<span style="color:#ff0000">*本編とは全く関係のない、独立したお話しです。</span>






 夏のこの時期は、業界的にも忙しい。
 学生たちが夏休みに突入し、それを当てこんだイベントが目白押しになる。
 もちろん、テレビの特番もあるから、季節感重視であればあるほど生放送だ。
 仕事があるのはありがたい。
 まだまだ新人である以上、当然選べるわけでもない。
 …というわけで、
「当日は無理、だね…っと」
 今もチャットアプリで会話中。お互いにスマホを使っていると、メールよりも便利なものがあるからこの時代は素晴らしい。
 通話をするために場所を移動できるほどの時間もなく、メールは少しまどろっこしい。リアルタイムのような会話が展開できるこのアプリには、二人はお世話になりっぱなしだ。

『日付が変わるまでに一度でも帰宅できればいいのですが』
『無理しなくていいよ。現場の人たちが祝ってもくれるんでしょ?』
『海羽がいないなら、なんの意味もありません』

 さくっと返ってくるセリフに、苦笑する。

『馬鹿なこと言ってないで、祝ってもらっておいで』
『愛のない発言ですね』
『仲間は大事にっていうハナシだよ』

 誕生日なんて、祝ってもらえるうちが花だ。
 まして、彼女はもう何年も当日に祝ったことなどない。

『海羽の誕生日がいつなのかを知りたいですね』
『それは国家機密ですので』

 一ノ瀬トキヤと早乙女海羽。一応、恋人、と呼んで憚りない関係にはなったものの、彼女はまだ彼にいろいろと伏せていることがある。
 誕生日もその中の一つだ。季節としては夏、とまでしか教えていない。

『プレゼントもままならないのは嫌です』
『クリスマスでいいじゃない』

 返しながら。彼女は、
「そろそろ拗ねるな」
 と呟いた。この話題になると、必ず最後は、

『誕生日も祝わせてくれないなんて。本当に私のこと好きなんですか?』

 …こう来るのがもう、セオリー化してしまっている。
 ちょっと隠すと、すぐに気持ちを疑われるのだから、
「この子やっぱり、中身、女子だよね」
 肩を落とさずにはいられない。
 疑い深く、嫉妬深い彼氏殿には、少々手を焼いてしまう。

『好きじゃない人と、仕事止めてまでチャットするの? そんなに余裕ないけど』

 そして、引き合いに仕事を出して来れば、

『すみません』

 とかなんとか。
 案外ヘタレだ。
 彼女は、ふふ、と笑って、

『誕生日なのはキミのほうなんだから。こっちのことはいいから、仕事ちゃんとして、仲間も大事にして。ボクのことは最後でいいよ』
『最後だなんて』
『オオトリもらって、誰にも邪魔されずにキミを独占できればそれで満足だから』

 ここで、相手の返信が少し止まった。
 タイムアップかな、と。彼女はスマホを手から放そうとしたが、

『何日会ってないと思っているのです? あなたは気が長すぎて、私の方がおかしくなりそうですよ』

 そう返ってきて。彼女が返答を送る前に、

『時間のようです。行ってきます』

 と、入ってきた。
 いってらっしゃい、と。それが、今回の締めくくりだ。
 もっとも、今回ばかりではないが。
「そっか…そろそろ三週間ぐらいかな、擦れ違い生活…」
 カレンダーを見やり、溜息をつく。
 自分だってヒマなわけではないから、なかなか時間も合わせられなかった。
 世の社会人カップルは、みんなこんな感じでいるものなのだろうか。
「…きっと、もっと切なくて寂しくて…なんて思いを募らせるものなんだろうけど。淡泊でごめんね、カレシ殿」
 実際、忙しいのだから。
 それが言い訳なのかどうなのか、本人さえわからない。
 会いたくないわけではないのだけれど。




<i>Ex.『The birthday present of lateness〜Tokiya side/Another version〜』</i>



 誕生日当日は、日付が変わったと同時に『おめでとう』のメールを送った。それも、普段はめったにしないデコレーションメールで、だ。
 会えないなら会えないなりに、いつもと違う何かをしてみようかな…という、単なる思い付きではあったのだが。
 トキヤからの返信は、相変わらずのシンプルな文面。そして、やはり帰れそうにないという現状の報告。
「ツッコミもなしかー…」
 出演者の誕生日ともなれば、それなりの演出もある収録になるはずだ。そして、終わってからのプチパーティは当然の流れ。同じように疲れている共演者たちも、ソレを肴に気分転換大騒ぎに突入だろう。
 海羽ももちろん、そういった業界のセオリーは理解しているから、特にぐずるわけでもなく『無理はしても無茶はしないで』と、まるで母親のような返事をしたりする。
 スケジュール通りなら、トキヤが返ってくるのは明日の午後だ。その翌日はオフと聞いているから、明日はそのまま休ませて、明後日に遅ればせの誕生日パーティでもしてやろう。
 そんなつもりで、その日は海羽も仕事を詰めていた。


