胆することですか? それとも、あなたにはプランがあったとか?」
「そういうわけじゃないけど。おうちデートじゃ、ずっと張り付いてるのが目に見えるなって」
「そのつもりですが」
 しれっと答えるトキヤに、海羽はまた溜息を吐く。
「キミが結構、ベタベタするの好きなのはわかってたけどね…」
「海羽は嫌い?」
 普段以上に吐息多めの声音で、彼女の耳元に唇を寄せる。
 びくん、と彼女が震えた。
「わざわざ耳元で営業用ボイス出さなくていい」
「営業用、ではありませんよ。“海羽専用”です」
「……っ! し、仕事で使いなよ、そういうのはっ」
「仕事用は、もう少し感じが違うのですよ。…まだまだですね、海羽。まぁ、これから覚えてもらえばいいことですけれど」
「恥ずかしいのは歌詞だけにして」
「失礼ですね。あなたを想って書いてきたのに」
「余計ひどいよ」
「他にぶつけるあてがなかったんですから仕方ないでしょう。でもこれからは直接、あなたにいくらでも伝えていけるわけですから」
「……歌詞だけにして」
「ひどいのは海羽の方です」
「なんでさ」
「あなたのことを好きで好きでたまらない、そんな気持ちを込めているのに」
「恥ずかしい」
「照れている、の間違いでは?」
「っは?!」
「素直ではないですよね。そこも可愛いのですけれど」
「可愛いって言うのやめて」
「嫌です。せめて、今日と明日と…明後日ぐらいまでは」
「なにその期間は」
「誕生日にかこつけての我儘が有効だろう期間です。前日・当日・翌日といきたいところですから。スタートがずれましたからね。あなただって、そのつもりで全部あけておいてくれたのでしょう?」
「……っ、その発想が乙女だっていうんだよ、キミはっ」
 会話の応酬は、海羽の悲鳴のような台詞で一度途切れた。
 おりた沈黙に、先に吐息したのはどちらだったのだろう。
 少なくとも、話し始めたのはトキヤの方で、
「…明後日まで。私だけのあなたでいてくれますか? 誕生日プレゼントに、どうしてもあなたが欲しい。あなたの時間と、あなた自身と」
 問いかけを、囁いて。
 海羽は下を向いたまま、
「それは、ちょ」
 っと。
 濁す言葉を、トキヤは最後まで言わせず、
「あぁ、すみません。答えは訊いてませんから。乙女乙女とさんざん言われて、さすがに私も許容限界です。あなたの認識を変えるためにも、どうあっても引き下がれませんので」
 ひょい、とばかりに彼女を抱き上げた。
「なっ」
「おとなしくしてください。落としたらどうするんです」
「いや、いっそ落としてくれていいから!」
「馬鹿なことを。シャイニング事務所きっての人気作曲家に万が一があったら、社長に殺されます」
「じゃあ下ろしてよ」
「それはできません」
 しれっと答えて、そのまま何食わぬ顔で階段に向かう。その先は、言わずと知れた寝室だ。
「ね、ねぇ、ちょっと、一ノ瀬」
「はい?」
「いくらなんでもその展開はない!」
「…何故です?」
「な、ぜって」
 階段を上って、その先の扉を通って。
 たどり着いたベッドの上に、丁寧に海羽を下ろす。
「いち、の、せ」
「…なんて顔をしているのですか。悲愴にもほどがありますよ」
「や、その」
 いつもの、強気な彼女とはまるで違う。テンパっている時とも違う。
 言葉を探しあぐねている。
「嫌なら嫌だとはっきり言っていいですよ。もちろん、完全に止まれる自信はないので、妥協点を探すぐらいしかできませんが」
 言いながら、トキヤは彼女にのしかかる。二人分の重みで、ベッドが軋んだ。
「え、えと」
「何をためらいますか? 私はあなたが好き、あなたも私を好きだと言ってくれた。…合意なら、いつもあなたが言い訳にする“淫行罪”は成立しませんよね?」
「それはそう、だけど」
「他に、どういった言い訳をしますか?」
 延びてきた手を。海羽は、とっさに叩き落とした。パン、と乾いた音がして。トキヤがその手をひっこめると、彼女はハッとした顔をして「ごめん」と言った。
「…好きでも、触れられたくありませんか」
 代わりに、距離を詰める。
「どうしても嫌?」
 じっと彼女を見つめて言うトキヤに。海羽は、気まずげに視線を外し、
「…って、言うか、その。…嫌なのは多分、キミの方…」
 ぼそり、と。
「私、ですか?」
「…うん」
 彼女の手が、無意識に自身の襟元を掴む。
「見せたくないもの、ってさ。誰にだってあるじゃない? 外面でも内面でも」
「…? えぇ、まぁ」
「ボクのそれは、目に見えるものなんだ。そしてそれを見られたくないっていう思いが何より強くて、…見られた場合のキミの反応も怖いから、どうあっても見せたくない。もちろんこれは、キミに限ったことじゃないんだけど、…キミだからこそっていうのもある」
「怖い、とは?」
「見て気持ちのいいものじゃないから。悲鳴あげられたことあるし、変に同情もされたくないし…」
 根の深いものだというのは、彼女の様子からも十分にわかる。
「それは、あなたが過度に露出を嫌う理由ですか?」
 重なっていく疑問符。ずっと不思議だった。真夏でも、長袖しか着ない上に着崩すこともない彼女。暑さに弱いのに、衣類で涼を取ることをしないのは、それなりの理由あってのこととは思っていた。日焼けしたくない、というだけではないのだろう…と。
 首も手首も足首も。
 彼女の“見せたくないもの”は、服の下にあるのだろう。


「…仕方ないですね」
 深い溜息をついて、トキヤは言った。
「えっ」
「あなたが何を隠したくて、何を見せたくないのかはわかりませんが、無理強いをしたいわけでもないですから。今、そこに行きつくのなら、もうとっくにやってます」
「…まぁ、それは、うん」
「もちろん、少しでもあなたにその気があるのなら、遠慮なんかしないのですけれどね」
「う…」
 海羽は唸って、顔を俯ける。相変わらず、手はシャツの襟元を掴んだままだ。良く見ると、少し震えている。
 嫌悪する人がいる、と。その経験が、より彼女を頑なにしているのかもしれない。
「どんなあなたでも、愛せる自信はありますよ。でも、それをあなたに信じてもらうのに、もう少し時間がいるのでしょう」
「信じてないわけじゃないよ。でも、…そうか、信じてない…のかな…。…これを知ることで、キミが離れてしまうと思うわけだから」
「絶対にない、と断言できますよ」
 下心を極力排除して、トキヤは彼女を抱き寄せる。怯えているのが、自分にではないと言うのがせめてもの救いだと思えた。
「でもそれ言っちゃうと、言った手前ってのがでちゃうからさ。ボクといる、っていう一番根本から無理してほしくない」
 そう言いながら。すり寄るように、海羽はトキヤにもたれる。些細なことだが、彼女にしては珍しい行動だった。
 当然、トキヤはそれに気づいて。けれど、何か言えば彼女は我に返ってしまうとも思ったので、口元に笑みを浮かべただけでスルーと決めた。
「とにかく、もう少し…ごめん。今は、まだ、ボクのほうがキミといたいから」
 海羽が自分から甘えるような仕草を見せることは、めったにない。
「嬉しいことを言ってくれますね。誕生日効果、なのでしょうか?」
「かこつけてるつもりはないけど…」
 おっと。余計なことを言ったかもしれない。
 トキヤは内心やや慌てて、
「何でもいいです、嬉しいですから。どうか海羽、そのままで。誕生日プレゼントの要求内容を変更しましょうか」
 本当は、と。
 思いはしても、今はその欲求は心の奥に閉じ込めておかなくてはならない。
 抱きしめて、体中にキスをして。彼女のすべてが欲しいのに。
 あさましいと言われても、なりふり構わず求めたい。
 けれど、それを彼女が望まないのでは、意味がない。
「……あなたとの時間を、私に下さい」
 ぎゅ、と。抱きしめる腕を強くして、彼女がなんとなく程度にも頷いたのを確認してから、
「ありがとう」
 微笑んで、キスをねだった。





<Div Align="right">2013.09.20 初アップ
Happy birthday,for Tokiya.
<a href="http://garasunotenkyuugi.blog.fc2.com/blog-entry-33.html" target="_blank" title="あとがきへ">あとがきへ</a>
</Div>