 シャワーを浴びて、さっぱりして。
 やれやれ、なんて思っていたところだった。
 呼び鈴が鳴る。
「…え?」
 時計を見やった。
 現在時刻、深夜一時を回ったところ。
 誰か、部屋を間違えたんだろうか。
 それもないか、とセルフツッコミをしつつ、とりあえず玄関先へ向かった。
 念のため、ドアを開ける前にレンズ越しに外を見る。
 立っていたのは、…まさかの人物。
 慌ててロックを外し、ノブをひねった。
 重いドアを押し開くと、
「…ただ今戻りました」
 疲れた顔に、精いっぱいの笑顔を浮かべた青年が立っている。
「どうしたの…大丈夫、なの?」
 呆然として彼女が言うと。その様子を見て、彼はむぅっと不機嫌な顔をした。そして、
「その返し方は不正解です」
 言いながら、倒れ込むように海羽を抱きしめる。
「ちょっ」
「…笑って、『お帰りなさい』って言ってください」
 拗ねた口調は、けれども力がなく。疲労の中、無理に帰って来たのだとは十分に理解できた。
 海羽は苦笑する。
「ごめんごめん。びっくりしたんだから。…ほら、そんなくっついてたら、“笑って”の部分の確認できないでしょ? ちょっと離れて」
「もういいです。離れたくないので」
「なにちょっと、幼稚園児みたいなぐずり方しないで。ほら、いつまでも玄関にいたってしょうがないでしょ。お疲れなんだから、シャワー浴びてリセットしてください」
 ポンポンと背中を叩いて言うのだが、一向に離れる気配はなく。それどころか、腕の力は強くなっているし寄りかかってくる重さも強くなっているし。
「一ノ瀬サン。ボクもそんなに元気じゃないから、支えきれなくて倒れて怪我して仕事に穴空きますよ」
 いつも通りに“仕事”を出す。けれど、別に大げさに言ったとかそういうこともない。実際、海羽は日付が変わるぎりぎりまで作業をしていたし、日中は打ち合わせやらでずっと出かけていた。
「元気じゃないって…?」
「具合悪いとかじゃないけどね。ちょっと立て込んでるから」
「…迷惑でしたか」
「どぉしてそっち行っちゃう? 迷惑ならそもそもドア開けない。お迎えしない。抱きしめさせもしない。…まだ覚えない? ボクの行動パターン。もー、くっついてていいから、とにかく場所移動するよ」
 酔っ払いか、と。彼女に言われたせいなのかどうなのか。
 トキヤは、ようやっと彼女から離れた。
「…すみません。ごめんなさい」
「そんなに謝らなくてもいいけど」
「…シャワー、浴びてきます」
「あぁ、うん。着替え出しておくから」
「はい」
 急にどうしたんだろう。海羽はそう思いながらも、なにやら俯いていると言うよりはどんよりとしょげかえっているようなトキヤがバスルームに行くのを見送った。



 彼の荷物はリビングの隅に置き、着替えをいつもの場所に出しておいて。
 時間が時間だし、食べ物はきっといらないのだろうなと思ってお茶だけ用意する。
 何より、予定では明日までは撮影があるはずだから、もしかしたらすぐに戻らないといけないのかもしれない。着替えはパジャマを出しはしたが、戻るとも戻らないとも彼は言っていないし、そう言えば訊いてもいなかった。
 ソファに座って待っていた海羽だったが、確認した方がいいかな、と立ち上がりかけたところで、彼がリビングにやってきた。
 出したパジャマを着て。
「あ、ごめん。よかった? それで」
「はい?」
「や、撮影…明日までなんでしょ?」
 トキヤは、すたすたと歩いてソファまで来て、すとんと彼女の隣に腰を下ろすと、
「繰り上がったんですよ。今日、進行がかなりよくて。明日に予定していた分まで、撮り終ったものですから。ただ、遅くはなったので、他の出演者たちは予定通りホテルに泊まっていますが」
 少しだけ、声音が普段のものに戻っている。落ち着いたのだろう。
「誕生日パーティ、してもらった?」
「えぇ。撮影終了後に、ほとんどなし崩しでしたけれど。その際に、『彼女と三週間会っていない、声もまともに聞いてない』と言ったら、皆さんが私をタクシーに押し込んでくれまして」
「……は?」
「いいから帰れと。時間が時間だから、向こうももう眠っているとは言ったのですが、『そこは気持ちの問題だ』とか」
 テーブルの上に出されているお茶に手を伸ばし、一口喉に流す。
 コップを置いてから、トキヤは隣の海羽を見た。
 海羽は、ぽかんとした顔をして、
「…お付き合いは絶対伏せておかなければいけないんだよね?」
 確認する言葉。
「なんで公表しちゃってるの??」
 なにやっちゃったの、とでも言いたげな顔だ。
 トキヤは小さく笑い、
「いえ、さすがにバレてましたよ。合間合間にスマホをいじってましたから。チャットアプリを使っていることも気づかれていました。今回の面子は、ほとんどシャイニング事務所のタレントでしたからね。皆、同じように隠れた付き合いがあるようで。お互いにうまく誤魔化していこうな、と」
 同盟が結ばれたらしい。
「それはそれで、まぁアリかナシかと言えばアリなんだろうけど…」
「相手があなただとは言ってませんけど。さすがに、社長の娘ですからね」
「あぁ、うん…」
 口外などできるはずもない。
「事務所内部的には、あなたは日向さんと付き合っているということになってますし。もちろんそうではないわけですが、…これは狡いのでしょうが、あの日向さんと争ってまであなたにちょっかいをかけようと言うバカモノはいませんからね。虎の威を借るというやつです」
 それはどうかと言いたいが。実はこの二人で付き合っているんですと訂正して回るのも何かが違う。
「…まぁ、なんにしても早く帰ってこられたのはありがたいことです。しかも、あなたがまだ起きていてくれたから」
 言いながら、トキヤは彼女の肩を抱き寄せる。
「部屋に明かりがついているのを見た時、本当に嬉しかったのですよ。会うのは明日にしようと思っていたのに、…気が付いたら、玄関ドアの前で呼び鈴を押してました」
「ほんと、びっくりしたよ、こんな時間だし」
「そうなんですよね。常識的に考えれば、驚くのが当然なんですよね。まして、明日まで仕事がかかると言ったのは私で、繰り上がったことも何も言わずに突然帰ってくれば、あなたのあの反応は当たり前なのです」
「…なに、反省でもしてるの?」
「少し」
「少しなんだ」
「だって、ここに至ってもあなたはまだ私に『お帰りなさい』と言ってくれませんし」
 それを聞いて。海羽は、くっ、と肩を揺らして笑った後、
「キミ、結構しょうがない子だよね」
 至近距離、トキヤを見つめて。
「…お帰りなさい。思いがけず早く会えて嬉しい」
 にこ、と。穏やかな微笑みをプラスする。
 トキヤは満足そうに笑い、
「ただいま。…会いたくて会いたくて、何度台詞や段取りが飛びそうになったか知れません」
「それ困るな、ちゃんと仕事してくれないと」
「えぇ。社長に交際を止められてしまいますから」
 ちゅ、と。小さなキスを、額から始める。頬に移り、少しだけ間をあけてから唇へ。
 触れるだけ、というそれの後、
「…あなたといられなくなったら、私は言葉も…息の仕方さえも忘れてしまいそうで」
 大真面目にそんなことを言って。
 海羽は苦笑し、
「溺れすぎだよ、キミは。心配になる」
 彼の頬に、自分の頬をくっつける。
「いつ壊れるとも…壊されるとも知れない関係なんだから。もっと気をしっかり持っててくれないと」
「壊さないし、壊させもしませんよ?」
「…そう願うけど。とりあえず、廃人フラグとかやめてくれない? シャイニング事務所期待の新人潰したとか言われるのイヤなんだけど」
「……事務所最優先ですか?」
「社長の娘ですから」
 彼女の切り返しに、トキヤはむぅっと不機嫌な顔をする。
「私より、事務所ですか」
「仕事より、ボクでいいの? これは両立してくれないと、どっちも失う契約ですけど?」
 悪魔的な何かとの、と。付け足した海羽の言葉は、言い得て妙な表現で。
「仕事の方を大事にしていれば、ボクをなくしてもそっちは残るけどね。娘をフッた男だからって、事務所追い出したりはしないでしょ、うちのパパも」
 更にトキヤが眉間に皺を寄せたところで、
「冗談だよ。まぁ、キミの優先が仕事でも、ボクは構わないけど。時々こんな風に、一緒にいてくれれば」
 海羽はそう言った。
 ややの間を持った後、彼女は、さて、と切り替えの言葉を言って、トキヤの膝をぱしんと叩く。
「日付変わってるの知ってるよね? もう休まないと。明日オフになったからって、あんまり夜更かしするわけにいかないでしょ? キミがいつも言うじゃない、“肌に悪い”って」
 普段なら、それで引き下がるトキヤなのだが。
「えぇ、明日はオフですよ。だから、…たまには夜更かししませんか」
 彼女を解放する気などまるでなく。
「らしくない台詞聞いたね」
「明日は午前中眠って、午後からの行動でいいでしょう?」
「…キミは、ね」
「まさか仕事ですか?」
「キミが帰ってくるのが午後だって言ってたでしょ。だから、午前中はやることあります」
 仕方ないでしょ、と。彼女の言葉に、トキヤは納得しがたそうな顔をした。
 それを見て、海羽はまた『あれっ』と思う。今日は、意外なことばかりだ。都合アリを出しても引き下がらないなんて、今までになかった。
 彼は原則、仕事優先の性格をしている。長く芸能生活を送っているせいか、その重要性はとてもよく理解しているから、『仕事だから』と言えば絶対にごねたりはしなかったのに。
「…ねぇ、海羽?」
 グイと、彼女の体を引くように抱き寄せて。そのまま、ソファにもたれ込む。
「なに?」
「それ、…口実じゃありませんよね?」
 は? と。声にしないものの、そんな表情で海羽は固まった。
「だって、不安になるじゃないですか」
「不安?」
「私たちが、こうして抱き合ったり、キスをしたりする関係になって、結構たちますよね?」
「そう、だね」
「お互いの…というわけでもないですが、少なくとも私があなたの部屋に泊まっていくのももう何回目かわからないくらい」
「うん」
 そこまで聞いて、返事をしてから。海羽は、彼が何を言いたいのかを察した。
 察したから、
「それ以上言ったら、キライって言うよ」
 先制攻撃を仕掛けた。
 トキヤはぐっと口を閉ざし、けれども溜息をついて、
「だから、不安になるのですよ。本当に好きでいてくれてるのかって。もちろん、ソレばかりが恋人の証でもないですが、私にだって人並みの欲求はあります」
 “明日も仕事だから”
 いつも彼女はそう言って、彼の“欲求”には応じてくれない。
 それが、本当に仕事のためなのか。
 もしかしたら、拒絶の一端ではないのか。
 けれど、はっきりと尋ねることはできなくて。
 彼はずっと、理解するふりをしていた。
 もちろん、早朝から仕事だったりするのはトキヤの方だ。表立って動く分、体調の管理は彼のほうに重要だから、その配慮もあるとは思っている。
「海羽がその手のことに淡泊なのは、仕方のないことかもしれません。でも、私はもっと求められたいとも思う。私だけがあなたを欲しがっているようで」
 彼女の細い体を抱きしめる腕は、強くなるばかりで。解こうなどという気はまるで起きてこない。このままずっと、夜明けまでどころか永遠にとさえ。
 そんな彼の内心を知ってか知らずか。
 彼女は、
「…別に、欲しくないわけじゃないけど」
 ぼそ、と呟く。
「見せたくないもの、ってさ。誰にだってあるじゃない? 外面でも内面でも」
「…? えぇ、まぁ」
「ボクのそれは、目に見えるものなんだ。そしてそれを見られたくないっていう思いが何より強くて、…見られた場合のキミの反応も怖いから、どうあっても見せたくない。もちろんこれは、キミに限ったことじゃないんだけど、…キミだからこそっていうのもある」
「怖い、って?」
「見て気持ちのいいものじゃないから。悲鳴あげられたことあるし、変に同情もされたくないし…」
 根の深いものだというのは、彼女の様子からも十分にわかる。
 恋人として付き合い始めてもなお、明かされない様々なものの中の一つ…あるいは、最たるものなのかもしれない。
「まだそこまでの信用はない、ということでしょうか」
「信、用っていうか…うぅ」
 答えに困って、海羽はトキヤの肩に顔をうずめる。
「…その様子では、“誕生日プレゼントにあなたが欲しい”と言ったら泣いて謝られそうですね」
 彼女の頭を撫でながら、苦笑混じりに彼は言って。
「案外サラッと言うよね…」
「隠しもしなければ、遠回しもしませんよ。そのぐらい、望んでいますから」
 頭に唇を寄せる。彼女の髪からは、ふわりといい匂いがして。彼女愛用のシャンプーの香りだ。こんなことでも平常心がふっ飛びそうなほどには、彼女を求めているのに。
「でも、あまり強引なことをすると、あなたは私のすべてをシャットアウトしてしまうと思うので。それは嫌ですから」
「う…ぅ」
 彼女の葛藤は、彼に少々のもどかしさと、それよりも多めの幸福感をもたらした。不謹慎とは思うが、こんな風に苦悩してくれるのはトキヤのためにだ。彼が彼女を望むから、それを叶えたいと思っての。
 けれど、容易いことではないのだと思い知る。彼女の抱えるそれは、そう簡単には越えられないものなのだろう。
 ずっと不思議だった。真夏でも、長袖しか着ない彼女。暑さに弱いのに、衣類で涼を取ることをしないのは、それなりの理由あってのこととは思っていた。日焼けしたくない、というだけではないな…と。
 彼女の“見せたくないもの”は、服の下にあるのだろう。

「…いいですよ、海羽。私も、焦らないことにしますから」
 ちらりと見えている彼女の耳にキスをして、トキヤは言った。
「と言うより、あなたのその口ぶりからすると、私にもある程度の覚悟が要るものなのでしょう?」
 嫌悪する人がいる、と。その経験が、より彼女を頑なにしているのかもしれないと思う。
「…それを知ることで、キミが離れてしまうのは嫌かな…」
「絶対にない、と断言できるのですけれどね」
「それ言っちゃうと、言った手前ってのがでちゃうからさ。ボクといる、っていう一番根本から無理してほしくない」
 そう言いながら。すり寄るように、海羽はトキヤにもたれる。些細なことだが、彼女にしては珍しい行動だった。
 当然、トキヤはそれに気づいて。けれど、何か言えば彼女は我に返ってしまうとも思ったので、口元に笑みを浮かべただけでスルーと決めた。
「とにかく、もう少し…ごめん。今は、まだ、ボクのほうがキミといたいから」
 海羽が自分から甘えるような仕草を見せることは、めったにない。
 何かあったのかと勘繰りたくなるほどだ。
「嬉しいことを言ってくれますね。誕生日効果、なのでしょうか?」
「かこつけてるつもりはないけど…」
 おっと。余計なことを言ったかもしれない。
 トキヤは内心やや慌てて、
「何でもいいです、嬉しいですから。どうか海羽、そのままで。あなたとの時間を、私に下さい」
 ぎゅ、と。抱きしめる腕を強くして、彼女がなんとなく程度にも頷いたのを確認してから、
「ありがとう。でも、仕事があるのなら、今夜は眠らなければいけませんね。明日の午後からは、私があなたを独占するのですからね。ちゃんと、終わらせてもらわないと」
 ひょいひょいと彼女の体を動かして、最後はよいしょと抱きかかえてソファから立ち上がった。
「ちょ、疲れてるんだからそういうのいいよ」
「私がしたいのだから気にしないで。あなたをお姫様抱っこするのも、三週間ぶりですから」
「…そんなに嬉しそうにすることかな…」
「自分に置き換えて考えてみたらどうです? 王子様モードのあなたなら、理解できると思いますが」
「あぁ、なるほど。でもちょっとフクザツかも」
 理解はしたが、受け入れるのとはまた違うのではと彼女は眉根を寄せた。


 海羽を抱えて、寝室への階段を上がる。
 彼女がドアを開けて中へ入ると、センサーが部屋の照明をつけた。
 ベッドまで行き、けれどトキヤは彼女を下さずに。じっと見るのは、…寝台そのもの。
 きちんとベッドメイクされ、周囲も片付いている。それを見て、
「また、しばらく眠っていなかった?」
 やや呆れたように、抱える彼女を見つめた。少々雑なところのある彼女のテリトリーの割に、整いすぎているなというのが理由だ。使っている感じがしない。
 不眠が常の彼女は、以前ほど状況が外に出なくなってしまっている。ノーメイクでもクマもほとんどなく、それでも数日眠っていないということなどざらだ。
 トキヤの指摘に、海羽は渋い顔をした。
「まったく、じゃないけど。仮眠はソファでしてたし」
「どのぐらい睡眠をとっていたか、は、訊かないであげます。その代わり、今夜はきちんと眠ってくださいね。私があなたの安眠を守りますから」
 丁寧に、彼女をシーツの上におろす。
「明日の仕事をさっさと終わらせて、私との時間を少しでも長くしてほしいので」
 空調の調節をして、部屋の照明も落とす。ベッドサイドのミニランプだけが、ほんのりと枕元あたりを照らしているだけだ。
 そうしてから、彼も彼女の隣に陣取る。
「善処させていただきますよー」
「仕事の速さに定評のあるあなたですからね。でも、手抜きはしないで」
「当たり前でしょ。ボクを誰だと思ってるのさ」
 軽く見られた気がして、彼女の機嫌が少し傾く。こと、音楽に関してはトキヤも呆れるほどのプライドの高さを見せる彼女に、彼は小さく笑った。
「我が国の歌謡音楽界が誇る、至高の輝き…とか言うと、やや大げさでしょうかね。でも、あなたの才能は本当に神がかりだと思うことがある。…私個人にとっては、ただただ愛しい私だけのプリンセスですけれど」
 そう言いながら、手を重ねて掴むと、そのまま自分の口元に指先を寄せる。
「…プリンセスやめて…本気で鳥肌立つから…」
「失礼ですね」
 世界を生むその指先に敬意を払うようにキスをして、それからすっと体を伸ばして彼女に覆いかぶさると、
「あまりひどいことを言うと、“おやすみなさいのキス”ではなくて“寝かさないキス”をしますよ」
 顔を近づけ、吐息のかかる距離で見つめた。
「安眠を守ってくれるんじゃなかったの? ボクの王子様は」
「もちろん。でも、私がなんの努力や我慢もなくあなたの隣で眠れるわけじゃないっていうのは、ちゃんとわかってほしいですね」
「それは…わかってるったら」
「無理強いはしませんが、早期解決を心の底から願っていますよ。でないと本当に、…飛び掛かってしまいそうで」
 どこまで本気かわからないような、含み笑いでトキヤは言って。案の定、困惑した彼女の頬に柔らかくキスを落とす。
「…あなたも戦っているのです、私だって耐えますよ。プラトニックの何たるかを学ぶのだと思えば」
「精神愛…騎士道だね」
「芸の肥やしだと思うことにします」
 だいぶこじつけているのだなというのは、十分わかった。海羽は、穏やかに笑んで、アリガトウ、と呟いた。
 目を閉じた彼女の唇に、触れるだけのキス。
 そのあとに交わす、おやすみなさいという呪文。
 照明をすべて落として、訪れた暗さの中にお互いの存在を確かに感じて、それだけでも心が穏やかになる。
 多忙な中、会えもしなかった時間を思い出して、その苦さと今の違いを、トキヤは噛み締めるように記憶した。



 翌日の午前中は、珍しくトキヤは惰眠をむさぼって。
 その間に彼女は作業を終え、けれども納品は行わず。
 起きてきたトキヤに、
「はい。誕生日プレゼント。この中に、楽曲データと譜面のデータと入ってるから」
 そう言って、データディスクを渡した。
 唖然とした彼に、
「前に、ライブ専用のソロ曲がほしいって言ってたじゃない」
 しれっと答える。
「仕事…って」
「ボクはひとっことも“仕事”とは言ってません。やることがあるって、それだけだったでしょ。もっとちゃんと驚かしたかったんだけどなー」
「は?」
「この曲の時は、ボクもステージに上がるよ。ピアノソロで歌うバラードだから。社長許可も取ってるし、間に合えば次のライブの時にもう」
「あなたも?」
「…頭、まだ寝てるかー…」
「寝てないです起きてます。ただ、信じがたいというか、…」
 ぼやんとした口調で言いながら、彼は彼女を抱きしめる。
「え、ほんとうに? 私だけの曲ですか? あなたと私だけの?」
「いや、ライブ用だから、どっちかってーとキミとファンの皆様のための」
「ですが、ステージ上であなたと共演できるわけですよね? この曲が成功すれば、ライブのたびに確実にあなたといられるわけですよね?!」
「…うん、まぁ」
「見せつけていいということですよね」
「それは、事務所のほうからNGとさせていただきます」
 なにを見せつけるのかは、聞かずもがな。びし、とクギを刺す彼女に、トキヤは少し黙って、
「あなたのためにしか歌えませんよ」
 ぼそりと。言うだろうなぁと思っていた通りのセリフが来て、海羽は肩を落とす。
「どんな歌詞付けるかはともかく、好きも愛してるも全部、ファンの方に向けてください、一ノ瀬サン」
「絶対嫌です」
「こら」
「…と言いたいところですが、そのあたりはわきまえるつもりですよ。あなたに万一があったら、本当に私は生きていられないので」
 彼女を抱きしめる腕に力を込めて、大切に歌います、と呟いた。
 海羽は、やれやれ、と吐息し、
「喜んでもらえたならよかったけど、とりあえずまだ聞いてもいないんだから。どうせまったり過ごすんでしょ、せっかくだから修正あるならするし、ノルなら歌詞も考えちゃえば」
「それもいいですけれど、今はこのままあなたを抱いていたいです」
「…ダメって言わないけど、非効率。キミじゃないみたいだね…」
「思いがけずプレゼントをもらえてしまいましたが、我儘を許してくれるのなら、昨夜言ったように“あなたとの時間”がほしい。この深刻な海羽不足を、オフのうちに解消しておかないと」
「……これからは、できる限りチャットじゃなくて通話にするよ」
「助かります。私も、可能な限り都合をつけますから」
 ばれない程度に、という制限が、もどかしくはあるが。すべて承知の上で手を取り合ったのだから、そこをどうこうはできないだろう。
「遅刻しちゃってごめん。でも、お誕生日おめでとう」
「そもそもは私のスケジュールの都合ですから。でも、補って余るほど色々といただきましたよ。目を疑うようなデコレーションメールとか」
 誕生日当日、届いた彼女からのメール。返信をシンプルにしたのは、動揺しすぎて返し方が迷走したとはさすがに言えない。
「勉強したんだよ。ちょっとでも可愛い方がいいものかと思って」
「キャラじゃないでしょうに」
「ヒトの努力を…」
 一刀両断かよ、と。不機嫌でむくれる彼女は、普段の彼女とは違う素の状態。恋人となった今でも、そう見ることはない。
 五歳年上の彼女が、その年齢差という壁を粉々にする瞬間だ。
「…なに、ニヤけてんのさ」
 間近。トキヤがこみ上げる笑みを殺せず、緩んだ口元をどうにかしようとしつつ片手で隠して。
「ニヤけてなんかいませんよ」
 それを見た彼女が、一層不機嫌を増す。
「じゃあなんで、口元隠すわけ?」
「こうしていないと、あなたのあまりの可愛らしさに愛の言葉が止まらなくなりそうで」
「はぁ?」
「絶対にウザイと言われるので、そうならないようにしているだけです。あなたは気にしなくていいですよ」
「意味がわからないんだけど」
「それでいいです。それでこそ、私の愛するあなたですよ。愛しています、マイプリンセ」
「ウザイ!!」
 結局止まっていない。ひっぱたかんばかりの勢いで怒鳴る彼女に、それでもトキヤはめげず、
「本当に、愛していますよ。あなただけと誓います。だから、…ずっと私と居てください。こんな、誕生日だからとか何かの日だからというのではなくて。特別な日もそうでない日も、すべてあなたと迎えたい」
 じっと彼女を見つめて。
 そんなセリフを真っ向から受ける羽目になった彼女は、防御も何もなく。
「な、ちょ、いきなり何言い出すの」
「今はまだ、私も未熟者ですから。口約束しかあげられませんが。いずれきちんと、ね」
「…って」
「あなたの誕生日を知るのも、その時でいいですよ。婚姻届には、生年月日を書く欄がありますし」
「っは?!」
「それまでは、私の誕生日に一緒に祝いませんか? 夏、なのでしょう」
「そ、うだけど、っ」
「急な思いつきなのでプレゼントを用意していませんが、後日改めて今年の分を贈ります」
 彼女に反論のチャンスを与えない、畳み掛けで押し始めるトキヤに。
 いきなり主導権を持っていかれて、慌てている彼女が、なんとかひとつ深呼吸をして。
「…いいよ。今年はその、口約束とやらで」
 それでも彼を見て言うことはできず、真っ赤になってしまった顔を逸らす。
 言いくるめられてしまった感がなきにしもだが、言わされたとかというのはない。
「婚姻届云々はともかく」
「相変わらずひどい人ですよね」
「気が早すぎるよって言ってるの。キミはともかく、…ボク側の問題がいろいろ片付いてないし、…交際は許してもらえたけど、その先はさすがに」
「気持ちの問題なのですよ。現実的なことを言っていけば、課題など山積みどころではありません。ただ、私がそのつもりでいるということを知っていてくれればいい。そしてできれば、あなたにも“そのつもり”になって欲しい。…違いますね、ちょっと言い方を変えましょう」
 一度、トキヤは海羽から離れた。ついでに、手に持ったままだった誕生日プレゼントを近くのテーブルの上に置く。
 改めて向かい合うと、
「いつか必ず。あなたを攫いに行きます。だから、私に攫われる覚悟をつけておいてください」
 大真面目な顔をして、そう言った。
 海羽はどこかぽかんとしてそれを聞き、そして、
「…キミってさ。一回調子に乗ると、際限ないタイプだよね。なるほど、これがHAYATOのモトなわけだ」
 ひどく感心した様子で言う。
 今度はトキヤのほうが不機嫌な顔をして、
「それはそうかもしれませんが、…たとえHAYATOでも、あなたの口から他の男の名前を聞きたくありません。まして、この状況でだなんて」
「もういない人の名前じゃないか」
「それでも、です。私と二人の時は、絶対に、他の誰の名前も出さないで」
「また無理難題を…」
 呆れた口調でそうは言っても、彼女の表情はそれほどでもなく。
 一つ溜息をつき、
「どっちが姫さ、まったく。キミのがよっぽど女の子みたいな性格してるくせに」
 苦笑して。
 ますます不機嫌な顔をしたトキヤが、反論しようと開けかけた口に、
「とりあえず、ちょっと黙ってよ」
 そう言いながら、彼女から小さなキスを。
 驚いたのか、びし、と音がしそうなぐらいにトキヤは固まった。彼女から、というのは、…もしかしたら初めてかもしれなかった。
 離れた彼女が、けれども近い距離のままでトキヤを見つめ、
「やきもちやきのトキヤ姫様。そんな可愛いワガママもいいけれど、時間はどんどん過ぎていくよ?」
 時計を指さして。
「おうちデートなのはいいとしても。有意義も自堕落もキミ次第のお誕生日プランなんだから。ちゃんと仕切ってね」
「誰が姫ですか…」
「キミが姫だよ。ほんっとに、前々から思ってたけど、外見はこんなにイケメンなのに、中身はびっくりするくらい乙女なんだもんなぁ。ま、ボクとのバランスはよさそうだけど」
「喜んでいいのか…微妙ですね」
 彼の苦笑を、彼女はにっこりと柔らかな微笑で受け止める。
「ちょうどいい、ってことだよ」
 
 指先を触れ合わせて、少しずつ重なる部分を増やしていく。
 何度もしてきたことだが、一つ一つ確かめるようにそれをするのはあまりない。
 二人でゆっくり過ごす時間が減っているから、いつもどこか性急で直接的だった。
「…プランはもう、どうでもいいです。あなたさえいれば、私は満足ですから」
「グダグダだもんね、今時点で」
「出かけたくもない。二人きりでいたい。誰にも邪魔されたくない」
「…了解」
「だって、外に出たら、あなたとこんな風に手をつなぐこともできない」
「そうだね」
「好きと言えない。言ってももらえない」
「…好きだよ」
 流れる会話に差し込まれた感情。二拍、間があいて、
「あなたのこういう男前な部分にときめいてしまうという点は、確かに私の中の乙女を認めざるを得ない瞬間でもあるわけですが…」
 頬を赤らめながら、トキヤはぶちりと呟く。
「せっかくです、一分に一回、私のことを好きだと言ってください」
「なにそれ。これだから姫様は」
「私も言いますから。あなたが好きです、って」
「……キミがそうしたいのなら」
 いくらでも、と。
 お互いの手が、お互いの頬に伸びて。唇が同時に、好き、と紡いだ。
「最高の誕生日ですよ、今年は」
「キミという存在と、そして出会えたことに感謝…だね」
 ありがとう、そう彼女が囁いて。彼も、その言葉をゆっくりと自分の中に溶かした。


 この先もずっと、この手をつないでいられますようにと願いながら。









<Div Align="right">2013.12.09 初アップ
Happy birthday,for Tokiya.
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